01_出会い
か、かっわいいいい!!!
それが彼の第一印象だった。
だけどそいつは、口を開いたら全然かわいくなかった。
「はじめまして。あたしルーナっていうの、よろし……」
「うぜえ近寄んなブス」
「ブ……なんですってえ!?」
あたしのあだ名は「瞬間湯沸かしケトル」だ。ブスと言われて、黙って引き下がる性格ではない。
気がついたら反射的に手を伸ばし、そいつの頬を思い切りつねっていた。
「いででで、はなせよ暴力女ァ!!」
「いっ、よくも蹴ったわね!!」
「はいストーーーップ」
年長のイヴァンがポカスカ殴りあうあたし達の間に割って入る。
「まあまあ、落ち着いて二人とも」
肩で息をしながら睨み合うあたしと少年を、イヴァンはどうどうと宥めた。
少年はあたしにだけわかるように口だけを動かし、「ブス」と言った。
……こいつ、いつかぜったいブッコロす。
あたしはこの瞬間心に誓った。これが八歳の時の、ライカとの出会いだった。
──ここはあたしが育った王都の孤児院である。
建物こそ古くてボロっちいけれど、この手の施設にありがちな虐待なんかもなく、のんびりした空気の中、子ども達はすくすくと育っていた。
今日は同い年の新人が入ってくると聞いて、あたしはちょっとだけ楽しみだった。
どんな子かなぁ、仲良くなれるかなぁ……
なんて、ソワソワしながら待っていると、院長に連れられてその子が講堂にやってきた。
一目見てあたしはすっかりその子の虜になってしまった。ツンツンした銀の髪に、宝石のように硬質な輝きを宿した紫の瞳。かわいらしい顔立ちで、背はやや低め。
うわあうわあ、かっわいい!とあたしのテンションは爆上がりした。
ふくよかな老婦人、もとい院長は、「みんな、ライカと仲良くしてあげてね」と言って彼を講堂に置いていなくなった。院長は「忙しい、忙しい」と言いながら出ていく。でもあれはただの口癖で、本当はそんなに忙しくないのをみんな知っている。
新しく来た子と話したくてうずうずしていたあたしは、真っ先にライカに駆け寄って声をかけた。
だって早く仲良くなりたかったから。
その返しがさっきの暴言、「うぜえ近寄んなブス」である。
……許すまじ。
イヴァンにニコニコしながら嗜められた新人──ライカは、むすっとした顔で「フン」とそっぽを向いた。
生意気な横顔を見てまた殴りたくなったが、イヴァンが微笑みながらも冷やかな空気を発している。
あたしは渋々引き下がった。
うちの孤児院で一番怒らせたら怖いのが、この終始笑顔を絶やさないイヴァンなのだ。
◇◇◇
それからというもの、あたしとライカは永遠のライバルになった。
誰が早く朝食を食べ終えるか。
字を覚えるのはどちらが先か。
床掃除であたしが院長に誉められれば、次の週は本気を出したライカが誉められていた。
「「あいつには絶対負けたくない……!」」
あたし達の唯一の共通点は、それだった。
ライカは口が悪くて手が早く、院長も時々手を焼いていて、まるで尖ったナイフのようだった。ただ、意外にも、自分より小さな子には優しかった。
いや、イヴァンや他の年長の子にもつっけんどんだけど、そんなに突っ掛かりはしない。
やられたらやり返すけど、率先して意地悪を言うのはあたしだけ。
一体何なんだアイツは。
──と思っていたら、廊下の向こうからやってきたライカと目があった。
「どけ邪魔だブス」
「はーぁ!?ふざけんなこのチビ!!」
「ぐっ、なんだコラ、ブス!」
「イヴァンにーちゃーん、ルーナねえちゃんがライカに回し蹴りしたぁー!」
「あっでも腕でガードしてるー!」
「甘いわ、ライカ!」
「のわっ!てめえ……ッ」
「あっルーナねえちゃんの足払いがキマったぁ!」
「ハイ喧嘩はそこまで」
小さい子達に呼ばれて、ニコニコしたイヴァンがやってきた。
ツカツカとこっちに歩み寄ると、掴みあっているあたし達をべりっと引き剥がす。
「うん、二人ともいい加減にしようか?」
「……」
「……」
イヴァンの笑顔は圧が強い。あたし達は互いを一睨みしてその場を離れた。
ライカが舌打ちするのが後ろから聞こえて、苛立ちに拍車をかける。
あいつマジいつかぜったいブッコロす。
◇◇◇
そんなこんなで四年が過ぎ、あたし達は十二歳になっていた。
この国では、十二歳になると魔力測定をしなければならない。といっても、最寄りの教会に行って、測定の魔道具に触れるだけの、簡単な儀式なんだけど。
この儀式は、国が魔法適性のある人間を見つけるためにやってるんだそうだ。
魔法が使えるレベルの魔力持ちは年々減り続けており、今では貴重な存在になっている。
魔力持ちってだけなら百人に二、三人はいる。でも、魔法を自在に操れるくらい豊富な魔力を持つ者は、千人に一人いるかいないか。
王府はそういう人間を見つけて、優秀な魔法師に育て上げようとしているのだ。
もし儀式で適性があると判断されたら、身分に関係なく、王府が運営する魔法学院で、英才教育を受けることになる。
これは二十年ほど前の話だけど、平民から王宮魔法師になった男が魔獣討伐で活躍し、美しい貴族令嬢との熱愛の末に電撃結婚、という逆玉サクセスストーリーがあった。
彼は"深月の聖魔導師"と呼ばれ、知らない者はいないくらい有名だ。戯曲や絵本の題材にもなっている。
要するに、魔力測定の儀式は、平民が成り上がるビッグチャンスでもあるわけだけど……
「まあ、あたしらには関係ないよねえ。なんたって千人に一人だもん」
「はっ、あたしらってなんだよ。この俺をお前なんかと一緒にすんな」
「あっはっは、あいかわらず自信過剰なチビね。これであんたの魔力があたしより少なかったら、全力で笑ってやるわ!」
「うるせえブス!」
教会に行く道すがらも、あたしとライカはやっぱり小競り合いになっていた。
──ところが、である。
「…………」
「嘘、でしょ」
ライカが指先で触れた魔力測定の魔道具は、検出値の限界を超え、一番右端まで振り切れていた。
「こんなの見たことないぞ」と立ち会った聖職者達もざわついている。
ライカもまた、紫水晶のような瞳を真ん丸にして動揺していた。でもその横顔はひどく青ざめて強張っており、ちっとも嬉しそうに見えなかった。
──あれよあれよという間に、ライカは魔法学院の寄宿舎に入る事が決まった。
それだけではなく、とんでもない魔力量を見込まれて、とある有力貴族が後見人に名乗りを上げたそうだ。
周りはみんなライカを羨ましがっていた。
でも、その急激な変化に、本人が一番戸惑っているように見えた。
明日、ライカが孤児院を去る、という夜。
夕食の時間になっても見当たらないライカを探して、あたしは建物のあちこちを探した。
彼は孤児院の屋根に登って、膝を抱えて夜空を見上げていた。
「こんな所にいたのね。夕飯抜いたら背が伸びないわよ、チビ」
「うっせえブス」
憎まれ口に、いつもの罵倒が帰ってくる。
でもライカにしては口調に覇気がない。顔色も冴えない。やれやれ、とあたしも屋根に登って、彼の横に少し離れて座った。
「……柄にもなくしょぼくれてるのね。心細いの?」
「そんなわけねぇだろ」
「あっそ。まあせいぜい頑張ってね」
「ふん、言われなくとも」
鼻を鳴らしたライカに、「ねえ」と声をかける。
「ここにはイヴァンとかもいるし……寂しくなったらいつでも顔出していいのよ。あんた、性格悪いから学院で友達作れなさそうだもんね」
「あぁん!?余計なお世話だっつーの!!」
「ほらそういうとこ」
ギッとあたしを睨んだライカにいつもの調子が戻ったのを見て、あたしはさっと屋根から降りた。
「じゃあね、チビ。明日からあんたの顔を見なくていいと思うと、せいせいするわ!」
ひらひらと手を振って、あたしは建物に入った。
あたしはちゃんと憎たらしく笑えていただろうか。
その夜はちくちくと胸が痛くて、よく眠れなかった。
◇◇◇
翌朝、迎えの馬車がやって来て、ライカを乗せると、あっさり行ってしまった。
あたしは昨日ライカと並んで座った屋根に登って、彼を乗せた馬車が見えなくなるまで、ずっと見送っていた。
口が悪くて嫌なヤツだった。
でも今はなぜか、そうじゃない思い出ばかりが甦る。
あたしが卵を好きだと知って、「俺は卵焼きが嫌いなんだよ」と、自分の分をあたしの皿に入れてくれたこと。
こっそり餌をあげてた猫がいなくなった時、ブツブツ言いながらも一緒に探してくれたこと。
孤児院の年少の子が町のいじめっ子に絡まれてた時、一緒に撃退してくれたこと。
とうに馬車が去っていった方角を眺めながら、ぐすっと鼻を啜っていると、「ここにいたんだね」とイヴァンの声がした。
イヴァンは屋根に登ってあたしの隣に座った。
「……大丈夫?」
「何が!?全然大丈夫だし!」
「……君、なんだかんだライカのことが好きだった?」
「そんなわけないでしょ!もうアイツの顔を見なくてすむから、嬉し泣きよ!」
イヴァンは「本当にルーナって意地っ張りだよねえ」と笑いながら、膝に顔を埋めたあたしの頭をポンポンと撫でてくれた。