狂(ふれ)て
蒼天院の南壁。
高さ5mの巨大なバラ窓のステンドグラスがあり、日差しに輝いていた。
その下に、あの補佐官の像がある。
”20人力”のセルヴィークは、そこで死んでいた。
上半身が左右で縦に割られて。
首は、持ち去られていた。
「…首を落とした後に身体を切り開いた?
…ううっ。」
死体を調べていた”血塗れ”ミュラは、口を手で抑えた。
狩人とは思えない無垢な仕種だ。
一応、死んだ狩人たちを調べておく。
死を偽装するということも考えられる。
借金やら何か犯罪に関わって逃亡する狩人がいない訳ではない。
もっともそんな俗っぽい狩人は、糞虫以外に見たことがないが。
「…あの、ここは…?
何があったんですかッ!?」
ミュラは、声がする方に振り返った。
そこには、血の海の中にも関わらずキレイな衣服のままの女がいた。
蒼天院の狩人、”首切り人”エルヴィーサだ。
「…生きてるのは、貴女だけです。」
ミュラが青い顔でエルヴィーサにいった。
しかしエルヴィーサは、様子がおかしい。
「な、なんで…。
なんでこんなに死体がいっぱいあるんですか?
ここは、戦争でもあったんですか?」
と震えながら話す。
ミュラは、目を細めた。
動揺するエルヴィーサは、あたふたして落ち着きがない。
昨日とは、まったくの別人のようだ。
「きゃあッ!?」
エルヴィーサは、”ナイフ使い”ジェダで転んだ。
そのまま”夜警の狩人”マリアンナの上に倒れ込む。
「いやあああッ!!!」
しばらくミュラは、エルヴィーサの様子を観察していた。
彼女が助けを必要とする状態であることは、すぐ分かる。
しかし正気を無くした狩人は、危険である。
おいそれと近づくべきではなった。
ミュラは、先日のことを思い出す。
ここに来るまでのことだ。
糞虫の巣の院長、”正直者”ジョハンは、いう。
「アーンスローの獣だが…。
君を送り込みたい。」
密会場所は、辺鄙な崩れかけた塔の中だった。
周囲には、糞虫の狩人たちが配置されている。
寒々とした灰色の空の下。
背の高い枯草原を狩人たちが警戒していた。
崩れた壁を挟んで彼らとミュラの目が合う。
ミュラは、2日前に呼び出された。
どうしてこんな人気のない場所を指定されたのか。
どうしてこんな警備が必要なのか。
彼女は、ちんぷんかんぷんだった。
ジョハンは、いう。
「…あまり名の知れた者を送ると蒼天院が警戒する。
それに君も良い経験が積めるだろ?」
「はあ。」
ミュラは、困ったものか。
それとも呆れたものか。
何とも態度を決め兼ねた。
狩人の騎士団を構成する支部のひとつ。
にも関わらず蒼天院は、自分たちの膝元で獣を狩れぬという。
「院長。
今回の件に宿礼院は、関係ないのでしょうか?」
「う~ん?」
赤鼻の壮年男は、白髪混じりの眉を指で抑える。
ミュラの疑問に、やや面倒くさそうに答えてやった。
「彼らならもっと堂々とやるよ。
それに1000人も人狩りはせんだろう。
それほど珍しい患者がアーンスローだけに現れるとも思えんしね…。
第一、今の彼らは、患者の治療でそれどころじゃない。
手術中は、宿礼院がこちら側で活動することは滅多にない。
…と私は、考えているんだがね。」
「なるほど。」
ミュラは、小さく頷いた。
しかしジョハンは、首を傾げる。
「いや、すべて推測に過ぎないから。
宿礼院が何を考えているのかは、誰にも分からない。
…常に彼らの可能性を排除するべきではない、かも知れないね。」
ここで”正直者”ジョハンは、苦笑いする。
「正直、ウチの誰かが絡んでる可能性すらある。
アーンスローに損益を出させたい資本家たちだ。
…ここのところ、株価がかなり下がっている…。」
「それは、当然でしょうね。」
ミュラは、ウンザリしていた。
ジョハンは、俗っぽ過ぎる。
犯罪界の帝王などと言われているが小銭を盗むために人のポケットに手を突っ込む輩の親玉に過ぎない。
もっとも腕は、確かだが。
「実は、ポリスキーが死んだ。」
やにわにジョハンがそう言うとミュラは、表情を曇らせる。
「密偵を?」
驚いたミュラにジョハンは、すぐさま答える。
「当たり前だろう。
身内同士で殺し合っては、賢人会議が黙っておらんからな。」
「じゃあ、蒼天院に死体が見つかったのでしょうか?」
とミュラが心配そうに問う。
話しながらジョハンは、コーヒーのカップに手を着けた。
「いや、平気だ。
…死体は、宿礼院に処理させた。
宿礼院が出てくれば蒼天院も死体に手を出せんからな。
実は、この方法でいつも死体を隠している。
連中は、話が分かる。
何、宿礼院も狩人の死体は、使い道があるだろうから…。
”隙っ歯”のポリスキーに珍しい病気があれば…。」
「…私、健康診断、受け直そうかしら…。」
そう言ってミュラもコーヒーに手を伸ばした。
ジョハンは、アーンスローの事件が俗っぽい犯罪だと推理していた。
確かに宿礼院が関わっているような印象はない。
彼らは、極めて超俗的で宇宙的な多次元の思索に耽っている。
アーンスローの空気には、その独特の匂いを感じない。
それをミュラは、実際に現地に赴いて実感していた。
しかし同時に宿礼院の行動は、理解し難い。
心に留めておく必要がある。
「エルヴィーサさん。
ここを出ましょう。」
ミュラは、取り乱すエルヴィーサの身体に腕を回した。
「あああーッ!
ああッ、いやーッ!!」
まだエルヴィーサは、恐慌状態から冷めない。
死体の上に倒れてしまったのだから当然だろう。
ミュラは、なんとかそれを抑えつける。
そして礼拝堂から彼女を連れ出し、なんとか落ち着かせる。
「記憶がない?」
ミュラは、エルヴィーサに確認する。
陰鬱な表情で背中を丸め、椅子に座ったエルヴィーサが答える。
「はい。」
そう言ってエルヴィーサは、頷く。
彼女の真っ青な顔に血の気が若干、戻り始めた。
ミュラは、手で顎先を触りながら考えた。
血に狂った?
昨夜の事件の影響?
これは、一時的なものだろうか。
「………。」
考え込むミュラをエルヴィーサは、まじまじと見つめる。
女のエルヴィーサでもミュラの大きな胸が気になる。
「とりあえず、ここで待っててくださいっ。」
ミュラは、そう言って部屋を出て行った。
エルヴィーサを放置するのは、危険だ。
だがそれでも今すぐやらなければならないことがあるからだ。
エルヴィーサは、言われた通りに椅子に座って待つ。
その間、何とか記憶を繋ぎ合わせようと試みることにした。
蒼天院が襲撃され、街は、大騒ぎになっていた。
大聖堂は、死体の後片付けで大童だ。
大司教は、難を逃れた。
しかし多くの僧侶も狩人たちに混じって犠牲になっている。
大聖堂から次々と死体が運び出される。
どれも原形を留めていない。
血塗れの小さな袋が増えるだけだ。
「蒼天院が襲撃されるなんて…。」
「ああ、神様っ。」
「もう、おしまいだぁッ。」
野次馬は、青い顔をしてヒステリックに喚いていた。
ミュラは、人込みを避け、裏門から出る。
「さて、と…。」
昨晩の襲撃は、”猛獣使い”と呼ばれる事件の黒幕の仕業だろうか。
しかし生き残りが居たことが致命的だ。
獣の痕跡を辿って相手の根城を見つけられる。
「………血。」
大勢の労働者に混じりながらミュラは、街灯に着いた血痕を指で確かめる。
あの数の獣が痕跡を隠せる訳がない。
疲れ切った男たちは、ミュラのはち切れそうな身体を横目で見ながら歩いて行く。
胸の大きな膨らみ。
輝く黄金の髪は、人々の羨望を集めた。
後ろ姿のお尻には、男たちも遠慮なく熱中する。
ここがエル・アキフやタウランならミュラは、拐されていただろう。
「…いやだ。」
流石に人目が気になってミュラは、当惑した。
しかし獣の跡を追わなければならない。
結局、小1時間歩かされた。
獣の痕跡は、廃屋街に続いていた。
どうして人が住まなくなったのか。
それは、今どうでもいい。
ミュラは、汚れたアーンスローの下町でも特に酷い一角に踏み込んだ。
こちらが獣の気配に気付いているのと同じに向こうも勘付いている。
すぐさま廃屋から獣が飛び出して来た。
「■■■■■■■ー――ッ!!」
「!」
ミュラの左手に構えた獣狩りの銃が火を噴く。
弾は、獣の右腿に着弾した。
お世辞にも上手とは言えない。
しかし万事、ミュラの血質がものを言う。
掠ればほぼ確実に死に至る。
それは、彼女の右手用武器でも銃でも同じだ。
「■■■■■■■■■ッ!!」
獣は、血を噴いてのたうち回る。
即死こそしなかったが二度と立てないだろう。
ミュラは、右手でサーベルを引き抜く。
ドン臭い彼女には、仕掛け武器を持たせるのは危なっかしい。
そこで狩人の工房は、刀身に血を伝わせるだけの武器を誂えた。
この刀は、極東から取り寄せられ、工房がミュラの血を磨り込んだ。
仕掛けにより刀を伝う血は、ノコギリ状の細かな刃となる。
ノコギリは、獣狩りに効果がある。
そのように古くから信じられてきたからだ。
ミュラの血を十分に吸い狂血の刃が完成する。
これこそ、彼女の特別な血を活かした狩り道具だ。
「…次ぎは…。」
ミュラが小声で呟いた。
ミュラが横に退く。
すると、まさにさっきまでミュラの立っていた場所に獣が飛びかかって来た。
「よっと…!」
恐る恐るミュラは、刃を獣に突き立てる。
すぐ獣は、絶叫して倒れた。
「■■■■■■■■■■ッ!!」
「えっ…ととと。」
刀を抜いた拍子にミュラは、体勢を崩して倒れかかる。
「うわあっ!」
「■■■■■■■■■ッ!
■■■■ッ!!」
そこを逃さず別の獣が襲い掛かって来た。
黒い毛でおおわれた前脚の曲がった爪がミュラに迫る。
「ひゃあ…っ!」
しかしミュラは、難を逃れることができた。
相手の前脚に刃が触れたのだ。
「■■■ーッ!!」
獣は、焼けた鉄から手を離すように前脚を引っ込める。
しかし僅かな傷から狂血が全身に回っていた。
「■■■■■■ッ!!」
激痛に苦しみながら毛むくじゃらの顔が歪む。
さっきから、ずっと斬られた前脚を地面や家の壁に叩きつけている。
そして、やがて口から血の泡を吹いて倒れる。
狂血の刃は、ミュラのか細い膂力で振り回せる。
そのギリギリの重さ、長さしかない。
しかし接触即死の仕掛け武器である。
故に常の武器のように強く振る必要がない。
本当にただ刃で相手を撫でる程度でも構わないのだ。
従ってミュラの身体は、力み、強張りがない。
構える必要がない。
そのため逃げ回ることも容易にできる。
にも関わらず、並みの狩人の3倍は時間がかかったろう。
「はあ、はあ、はあ…。」
ミュラは、ようやく全ての獣を狩り終えた。
疲労で震える両手。
ミュラは、今になって水銀弾を再装填する。
戦いながら弾を装填できない狩人など、ミュラしかいないだろう。
ジャコンッ!
「………いッ。」
銃身を戻す時に思わず目を瞑ってしまう。
これでは、弾を入れる間に獣の餌食だ。
よく今まで生きていた。
「…ここは、敵の根城じゃないみたい。」
使い捨てか。
襲撃に向かわせた獣は、主人の許に帰ることはなかったのだ。
最初からそのつもりか、猛獣使いとやら。




