04_仲直りしたけれど
「……結婚?」
「うん」
唖然として聞き返したら、イヴァンはニコニコしながら頷いた。
「なんで……?」
「ルーナが好きだから」
「え、その、いつから?どうして今……?」
幾つもの疑問が押し寄せて、ポロポロと質問を口にする。あわあわと動揺しているあたしに、イヴァンはすらすらと答えていく。
「好きだったのはずっと前から。なぜ今かっていうと、そうだなぁ……ライカがルーナを泣かせたからかな。さすがに腹が立った」
「……ライカがなにか関係あるの?」
なんだか話が見えないが、イヴァンは「まあ、その辺はこっちの話だから」と有耶無耶にした。
「とにかく僕はルーナが好きなわけ。僕は君を大切にするよ。絶対に泣かさないし、苦労もさせない。だから前向きに検討してみてよ」
「…………」
「まあ、すぐに返事なんて出来ないだろうから、ゆっくり考えて」
イヴァンはそう言って席を立つと、ニコッと笑った。
「とりあえず今日は帰ろうか。店まで送るね」
「……………あ、うん」
帰り道のイヴァンは、いつも通り終始にこやかで自然体だった。まるでさっきの求婚なんてなかったみたいに。
でも、別れ際に「結婚の話、考えておいて」と念を押された。
おかげで二日連続、寝不足だ。昨日は「ライカに言いすぎたかも……」と悶々として、今夜はイヴァンの求婚である。完全に思考のキャパオーバーだ。
それにしても……
イヴァンは仲間内では兄のような存在で、今の今まで、男性として意識した事はなかった。
イヴァンは何でもそつなくこなすし、誰に対しても平等に優しい。相手をよく見てるくせに、自分の腹の底は、あまり見せなかったりする。
だから、こんなに仲が良かったのに、彼の気持ちに気づけなかったのかもしれない。
だとしても、あのイヴァンが、キレやすく思慮に欠けるあたしを好き、とか……いやいや、やっぱりないんじゃないかなぁ……!
きっとあれはたちの悪い冗談だ。そう思っていたけれど。
イヴァンはこの翌日から、ちょくちょく店に顔を出すようになった。その一方で、ライカはぱったりと店に来なくなった。
◇◇◇
イヴァンは今日も店にやってきた。
彼はいつも決まってバゲットを買う。それを包みながら、少しだけ会話するのが日課になっていた。
「どうぞ。ご利用ありがとうございました」
「どういたしまして。そうそう、結婚の返事は急がなくていいけど、お付き合いとかしてみる?」
「えーっと、それもまだ、色々、心の準備が……!」
「だろうね。ルーナは恋愛とか、まして結婚とか、全然考えてなさそうだったもんね」
う、認めたくないが……図星だ。
孤児院にいた頃は性別関係なくワイワイやるのが好きだったし、パン屋さんで働くようになってからは、忙しくてそれどころじゃなかった。
「イヴァンは、そんな幼稚なあたしがなんでいいんですか……」
「そういう所も好きだし。でも、ルーナの情緒って五歳の子と同じくらいのレベルだから、揺さぶりかけて様子見たいなと思って。ショック療法というか」
「五歳……揺さぶり……ショック療法…………」
「うん。じゃあまたね」
情緒五歳はひどくないか。いや、単なる事実と言えばそうかもしれないけど。
むー……としていると、イヴァンはクスリと笑って、ひらひらと手を振って帰っていった。
◇◇◇
そうこうしている間に時間は流れていく。
今、王都では、北の国境に魔獣が侵入したという話題で持ちきりだった。町が一つ壊滅し、近隣では難民が溢れているとか。
国境の北側にある"深淵の森"は、昔から蕭気が異常に濃い。そのせいで定期的に魔獣が発生する。
王府はさっそく討伐部隊を編成して、魔獣の対処に動いているという。
でも、あたしにとってそれは遠くの出来事でしかなく、壊滅した町の人々に深く同情しても、どこか他人事のように捉えていた。
北の国境は遥か遠く、馬車を使っても、王都から二週間はかかるような場所なのだ。距離的にも心理的にも遠かった。
けれど──ライカは。
魔法学院のエリートである彼にとっては、それはけして他人事ではなかったのだ。
一日の仕事の最後に、ゴミを捨てに外に出た。ゴミをまとめた袋を集積所に置いて、戸締まりをしたら業務終了。
今日も頑張りました、と心の中で自分を労って、裏口に戻ろうとしたら、背後から突然「おい」と低い声をかけられた。
「ひっぎゃぁ………むごごごッ」
「叫ぶな、俺だ!!」
悲鳴を上げそうになった私の口を慌てて塞いだのは──なんと、ライカだった。
三ヶ月ぶりだろうか。何だかまた背が伸びて、たくましくなった気がする。口元を覆う手に、意味もなく心臓がバクバクする。
「……手を離すぞ」
コクコク頷いて答えると、ライカは慎重すぎるくらい慎重に、あたしからそっと距離を取った。外敵を警戒する野生動物みたいな動きだ。
魔法学院の制服である濃紺のローブを纏ったライカは、決まり悪そうに目を逸らした。
「悪りぃな……顔も見たくねぇって言われたのに、ノコノコ来ちまって」
「どうしたの、珍しく謙虚だね……」
ちょっとビックリして瞬きする。ライカが謝るなんて激しくレアだ。
「うっせぇ」
ライカが眉間に皺を寄せた。でも怒ってはいないようだ。あ、いい機会だから、あたしもついでに謝っておこう。
「あの時は、あたしも言いすぎた!ゴメン!」
「……おう」
「これでおあいこだね。でも、こんな時間に何の用?」
ガバッと頭を下げてから、不思議に思って尋ねると、ライカは地面に視線を落としたまま、ボソボソと口を開いた。
「俺……北の国境に行く事になったんだ。魔獣討伐の部隊に選ばれちまってよ」
「え、実力で選ばれたの?すごいじゃない!」
「俺様は優秀だからな、別に意外でもねえよ。けど……もしかしたら、帰ってこれないかもしんねぇから……お前に謝っておきたくて」
不穏な会話の流れに、ざっと血の気が引く。
「ねえ、それって、死んじゃうかもってこと……?」
「いや、部隊は実力者揃いだし、大丈夫だとは思う。でも、万一ってやつが無いとは言いきれねぇからな……心残りがないようにって思って。あと、これ、お前に預かっててほしくて」
そう言ってライカが差し出したのは、魔法のかかった石だった。まるで虹のように色を変えて光る石に、あたしは思わず見入ってしまう。
いやでも待って。今の流れでこれは──
「やだよ、やめてこんなの。縁起でもないわ!」
「ピーピーうっせぇ!黙って受け取っとけ!!」
「いーやーだーー!!」
ぎゃあぎゃあ言い合って、結局、無理やり押し付けられた。ホント強引だよね。
言いたい事を言ってスッキリしたのか、「じゃあな」とおもむろに踵を返したライカを、「ちょっと待ったぁ!!」と思わず引き留めたら、彼は振り返って無言で先を促した。
相変わらず目力がすごい。
「……あのー、せっかく会ったから、少しだけ相談に乗ってもらいたい件がありまして……」
「何」
「実は、イヴァンに結婚しようって言われたの」
「はァァァァァ!!!????」
ライカが紫の目を剥いた。ポロッと目玉が零れ落ちそう。
「お前、あいつと結婚、する……のか……?」
「まだ返事はしてないけど……どうしたらいいと思う?」
「クソッ……そんなん俺が知るかよ!!!」
「だよねえ……」
ため息をついて天を仰ぐ。
「ほんとゴメン……あんたも大変なのに、こんな相談しちゃって。自分で決めなきゃいけないのはわかってるの。ただちょっとだけ、誰かに聞いてほしかっただけなんだ」
……あたしは本当に自己中で、子どもだ。
イヴァンに返事を出来ないでいるのも、そんな卑怯さゆえだ。
あたしに求婚してくれる人なんて早々いないだろうからいっそ結婚しちゃうか……という気持ちと、そんな理由で結婚したらイヴァンにものすごく失礼では……という気持ちがせめぎあって、結論を出せずにいるのだから最低だと思う。
深く自己嫌悪に陥りながら、ふとライカを見る。
そして思わずのけぞった。
…………鬼だ。鬼がいる。囂々と燃えさかる炎の幻覚を背負った鬼。
その鬼がゆらりとこっちを向いた。
「……おい、ルーナ。俺が帰ってくるまで、イヴァンへの返事は保留にしとけ……」
「ひっ」
「いいな……?」
「えっと、は、はぃ………!!」
なぜか、紫の瞳をギラつかせたライカが、全身から闘気を立ち上らせていた。凄まじい圧に押され、つい頷く。
「取りあえず!!俺はぜってぇ生きて帰って来るからな!!早まるなよ!!!??」
「う、うん、分かった!」
ビシィ!と力強く指差された。しんみりとした空気が一気に霧散する。彼はくるっと身を翻すと、「うぉおおおお!!!」と叫びながら帰っていった。何なんだ……
呆気に取られてその背中を見送ったけれど、冷静に考えてみれば、魔獣討伐なんてものは、とんでもなく危険な任務であるのは間違いない。
あたしには想像もつかないくらい過酷なはずだ。あのライカが深刻そうな顔をしてたくらいだから……
だけど、ライカは…………絶対帰ってくるって言ってた。だから大丈夫だと信じたい。