03_本気の喧嘩
「あんた、また来たの?」
「あ?悪りぃかよ」
「いや悪くはないけどさ……」
口をへの字に曲げたライカが、またパンを買いにやってきた。三日前に来たばかりなのに、毎回、一人で食べるとは思えない量のパンを買っていく。
今日もたくさんのパンを抱えて会計に並んだライカに、あたしはジト目になった。
「……ねえ、そんなに買ってどうするの?」
「うっせぇ。お前には関係ねぇだろ」
「それはそうだけど。魔法学院って全寮制だし、あんたには貴族の後見人も付いたっていうじゃない」
「……何が言いてぇんだ」
ライカが不機嫌そうに眉間に皺を刻む。
あたしも負けじと軽く睨んだ。
「いっちゃなんだけど、うちは町の普通のパン屋さんだもん。いいもの食べさせてもらってるだろうに、なんでわざわざここに来るの?」
「ゴチャゴチャうっせーな、俺はここのが気に入ってるから買ってんだよ!!なんか文句あっか!?」
「ふーーーーん、あっそ。……ご利用ありがとーございましたー」
パンを包み、お礼は棒読みで袋を手渡す。
すると受け取ったライカが、「おい、来月の星誕祭だけどよ……」とモゴモゴしながら切り出した。
「そん時、お前休みか?」
「え?普通に仕事だよ。店は閉めるけど、屋台出すんだって。あたしは朝から売り子!」
「そ、そうか……大変だな!」
「まあね。でも屋台って初めてだからちょっとワクワクするなぁ。で、星誕祭がどうかした?」
「…………ぐっ、どうもしねーよ!」
なぜか、今度はあたしがジト目で睨まれた。そしてライカは「じゃあな!」と踵を返し、ドスドスと店を出ていった。
ライカはそれからもよくパンを買いに来た。
その度に軽く話をするが、あたしの部屋が狭い屋根裏だと聞けば、「魔法学院の寮は広いぜ、何なら見せてやってもいいぞ」とか、あたしが卵好きなのを思い出したのか、「流行りのオムレツ屋がすげえ美味かった。お前は行かねぇの?」とか、謎の自慢や嫌味を言うのだ。
そんなライカの言動に、あたしの内心はささくれだっていた。一応客だから……と適当な相づちを打つものの、イライラは少しずつ心の中に降り積もり、あたし自身も気づかない内に、真っ黒な感情へと変容していたらしい。
そんな時、学院の友人達と連れだって歩くライカを偶然見かけたのだった。
◇◇◇
その日は、少し遠出の配達だった。
籠を腕に下げて、配達に向かう途中。
見覚えのあるローブの集団が、道の向こう側を歩いていた。
あのローブは、ライカがいつも着ているものだ。そういえば魔法学院ってこの近くだっけ……と思いながら何となく彼らを眺めていると、見知った顔を発見して、あたしはつい足を止めた。
……ライカ本人じゃん。
キラキラした集団の中にいるライカは、孤児院の頃とはすっかり見違えて、すっかりそこに馴染んでいるように見えた。
集団の中には女の子もいて、ライカに親しげに話しかけている。
ライカはやや仏頂面だが、きちんと受け答えしていた。女の子は楽しそうにクスクス笑っている。
急速に指先が冷えていく。
あたしは集団から目を背け、早足でその場を歩き去った。今まで一度もそんな風に思った事はなかったのに、パン屋のお仕着せが何だかとても恥ずかしかった。
ほんの一瞬、驚いたライカと目が合った気がした。その視線を振り切るように、早足で配達先へ向かう。
心の中の黒い感情は、最早自分でもどうしようもないくらいに膨れ上がっていた。
偶然見かけてから二日後、ライカはまた店にやって来た。大量のパンを抱えて会計に並んだ彼は、いつもより不機嫌な表情で話しかけてきた。
「なあお前、こないだ学院の近くにいたろ。なんで無視したんだよ」
「……仕事中だったし、そんなのあたしの勝手でしょ」
「あーそうかよ」
店内にはあたしとライカだけ。彼は大抵、お客さんがいない時間を見計らったようにやってくる。
誰も見てないせいか、自分の感情に歯止めが効かない。ライカの責めるような口調に、気がつけば怒りが爆発していた。
「ねえ、もうここに来ないで。あんたには自分にふさわしい場所があるでしょ」
「あぁ?何だよそれ」
ライカの紫の瞳が鋭くなる。あたしは怯まず、彼を睨み返した。
「あんたの自慢話にはうんざりなの。エリートになったのをあたしに見せつけるのがそんなに楽しい?ホントあんたって悪趣味だよね」
「あ?そんなつもりは微塵もねぇよ。お前が卑屈すぎんだろ」
……後から思えば、それはただの売り言葉に買い言葉にすぎなかった。でもその時は、ライカの台詞に無性に腹が立って仕方なかった。
あたしはますます頭に血を上らせた。涙が滲んで、視界がぼやける。
「……うっさい!もう出てって!!あんたの顔なんかもう二度と見たくない!!」
「おい、お前泣いてんのか……」
「さわんなバカ!出てけつってんのよ!!」
驚いたライカが手を伸ばそうとしたのをピシャリとはねのけ、後ろを向いて拒絶する。
暫くして、無言のライカが、カランとドアベルを鳴らして出ていく気配がした。あたしはドアに背を向けたまま必死に涙を拭っていた。
◇◇◇
「やあ、ルーナ」
翌日、なぜかイヴァンがやってきた。
二つ年上のイヴァンは、あたしより一足先に孤児院を卒業した。今は靴職人に弟子入りして、一人前になるまで面倒を見て貰っている。
彼はライカと違って、卒業した後もちょくちょく孤児院に顔を出していた。あたしが働きはじめてからは、ひと月に一度はうちのパン屋に来て、パンを買っていってくれる。
イヴァンはキリンのように背の高い、柔和な雰囲気の青年に成長していた。麦色の髪と明るい茶色の瞳が、柔らかい印象を引き立てている。
そんなイヴァンが、珍しく「晩ごはんを食べに行こう」と誘ってくれた。
昨日の暗い気分を引きずっていたあたしは、一も二もなく頷いた。
「行く!でも、少し遅くなるよ」
「大丈夫。外で待ってるから」
「やった、誘ってくれてありがと」
嬉しくて笑うと、なぜかイヴァンは嘆息した。
「……ライカも『一緒に行こう』のひと言が言えたらよかったのにねえ」
「なんか言った?」
「ううん、こっちの話」
ボソッと呟いたイヴァンに首をかしげて、あたしは仕事に戻った。
「上がりまーす」
「おう、お疲れ」
ダンさんに挨拶して、屋根裏の部屋に戻り、パン屋のお仕着せから普段着のワンピースに着替える。
お店の外に出ると、イヴァンが壁に凭れて待っていた。外はもう真っ暗だ。
「お待たせー!お腹すいたねー」
「お疲れさま。じゃあ行こうか」
あたし達は連れだって、遅くまで開いている近所の食堂に移動した。
「カンパーイ!」
まずは葡萄の果汁を蜂蜜と冷たい水で割った、カランという飲み物で乾杯する。
運ばれてきた料理に舌鼓を打っていると、イヴァンが「あのさぁ、ルーナ」と切り出した。
「ライカと何かあった?昨日、いきなり僕んとこに来たかと思ったら、顔真っ青だったんだけど」
「………うん、まあちょっと、色々」
お肉を食べるのに集中するふりをして誤魔化そうとしたけれど、イヴァンの追求は昔から鋭い。
気がついたら、今までの出来事を洗いざらい話してしまっていた。
「…………というわけなの」
「なるほどねえ……本当にアホだな、ライカは」
「だよねーーー!?」
「ライカの自業自得だと思う。だけど、ルーナもものすごく鈍感だからなぁ……」
「あたしは悪くないわよ!」
矛先がこっちに向いた。解せない。
しかしイヴァンは「ま、これ以上敵に塩を送る事もないか」とよくわからない事を呟いて、「それはそうと」と話題を変えた。
「君、来年十六歳だっけ」
「そうだけど」
「いつか言おうと思ってたけど、良かったら、僕と結婚しない?」
「は?」
突然の求婚に目が点になった。いや、確かに庶民は十六になったら結婚できるけど。
できるけれども。
「僕はずっとルーナが好きだったんだけど。君、全然気づいてなかったよね」
イヴァンがニッコリと笑った。それは彼が時々見せる、どこか食えない感じの笑みだった。




