09_完全に嫌われた
──この三年間、俺はちょくちょくルーナの様子を見に行っては、危険探知の魔法をかけ直していた。
一歩間違えればヤバいストーカーだ。いや、一歩間違えなくてもストーカーだろう。その自覚はある。
だが、ルーナの安全には代えられない。
十五歳になったルーナは、孤児院を出てパン屋で働きはじめた。
パン屋のお仕着せを着たルーナは、ものすごくかわいかった。これは確かに危険だ。
かわいすぎて、もはや特級危険物だ。
イヴァンの「ルーナはモテる」というセリフが何度もよぎった。何なら反復横跳びしながら頭の中に居座っている。かわいい=モテる=変な奴に絡まれやすい、っつーことだよな。ヤバいじゃん。
だから、俺は毎回念には念を入れて、彼女に危険探知の魔法をかけたんだ。
イヴァンには、「"変な奴"の筆頭は君だよね」と言われたが、聞こえない振りをして。
──そんな、ある日のことだった。
探知魔法が、俺にルーナの身の危険を知らせたのは。
耳のピアスがチリチリと鳴った。授業中だったが構ってられるか。俺は派手に椅子を蹴倒して立ち上がった。転移の魔法を発動させたら、教師が何か叫んでた。でもそんなん無視一択だ。
そして移動した先。
ルーナに絡む三人組を見た瞬間、全身の血が沸騰した。
気がついたら俺は、そいつらを風の魔法で吹き飛ばしていた。殺さなかっただけありがたいと思え。
クソバカ三人組が慌てて逃げていくのを目で追って、ルーナに向き直る。彼女は怪我もなく無事なように見えたが、怒りはまだ収まらなかった。
「……お前、あのゴミどもに何もされてねぇだろうな。万一されてたら、今からでも追いかけてブッコロしてやる」
「え?えーと、大丈夫だよ……何かされる前にライカが助けてくれたから……」
「ならいーけどよ」
「うん、ありがとね」
ルーナはホッとしたように俺を見上げて微笑む。
うっ……危うく心臓が止まるかと思ったぞ。てめー俺を殺す気か。かわいすぎるだろ。
直視出来ず、俺は無意味に腕をワタワタさせ、顔を背けてしまう。
「ぐっ、ベベ別に、たまたま通りがかったら、お前が絡まれてるのが見えたっつーか!つまり、偶然だ偶然ッ!!!」
「わかった、わかったから!!」
断じて偶然ではない。でも本当のことは言えない。苦しい言い訳を捲し立てると、ルーナが慌てて遮った。
声が大きかったからだろう。周囲の注目を浴びている。
俺はそいつらの視線からさりげなくルーナを庇った。見せもんじゃねえんだよ。
誰だろうと、ルーナをじろじろ見られたくない。狭量だと言われようが、ムカつくもんはムカつくんだ。
とりあえず俺は、ルーナを仕事場のパン屋まで送ることにした。
授業を放り出してここに来たから、教師はキレてるだろうが、ルーナの安全が第一だ。
……後日、後見人に、授業を堂々とサボった理由を尋ねられ、渋々白状したら爆笑された。
◇◇◇
そんな出来事の後、俺は「一人前になるまでルーナに会わない」という決意をあっさり反古にして、ルーナが働くパン屋に通いつめた。
一回会ったら今さらだし、またバカどもに絡まれないか心配でもあったからだ。だってコイツ、どこからどう見てもかわいいだろ。
俺はパン屋の売上に貢献するために、毎回小遣いをはたいて大量のパンを買った。ルーナの給料が少しでも良くなればいい、と祈りながら。
買ったパンは半分は自分で食べて、残り半分はこっそり王都の幾つかの孤児院に寄付した。
俺はいつしか、孤児院のガキどもから「パン屋の兄ちゃん」と呼ばれるようになった。ちげえわ。
通いつめる傍ら、さりげなさを装って、だが内心は心臓バクバクで、ルーナにアプローチをかけてみた。ルーナとデートに行けるかも……そう思うと居てもたってもいられず、俺は毎晩ベッドの上をゴロゴロ転がりまくって、寮の同室の友人に呆れられた。
だが──俺からの誘いは、ひどく遠回しな上に、言葉選びが最悪だったらしく、全く伝わっていなかった。
誤解され、俺は彼女をひどく傷つけてしまった。
「あんたの顔なんか、二度と見たくない……!」
ルーナが泣いてる。
あの、気が強いルーナが。
慰めようとした手も振り払われた。
好きな子を泣かせてしまった。その上、完全に嫌われた。
深い谷底に突き落とされたような、最悪の気分でフラフラと向かったのは、友人イヴァンの所だった。
「ライカ、君なんて顔してんだよ。真っ青じゃないか」
俺を心配したイヴァンは、仕事を終えてから食事に連れていってくれた。
食べ物は何も喉を通らなかったが、ポツポツとこれまでのあらましを伝えると、彼は呆れと少しの軽蔑が混じった顔で、ため息をついた。
「言い方悪すぎ。それじゃあ好意が伝わるどころか、嫌味にしか聞こえないよ。それでルーナを泣かせたってわけ?本当、君はさぁ……」
「…………うっせえ」
弱々しく意気がってみたが、返す言葉はない。
「で、どうするの?」
「顔も見たくねえって言われた……」
「……なら、会いに行くのやめる?」
「そりゃ仕方ねえだろ……これ以上嫌われたくねえしよ……」
「まあ、元気出しなよ。女の子は何もルーナだけじゃないんだし」
イヴァンが肩を叩いて励ましてくれたが、俺は暫く立ち直れなかった。
そうして時間が過ぎていく。
俺は、ルーナを泣かせた罪悪感から目を背けるように、いっそう魔法の勉強に打ち込んだ。
ほどなく、王国の北方で魔獣が暴れている、という一報が入った。学院の成績優秀者だった俺は、その魔獣討伐部隊に選ばれたのだった。
その時、頭に浮かんだのは、やっぱりルーナのことだった。
◇◇◇
北方で暴れていたのは、シュヴァナと呼ばれる魔犬だった。
牛三頭分ほどの大きさで、力が強く、猛毒の霧を吐く。その上魔法も使う。過去の討伐では死者も出ていた。
将来有望な俺は、経験を積ませるという理由で召集がかかった。
今回は万全の体制で臨むと聞いているが、油断はできない。かなり危険な魔獣だからだ。
万一、ルーナに会えないまま──傷つけて泣かせたまま死んだらと思うと辛かった。
だから俺は、恥をしのんで、ルーナに謝りに行くことにした。
出陣が数日後に迫った、ある夜。
パン屋の裏手で、俺はルーナが出てくるのを待つ。ルーナにまた拒絶されたらと思うと心臓の辺りが軋むように痛い。
暫く待って、ようやく出てきたルーナを捕まえた。ひとまず拒絶されなかったので、ほっとした。
「悪りぃな……顔も見たくねぇって言われたのに、ノコノコ来ちまって」
「どうしたの、珍しく謙虚だね……」
殊勝に謝罪すると、ルーナがびっくりして瞬きした。直視できないくらいかわいい。天使か。
その天使がぴょこんと頭を下げた。
「あの時は、あたしも言いすぎた!ゴメン!」
ルーナが謝ることなんて何一つねえよ。そう言いたいのに、「おう」と返すので精一杯。
こういう時は、口が上手くて素直な奴が本気で羨ましいわ……
「これでおあいこだね。でも、こんな時間に何の用?」
不思議そうに尋ねる彼女に、地面に視線を落としたまま答える。
「俺……北の国境に行くことになったんだ。魔獣討伐の部隊に選ばれちまってよ」
「え、実力で選ばれたの?すごいじゃない!」
「俺様は優秀だからな、別に意外でもねえよ。けど……もしかしたら、帰ってこれないかもしんねぇから……お前に謝っておきたくて」
そう伝えると、ルーナの顔から血の気が引いた。
「ねえ、それって、死んじゃうかもってこと……?」
少し泣きそうなルーナにちょっと焦る。
いや、これはあくまで万一なんだ。ただ、その万一があったら嫌だから、と拙い言葉で説明する。
そして俺は、懐から小さな石を取り出した。
「あと、これ、お前に預かっててほしくて」
魔法の授業で、最初に作った石だ。
まるで、虹のように色を変えて光るそれは、ルーナを思い浮かべて作ったものだった。
だからいつかあげようと思ってて、それは今しかないだろう、と持参したわけだが。
「やだよ、やめてこんなの。縁起でもないわ!」
「ピーピーうっせぇ!黙って受け取っとけ!!」
「いーやーだーー!!」
結局、強引に押し付けた。ルーナは非常に不満そうな顔をしている。
一方俺は晴れやかな気分だった。ルーナに謝ることができたし、元の関係に戻れたのが何より嬉しかったんだ。
だがここで、ルーナが爆弾を落としやがった。いや、ルーナというより、イヴァンかもしれねえが。
「実は、イヴァンに結婚しようって言われたの」
「はァァァァァ!!!????」
俺は目を剥いた。
寝耳に水とはこのことだ。
「お前、あいつと結婚、する……のか……?」
「まだ返事はしてないけど……どうしたらいいと思う?」
ルーナはまだ返事を迷ってる。
なら、俺にもチャンスはあるはずだ。
俺はルーナに、自分が魔獣討伐から帰ってくるまで、返事を保留にするように約束させた。
くそっ、イヴァンのやつ何考えてんだ。
俺の圧に押されたのか、ルーナが思わずといった感じで頷く。
「取りあえず!!俺はぜってぇ生きて帰って来るからな!!早まるなよ!!!??」
そう言いおいて、俺は叫びながら走って学院まで戻った。途中「うるせえ!」と誰かに怒鳴られた気がするが、そうせずにはいられなかった。
魔獣討伐なんかで死んでたまるか。死ぬとしても、ルーナにきちんとプロポーズしてからだ。たとえフラれようとも。