糞虫から来ました
鋭く背の高い尖った屋根を乗せたレンガ作りの建物。
これでもかと言わんばかりに建物同士が寄った狭い道。
影の中を暗い顔で男たちが重い足取りで歩いている。
地方から出てきた労働者であろう。
仕事を求めてアーンスローに流れ込んで来た。
しかし帰る家はない。
皆、薄汚れた服のまま道路に座り込んだ。
彼らは、夜勤者だ。
夜には、昼間働いている者たちが入れ替わりで、ここに寝転がる。
無宿者たちは、工場、食堂、売春宿、そしてこの路地を交互に通うだろう。
冷たい石畳の上で夜を待つ。
黒ずんだ家々がアーンスローの南東に広がっている。
新市街だ。
背中合わせの家々が狭い土地に密集している。
ただ一つの共有便所が屋外にある。
それが何故か妙に不気味に見えた。
壁も屋根もくすんで黒い筋が垂れている。
絶えず工場から出続ける煤と煙が新市街を汚しているのだ。
立ち込める悪臭にも住民は、馴れっこだが…。
風上となる北西には、工場の煤も煙も届かない。
ここには、アーンスローに古くから住み続ける富裕層の輝く高級住宅街が並ぶ。
大路には、真新しいガス灯が並び、見事な庭が往還に接している。
どの建物も金メッキを施した女神や聖人像、植物を模した彫刻、あるいは幾何学的な模様、渦巻型装飾が柱、壁、窓と随所に作り込まれている。
切妻屋根にかかる壮麗な破風板。
尖塔アーチ付きランセット窓、多角形の突き出し。
凹凸のある壁面は、うねり、曲線を多用している。
これらは、古城や聖堂、あるいは太古の神殿をモチーフとした。
すなわち復古建築である。
この宝石箱のような北西の旧市街に例のルドゲート大聖堂が建っている。
今日は、大聖堂に馬車や自動車が何台も停まっている。
特に自動車は、蒸気機関を利用した真新しい発明品である。
そして蒼天院には、それらに乗ってやって来た男たちが集まっていた。
鷹のような鋭い目をした体格に恵まれた人々だった。
「ふざけた人攫いだ。
1000人だと?
バレるのを承知でやっているのか。」
やや高齢の紳士が苛立った様子で話す。
彼の上着を飾る肩章、金飾緒、妄りに光る勲章の数々。
それは、彼が将校であることを窺わせる。
彼がこの場の責任者らしく長テーブルの上座に陣取っている。
テーブルには、百人前後のがっしりした男女が並ぶ。
「しかし連隊長…。
もう、かなり死人が出ています。
犯人の足取りを追っていた者らが…。」
見事な口髭を蓄えた中年男がそういった。
口調は、困り果てかなり弱々しい。
そこに若い兵士らしい女が付け加える。
「一晩で6人です。
いずれも狼に食われたような死体で。」
「狼男だと?」
連隊長と呼ばれた紳士がテーブルに身を乗り出して女に訊ねる。
やや疲れた様子で女が答えた。
「いえ。
獣の死骸を発見しました。」
これを聞いて連隊長は、手で自分の口元を掴むと左右の頬を指で揉みながら呟く。
「…アーンスローに狼の群れが紛れ込んで餌を探しているのか。」
一昔前、魔女狩りが流行した。
その頃のアーンスローで、ここ蒼天院に男たちが集まって自警団を組織した。
それが蒼天院と呼ばれる人狩りの起源である。
構成員は、軍人や私立探偵、医者や教師などの知識人からなる。
彼らは今や、ウィッチドン州警察となった。
また遠方からも依頼を受けて構成員を派遣している。
さて、そして今、蒼天院は、連続人攫い事件に取り掛かっている。
これは、あきらかに尋常な事件ではない。
顔に大きな傷のある大男が連隊長にいった。
「連隊長。
我々は、獣を引き連れた犯人たちを便宜上、こう呼んでいます。
”猛獣使い”と…。」
それを聞いた連隊長は、肩をゆすって応える。
「くくっ。
なるほど、”猛獣使い”か…。」
蒼天院のリーダー、連隊長。
彼が9代目の”喧しい”ルーシェンである。
もともとは、経歴ある軍人であった。
また狙撃手の第一人者として後進の育成にも当たり、”教授”と呼ばれた。
”喧しい”ルーシェンというあだ名も教え子や同僚が付けたものだ。
「しかし、これだけのメンツが揃ったのです。
連隊長、すぐに猛獣使いを探し出し、蒼天院の名誉を回復しましょう…!」
と話した顔に傷がある大男が”人間砲台”エクトル。
大砲を担いで、そのまま敵陣に発射したという怪力の持ち主だ。
口髭の中年男が”墓守”ガルフレット。
近年流行した墓荒らしの摘発に貢献した。
特に捕まえた墓泥棒たちから盗掘品の売買ルートを拷問で吐かせた、その手管で恐れられている。
「攫われた人々の生死に関わらず…。
もし不幸な場合、彼らの遺体の場所も吐かせて見せるぞ。」
ガルフレットがそう言うと皆がニヤリとした。
他に”鉄腕”トリグロワ、軍医オースガン、”黒軍服”のハイクラフト。
そして”首斬り人”エルヴィーサ。
とにかく血生臭い連中が集められた。
彼らこそ、蒼天院の中でも”狩人”と呼ばれる肩書を持つ特別な構成員。
すなわち額面通りの狩人ではなく、重犯罪人や人ならぬ怪異を狩る者たち。
彼らは、神秘的な事件に関わる秘密結社に属し、特別な知識と技術を伝える。
「あのー…。」
急に女の声がした。
マヌケな声だ。
「あ、あの…。
えっと…、あのー………?」
礼拝堂に一人の若い女が入って来た。
一斉に軍用犬のような蒼天院の狩人たちが顔を向けた。
鋭い目が来訪者に集中する。
なんとも気の弱そうな女だ。
不安そうに、コツコツと歩いてくる姿は、みっともない。
しかし彼女の真っ白な服装は、確かに狩り装束の作りをしていた。
獣との戦いを想定し、補強されたものだ。
輝く黄金の髪。
長いまつ毛に縁取られた青い宝石のような瞳。
丁度、蒼天院の天井画に描かれた天使が、この場に降り立ったように美しい。
大きく膨らんだ乳房、悩ましくくびれた腰、男を喜ばせる肥り肉の肢体。
狩り装束は、ぴったりと彼女の体型に合わせて張り付いていた。
そんな肉感的な姿は、誰の目も引く。
厳めしい蒼天院の男たちも大聖堂の僧侶さえ、彼女に見蕩れていた。
幼い小坊主まで口を大きく開けて女を必死に見ている。
女であっても羨望と嫉妬の目を向け、無視することができない。
「あのっ。
連隊長殿は、こちらにいらっしゃいますでしょうか?」
女は、蒼天院の狩人たちを見渡して、そういった。
返答はない。
蒼天院の狩人たちは、しばらくむすっと黙り込んでいた。
互いに目配せし、様子を伺う。
ややあって連隊長ルーシェンが自分から口を開いた。
「…なんだ、貴公は?」
美人に上せる自分ではない。
そう考えていたが危険な女だと感じていた。
特に目の前の女は、信じられないほど美しく。
生涯、見たことがない艶やかな肉体に見蕩れてしまう。
そして何か企んでいるように全く見えないのだ。
若い女は、警戒心を露わにする蒼天院の狩人たちに怯えながら
「ど、どうも…。
糞虫の宝探し、”血塗れ”ミュラです。」
と名乗った。
名乗った所で蒼天院の狩人は、一同、首をかしげる。
怪訝に眉を吊り上げ、腰に手を着いている。
「は、ははは…。」
ミュラは、心許しに微笑む。
だが一同の目線は、冷たい。
「………うむ。
貴様、糞虫の巣から来たのか?」
蒼天院の狩人、”探偵”レイアードが訊いた。
ミュラは、そう言ったのに、といった顔でまた答える。
「は、はい。
私は、糞虫の巣に所属しています。」
狩人は、幾らかの支部に別れ、狩人の騎士団が統括している。
糞虫の巣は、そのひとつ。
多くが犯罪者、娼婦、暗殺者など裏社会の人間が所属している。
獣も犯罪者も人目を避けるもの。
糞虫は、同業者から獣を捜し出す狩人だ。
取り分け宝探し屋は、糞虫の起源である。
以来、一つの派閥をなしていた。
まず考古学と神秘に関する広範な知識を備えていなければならないという特殊性。
また盗掘した宝を買い取ってくれる上流社会との繋がりを持つ。
あるいは、熱狂的な信徒で聖遺物の収拾に使命感を抱いていた。
いずれにしても宝を見つける能力とそれを納める相手があって宝探しは成立する。
従ってこの2点を持たない者は、宝探し屋の一員にはなり得ない。
そもそも糞虫の狩人は、彼らを裏で操る特権階級の姿があった。
宝探したちの背後には、大ヴィネア博物館と聖ウルス教会があると噂されていた。
「なるほどね。」
レイアードは、そういって見事な口髭を指でねじった。
美しく若い女が糞虫の狩人だと名乗る。
はじめ、娼婦に偽装する暗殺者かと思われた。
しかし上流社会に出入りするには、それなりの容姿が求められるだろう。
彼女が貴族の屋敷に赴いても、まさか盗掘品を運んで来たとは思われまい。
それに彼女の物腰、言葉のイントネーションは、下層階級のものではない。
高位聖職者か、学者の娘。
いずれにしても良家の令嬢。
そんなところだろう。
「…ちっ。」
ハッキリそれと分かるほど、”首斬り人”エルヴィーサが舌打ちした。
女軍人は、探偵をなじる。
「レイアード。
貴様、この女が坊主か学者の娘とでも推理してるんじゃないか?」
図星であった。
レイアードは、不愉快そうに顔を向けず、エルヴィーサを横目だけで睨む。
エルヴィーサは、腕を組んで右手の親指で顎の先を掻きながら
「こんな美しく大人しそうな女が毒婦のハズがない。
男の願望だ。
…ヘボ探偵の考えそうなこった。」
と馬鹿にした。
レイアードは、目に見えて怒ったが反論しなかった。
またエルヴィーサは、自論を滔々と語った。
「見た目に騙されるな。
糞虫の狩人なんてロクなもんじゃない。
人でなしか、貴族の汚れ仕事を請け負う社会のゴミさ!
その身体で油断させて寝首を掻くんだろ。
穢れた売女が。」
エルヴィーサの意見は、やや美人に対する嫉妬とも取れる。
しかしこの場の誰もが納得できるものだった。
「どっちにしろ、狩人には見えないな。
こんなすっとろそうな女が獣を狩れるのか?
この尻に見蕩れた老人の首を掻き切るのが精々だろうよ。」
そう話してエルヴィーサは、締めくくった。
「ははは…。」
ミュラは、困ったように笑って許しを請うしかなかった。
しかし今度は、軍医オースガンが責める。
「で?
何用で来たのだ。
糞虫は、この事件について情報を持っている?」
老軍医は、消毒焼けした両手を机に着き、身を乗り出してミュラを見つめた。
ミュラは、あたふたしながら答える。
「い、いえっ。
助っ人として派遣されました。」
「…助っ人?」
オースガンの表情が厳しくなる。
当然、他の狩人も同じだ。
「他の狩人と協同する経験になるからと…。」
ミュラがそう言うと蒼天院の狩人たちの表情が若干、和らいだ。
しかし次の言葉は、許されなかった。
「それに…蒼天院の狩人は、よよよ…弱いし…。
きっと助けが要るからって…。
はは…ははは…。」
蒼天院の狩人たちは、目を剥いて怒った。
しかし連隊長が、この場を治める。
「協力は、感謝する。
しかし貴公は、私立探偵でも軍人でもない。
…何か捜査に役立つ知識があるのか?」
「な、なっ、な、ないですね…。」
ミュラは、この場の全員に睨まれて怯えながら答えた。
また連隊長は続けて
「…つまり貴公が今しがた言われた通り、戦力として蒼天院に協力する算であると?
弱い我々の助っ人として?」
と訊ねるとミュラは、嫌な汗をかきかき答える。
「は、はい…。」
「腕に相当の自信がおありのようだ。」
「はーっ、はいー…っ。」
「我々を助けて貰えるのなら、歓迎したい。」
「あ、あああ…。
ありがとうございます…。」
ミュラは、もう許して!と顔を引きつらせる。
連隊長は、右腕と頼む”墓守”ガルフレットを見る。
中年の元刑事も目をつぶって何か考えていた。
やがて目を開き、連隊長に頷いて答えた。
それを受け、連隊長もミュラに告げる。
「…うむ。
実は、既に何人かの狩人が殺害されている。
捜査にあたっていた者らがだ。
敵は、大掛かりな組織。
そして怪異───強力な獣が関わっている。
貴公の力を借りる場面もあるやも知れぬな。」
「実力があるか知らんがな。」
エルヴィーサがそう言って連隊長を怒らせた。
素早く鋭い目線を送って連隊長は、エルヴィーサを咎める。
女軍人は、顔をぷいっと背けただけで反省の色を見せない。
「…23人。
23人、もう殺されたと聞いてますけど…。」
ミュラが恐る恐るいった。
「さ、昨晩は、6人死んだって糞虫は、突き留めています。
これ以上、見ていられないというのが…院長の判断で…。
いくら蒼天院がよ、弱くても…騎士団全体の戦力低下は、困ると。」
怒るべきか、驚いたものか。
蒼天院の狩人たちは、ミュラの言葉に凍り付いた。
糞虫は、かなりの情報を掴んでいた。
「あ、あの…。
これは、院長に言えって命令されてて…。
その、私の意志ではないんですっ。」
「ん…。
いや、そんなことは言われんでも分かるが。」
蒼天院の狩人、コパフィールド軍曹が哀れむようにミュラにいう。
嫌がらせなのか。
糞虫の真意は、分からないが追い返す訳にはいかないらしい。
獣を追うどころか。
既に死人が23人に及んだことが騎士団全体に知れている。
兎にも角にも事件を終息させねば…。
「分かった。
とにかく用があるまで大聖堂に待機して貰おう。
捜査の邪魔にならんようにな。」
連隊長は、そういってエルヴィーサに目配せする。
女軍人は、肩を揺すってミュラに近づいて言った。
「ついてこい。
寝床に案内する。」
ミュラは、会釈して女軍人の後ろに着いた。
「大聖堂の宿舎は、古いからな。
貴様のデカい尻が廊下を通ればいいな。」
「は、ははは…。」
ミュラは、青褪めながらエルヴィーサに着いて礼拝堂を出て行った。
本当にミュラは、狩人と思えない足取りだ。
その背中を見ながら”人間砲台”エクトルが、ふと思い出した。
「…”血塗れ”ミュラ。
そうか、”血塗れ”ミュラか。」
「ああ、聞かない名だな。」
そうオースガンがエクトルにいった。
しかしエクトルが首を振って答えた。
「名は、ハッキリと知らなかった。
だが糞虫に血質に優れた狩人がいると聞いたことがある…。」




