弱さ
ミュラの純白の狩り装束が、夥しい血で染まった。
彼女のたわわな胸元から、どろりと血が滴る。
臀部から太腿、下肢に止めようもなく血の川が走る。
黄金の髪も血塗れになっている。
ただ、青く星のように輝く瞳だけが不気味に冴え、煌々としていた。
美しい女体が獣血に塗れた姿は、猟奇的でありながら仄暗い魅力を持っていた。
人に訊ねられれば、答えられない、愚かしい興奮を。
「…この鐘は、院長に。」
ミュラは、しゃがみ込むと血の海から古い鐘を取り上げた。
獣の布告官が持っていた鐘だ。
恐らく10万年前の世界の遺物。
暗黒のファラオがザトランを支配し、オース人が目覚める以前、大洋が地上を洗い流し、マウザボリア人が輝く諸王国を建設するよりも昔、今や猿人の境遇に堕ちたアアル人が生を倦む詩を紡いで暮し、巨大な影の下、残飯を舐めて暮らしていた時代があった。
しかしこれは、その巨人たちが君臨した時代よりも古い。
旧支配者たちが地上を支配した頃、彼らの手になる秘儀であろう。
盗掘品か。
あるいは、糞虫の目を盗んで好事家が密売人から求めたのであろう。
闇に流された遺物の中に、まだどれほどこのように危険なものがあるのだろう。
「死ねえええッ!!」
ミュラは、大声に驚いて、その場を飛び退いた。
彼女にしては、上出来の回避運動だった。
100年に1度、こんな芸当ができるとしても、もう次はないだろう。
「!?」
ミュラは、キッと素早く振り返る。
すると彼女を襲って来たのは、なんとエルヴィーサだった。
手には、巨大な斧を持っている。
刃が普通の斧とは、逆に曲線を描いて凹んでいる。
これこそ、”首切り人”エルヴィーサの仕掛け武器。
確か名前は、断頭斧だった。
話は、知っていた。
内部に特殊な高周波、あるいは振動を発生させる機構を組み込んだ仕掛け武器があると。
それは、持ち主の破壊衝動を解放し、攻撃性を高めるものだ。
しかしそれほど都合の良い機構を《星界の智慧》も借りずに工房が作成できるとは、考え難い。
出所不明の呪物を組み込んだ危険な物と噂されていた。
「よ、寄越せ…ッ。
お前の…持ってる鐘をォォォ…ッ!」
エルヴィーサは、ミュラに襲い掛かってくる。
仕掛けの影響なのか。
あれほど巨大な斧を疲れる様子もなく振り回している。
「ウオオオ…!!
ウオオオーッ…!!」
「!」
銃から弾が出ない。
ミュラは、獣の布告官に発砲してまだ再装填していないことを思い出した。
用意の良い狩人なら副装備があるだろう。
しかし彼女は、仕掛け武器も獣狩りの銃も1つづつしか持っていない。
そもそも一人前の狩人なら敵の攻撃をかわしつつ、再装填ぐらいは熟せる。
だがエルヴィーサは、仕掛けの影響で疲れを知らずに襲ってくる。
これでは、ミュラでなくとも再装填は難しい。
「えいっ!」
ミュラも苦し紛れに狂血の刃を振るう。
エルヴィーサは、とっさに後ろに飛び退いた。
接触即死。
刃が触れさえすれば一瞬でケリが着く。
といってもネタがバレていては、どうにもならない。
ここでミュラも仕掛け武器を変形させられればエルヴィーサを出し抜けるかも知れない。
だが狂血の刃は、ミュラの血でノコギリ刃を作るだけだ。
「………うっ。」
ミュラは、背中の嫌な汗を感じた。
狩人の踏み出ししかない。
エルヴィーサの正面から横に回り込んで刀の先で突く。
なんてことない。
他の狩人は、みんな出来ることだ。
落ち着いてやれば自分にも…。
「なんですか、それ?」
ミュラは、数日前のことを思い出していた。
「これが今、流行りの踏み出し。
前に一回回ってジャンプする。」
そういって派手な狩り装束の狩人がやってみせる。
前に一歩踏み込みつつ、前方宙返りを挟んで手を着かずに着地する。
もう踏み出しというより、完全に曲芸だ。
「私が踏み出しできない間に、新しい技まで…。」
ミュラが項垂れると相手の狩人が励ました。
「逆に狩人の踏み出しの簡単なやり方が見つかるかもしれないだろ?
そうさ。
…こいつを使ってみれば?」
「こ、これって…!」
赤地に金刺繍を施した狩り装束の狩人は、ミュラに狩り道具を手渡した。
ミュラは、右手の仕掛け武器を左に持ち替える。
そして腰に吊っている狩り道具を起動した。
ぱしゅっ。
軽い音と共にアンカーが飛び出し、ワイヤーが伸びる。
アンカーがガス灯に引っかかってミュラの身体を引っ張った。
「―――ッ!」
エルヴィーサの目の前からミュラが消える。
ミュラは、アンカーを外すとエルヴィーサの背後を取る。
「ご、ごめんなさい………ッ!」
ミュラは、目を瞑ってエルヴィーサの背中を、スッと傷つける。
皮一枚を斬るだけの名人芸だった。
不器用な割に時折、こういった離れ業をやってのけるものだ。
「があああッ!?
うぎゅッ…ぱあッ!!
ああ、ああッ、あああッ!!!」
だが、エルヴィーサの苦痛は、少しも穏やかではない。
巨大な獣すら苦しみ悶える狂血の威力は、掠り傷であっても十二分の効果があった。
ミュラは、思わず耳を塞ぎ、武器を取り落とした。
エルヴィーサの血が彼女の全身に降り注ぐ。
目を開けると、そこには、赤黒い肉塊があるだけだ。
人間だった痕跡は、衣類を着けていることだけ。
皮膚は、すべて直下の血管が破裂して残らず剥げ落ちていた。
「ごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめんなさい。」
ミュラは、ただ謝るしかなかった。




