02_再会
──それから、あっという間に三年が経った。
結局、ライカは魔法学院に行ってから、一度も孤児院に顔を出さなかった。
あたしはライカがいなくなっても、なんでもない顔をして、いつも通りに振る舞っていた。でも、本当は心にぽっかりと穴が空いたような気分だった。
それでも時間は過ぎ去っていく。
そして、あたしは十五歳になっていた。
庶民の基準では、十五歳になるとほぼ一人前だと見なされる。つまり、自立して生活しなければならない。
十五歳の春、あたしは孤児院を出て、院長が紹介してくれたパン屋さんで働きはじめた。
「ルーナねえちゃんあそぼー!」と慕ってくれた子達とお別れするのは寂しかったけど、こればっかりは仕方ない。
早朝からパンを焼き、日中は売り子や配達。夜は翌日の仕込み。日々は目まぐるしく過ぎていく。
最初は忙しくて毎日ぐったりしてたけど、少しずつ仕事にも慣れてきた。
余ったパンや、売りに出せない型崩れしたパンを帰りに貰えたりするのも嬉しい。食費が浮くからだ。
ご主人のダンさんは壮年の寡黙なおじさんである。多少人使いが荒い気がするけど、悪い人ではないし、全体的に良い働き口だと思う。
ちなみにあたしは住み込み契約だ。住まわせてもらってるのは、店の屋根裏。
真っ直ぐ立つと天井に頭がぶつかるし、五、六歩も歩けば壁に行きあたるくらい狭い。おまけに時々ネズミも出る。
それでも初めての一人部屋は嬉しい。狭くたって、工夫すれば快適に過ごせるものだ。好きな小物を飾ったり、綺麗に掃除するとか、やれる事は色々ある。
ただ時々──静かな部屋に一人きりでいると、うっかり人恋しくなってしまう。
孤児院にいた頃は、みんなの声で溢れていた。騒々しさにうんざりする事もあったけど、今となってはじんわりと懐かしい。
あたしにとっては、あの場所が実家のようなものなんだと思う。
あたしの両親は王都の片隅で食堂を営んでいた。ずっと働き詰めで、ついに体を壊し、二人とも相次いで儚くなった。あたしが六歳の時だ。
一人ぼっちになったあたしを引き取ってくれる親戚はいなかった。そうして孤児院に行くことになった。
両親がいなくなった頃は、まるで闇に呑まれてしまったような気分だった。途方もなく悲しくて、泣いてばかりいた。
それでもある日、気づいたのだ。あたしは恵まれている方なんだと。
院長をはじめ、孤児院の大人達は、泣き虫だったあたしを優しく慰めてくれた。イヴァンみたいな友達も出来た。あたしより小さな子達もそれぞれ頑張っている。
食事は質素だったけれど、毎日ちゃんと食べられたし、寝る場所もあった。
あたしはちっとも可哀想なんかじゃなかったのだ。
そして懐かしくなって物思いにふけっていると、時々彼を思い出す。
銀色の髪に紫の瞳をした、喧嘩腰の少年を。
あのバカ、元気でやってんのかなぁ……と、屋根裏の小さな窓辺で、夜の町を眺めながら、ぼんやり考えたりしていた。
◇◇◇
「これ、白鴎亭に」
「はい、行ってきまーす!」
「気をつけてな」
今日はダンさんに配達を頼まれた。
受けとった籠には、バゲット三つ、ロールパン二十個。これを馴染みの食堂に届けるのが、本日午後の仕事。
食堂までてくてくと歩いていく。
配達の仕事は、わりと好き。散歩みたいで気分が上がる。ただし晴れの日限定だけど。
今日はからりと晴れていて、最高の配達日和である。
さくっと食堂にパンを届け、受取書にサインを貰い、食堂の店主に挨拶して表に出た。
そして、鼻唄を歌いながら歩いてきた帰り道──
あたしは運悪く、厄介な奴らに出くわしてしまったのだった。
「……よぉ。久しぶりだな、親無し女」
「これから物乞いですかぁ?」
「おー怖い。睨むなよ」
ニヤニヤしながら絡んできたのは、孤児院の子にしょっちゅう嫌がらせしていた、悪ガキ三人組だった。
「…………」
うっさいクズども。
心の中で罵倒しつつガン無視する。
今は配達の帰り道。つまり仕事中だ。揉め事を起こして帰りが遅くなったら、ダンさんに迷惑をかけてしまう。
キレそうなのを我慢して、無反応でやり過ごす。でも、今日の悪ガキどもは、うんざりするくらいしつこかった。
「おい無視すんなよ」
「俺達と遊ぼうぜー、なあ?」
ニヤニヤしている一人にぐっと腕を掴まれた。振りほどこうとしたら、ますます強く引っ張られて、つい怒鳴り声を上げた。
「っ、離せバカ!こっちはあんた達に構ってる暇なんかない!」
「あぁ?この女、ほんっと生意気だよな」
「お仕置きが必要じゃねーの?」
そんな会話と共に、引きずられるようにして向かった先は、ひと気のない路地。
顔から血の気が引く。かなり不味い。人目がなければ何をされるか分からない。
身の危険を感じて、悲鳴を上げようと大きく息を吸った、その時だった。
ドン、と鈍い音がした。
少し遅れて、風があたしの栗色の髪を揺らした。
「コイツに触るな」
顔を上げると、そこに立っていたのは、見たこともないほどの怒りで紫の瞳をギラつかせた、ライカだった。
何が起こったのだろう。
悪ガキどもは仰向けに倒れて、ゴホゴホと咳き込んでいる。
ライカは少し離れた所に立ったままだ。きっと彼が物理的に何かしたわけではない。おそらく、魔法か何かで吹き飛ばしたのだろう。
ライカの周囲でどす黒いオーラが揺れる。空気で圧死させそうな迫力で、彼は三馬鹿にツカツカと歩み寄ると、ドスの効いた低い声で警告した。
「………三数える間に消えろ。でないと殺してやる」
「ひっ……」
「いーち、にー……」
「わ、わかったから!やめてくれ!」
「くそっ、行くぞお前ら!」
本気の殺気に当てられたのか、怯えきった悪ガキどもは、足をもつれさせながら走って逃げていった。
「……おい」
まだ状況が飲みこめず、唖然としていたら、ライカはあたしを見て眉をひそめた。そして軽く舌打ちした。
「……お前、あのゴミどもに何もされてねぇだろうな。万一されてたら、今からでも追いかけてブッコロしてやる」
「え?えーと、大丈夫だよ……何かされる前にライカが助けてくれたから……」
「ならいーけどよ」
「うん、ありがとね」
ホッとしてライカを見上げると、彼は挙動不審に腕をワタワタさせて顔を背けた。
「ぐっ、ベベ別に、たまたま通りがかったら、お前が絡まれてるのが見えたっつーか!つまり、偶然だ偶然ッ!!!」
「わかった、わかったから!」
ライカは相変わらず、声の主張が激しい。つまりやかましい。でも何だか懐かしくて、自然と口元に笑みが浮かぶ。
あたしは、三年ぶりに会った少年を見上げた。……なんだか悔しいな。
ライカはずいぶん背が伸びて、あたしより頭半分大きくなっていた。
「……ねえ、あたしの身長を抜かすなんて生意気なんじゃない?」
学院の制服と思われる濃紺のローブも、顔が良くてスラッとしているせいか、かなり様になっている。口に出して誉めたりなんか絶対しないけど。
ライカは挙動不審をピタリとやめて、あたしを見下ろすと、憎たらしいドヤ顔をキメた。
「フン、今はお前の方がチビだな。参ったか」
「うるっさい。でも、元気そうで良かったわ」
「ったりめーだ!お前も、その……」
と、そこで、時間を知らせる教会の鐘が、リンゴーンと辺りに鳴り響いた。時間を確認して、今度はあたしがわたわたと慌てる番だった。
「うわ、もうお店に戻んなきゃ。ライカ、またね!」
ダンさんはこのくらいの遅刻で怒る人ではないけれど、今日はたくさん注文が入ってた。やる事は山盛りだ。
あたしは慌てて踵を返した。その横に、むすっとしたライカが並ぶ。
「……ライカもこっちに用事があるの?」
「送ってく」
「へっ……!?」
この時のあたしは、最高に間抜けな顔をしていたに違いない。
思わずまじまじとライカを見る。コイツからこんなにあからさまな気づかいを受ける事なんて滅多になかったからだ。明日、空から槍が降るかもしれない。
「い、いいの……?」
「フン、あのクズどもが、まだその辺ウロウロしてるかもしれねぇだろ」
「あ、うん。ありがとう…………」
ライカはさっと目をそらし、口をへの字に曲げた。実際、あの三馬鹿とまた遭遇したら厄介だな、と思ってたから助かるけど。
──でも、よくよく考えてみれば、コイツは孤児院にいた頃から、ごく稀に、こういう優しい所があった。魔法学院に行って、少しは素直になる事を覚えたんだろうか……なんて考えていると、ライカは「グズグズすんな、行くぞオラ」と舌打ちして歩きだした。
その背中にあたしは慌ててついていく。
そして──なぜかその日から、ライカは三日に一度くらいの割合で、うちのパン屋に顔を出すようになったのだった。