大司教
大聖堂の一室。
エルヴィーサは、おぼろげな記憶が蘇りつつあった。
「私は、狩人…。
蒼天院の狩人…。」
「だ、大丈夫かね。」
自身も浅からぬ傷を負った大司教がエルヴィーサを見舞いに来た。
腕の包帯には、血が滲んで黒くなっている。
顔も青い。
「…?
あ、あなたは?」
エルヴィーサは、大司教だと分からないらしい。
目を細めて難しい表情で顔を傾げる。
大司教は、苦笑いして答える。
「はは…。
私は、アルヴィンだ。
まだ記憶が混乱しているんだね。」
「す、すいません。
お知り合いなんでしょうが、全く分からないんです。」
エルヴィーサは、そういって頭を下げた。
内心、放っておいて欲しかった。
気分が悪いし、他人の応対など煩わしい。
勿論、心配してくれているのは、分かる。
だが、さっさと出て行って欲しかった。
こんな状態で人に会いたくないからだ。
ところがアルヴィンは、空いている椅子に着座した。
「うむ。
まあ、いずれ思い出すでしょう。」
「は、はい。」
迷惑と思いながらもエルヴィーサは、アルヴィンの相手をするしかないと諦めた。
記憶が曖昧だが相手は、年長者のようだし、追い出すことができなさそうだ。
「ここの名前は、分かりますか?
アーンスローのルドゲート大聖堂というのです。」
「ルドゲート…。」
「どうです?
何か思いだせますかな?」
エルヴィーサの気持ちを知ってか知らずか。
アルヴィンは、ニコニコしながら話し続ける。
そのままエルヴィーサが心底、嫌気が差した頃だ。
「………。」
次第にアルヴィンの口数が少なくなっていった。
「………あ。」
良く見るとアルヴィンの目が血走り、唇が悍ましい色に染まっている。
「いやあああッ!!」
エルヴィーサは、悲鳴と共に椅子から飛び上がった。
アルヴィンの方でも椅子から跳躍する。
素早く床の上に、しかも四つん這いで着地した。
「…あ…がが…うう…。
ぐ…ぐぐ……■■■■■■■オ■■…!!」
アルヴィンの声は、次第に人とも動物とも判別できないものに変化していった。
顔は、ヒヒのように黒くなり、牛に似た角が現れた。
その上、ライオンのような鬣が伸び、全身に黄色い毛が生え揃う。
中肉中背の初老の肉体は、パンパンに筋肉が発達している。
「■■■■■■■…!
■■■■■■■■■■■■■■ー――ッッッ!!!」
生まれて初めて聞く生き物の声。
「■■■■■■■ッ!」
かつてアルヴィンだった生き物が牙をむいてエルヴィーサを睨む。
これが「獣」。
───「獣」の正体。
エルヴィーサは、獣から逃れるため、部屋を飛び出した。
「■■■■ッ!!
■■■■■■■■■■■■ッ!!」
アルヴィンも彼女を追う。
しかし寸でのところで扉が二人の間に隔たりとなった。
「あ、あれが「獣」…!
人間が獣になるってこと!?」
エルヴィーサは、扉から後退る。
「獣狩りは、獣になってしまった人間を殺すってこと…!?」
氷解する疑問にエルヴィーサは、懊悩した。
しかし獣は、彼女の決心など待たない。
上品なレリーフを施した木製の扉が悲鳴を上げる。
次々に獣の攻撃が扉をズタズタにするからだ。
「こ、このバケモノ!!」
エルヴィーサは、右手の銃で扉の向こうの敵を撃つ。
しかし水銀弾は、扉で威力が減衰し、獣に当たっても用を為さなかった。
また血を混ぜていないからでもある。
「た、弾を…。」
素早く腰の弾薬入れから弾を銃に装填する。
この時、にわかに記憶が蘇った。
「血を…!
そうだ、血を弾に…!!」
エルヴィーサは、適当な自分の傷口に銀色の弾を捩り着ける。
弾丸は、自分から新鮮な血を吸う。
まるで意志ある生き物であろうように、不思議だ。
「よしっ。」
弾を装填する。
しかしまず左手の不気味な武器を扉の向こうの敵に叩きつけた。
「■■■■■■■!!」
ノコギリ状の細かな刃を備えた武器は、扉の向こうの敵の額を割った。
黄色い毛に覆われた灰色の顔に血の川が流れる。
「■■■ーッ!
■■■■■■■■■!!
■■■■■■■ッ!!!」
逆上した獣は、扉を完全に突き破った。
廊下で獣と対するエルヴィーサ。
恐怖で何も出来なくなる。
そう思っていた彼女と裏腹に身体は、狩りを覚えていた。
不思議と心が安らぎ、むしろ喜びすら湧き上がってくる。
「…ふっ。」
高揚感からか。
エルヴィーサは、自然と微笑んだ。
これが狩人の踏み出し。
エルヴィーサの身体は、宙に消えた。
素早く敵の隙を突き、風のように。
敵をすり抜け、いとも簡単に背を取る。
銃口とノコギリ刃が、ほぼ同時に獣を捉える。
そして引き抜く刃と絞る引き金と共に血が二ヶ所から噴き出した。
「■■■■■■■■■■■ッ!!」
かつてアーンスロー大司教だったアルヴィンは、天に前脚を伸ばした。
黄色い毛に覆われた悍ましい前脚で。
まるで神に救いを求めるように。
それは、彼にいまだ知性の欠片があったためか。
それともただの偶然か。
あるいは、日々繰り返していた所作が本能にまで根ざし、磨り込まれていたものが自然と出てしまったのか。
「はあ、はあ…。」
さっきまで身長170cmにも満たなかったアルヴィンは、体長2mになっていた。
どこから彼の身体を巨大化させる魔力が注がれたのか。
獣化とは、まったく謎めいた怪異である。
「…何なの、いったい…。」
エルヴィーサは、獣の骸を前に呟いた。
しかし、もう恐怖も嫌悪感も失われた。
ただ使命感と正義への欲望が、ふつふつと息を吹き返していた。
狩人とは、そういうものである。
約2時間後。
エルヴィーサのところにミュラが戻って来た。
「うう…。
お風呂とかって、大聖堂にありますか?」
「ああ、狩人様!!」
ミュラを見かけた僧侶たちが一斉に集まって来た。
もはや彼らに残された希望に。
彼らは、口々に大司教の死を報告した。
「えええ!?
…か、感染者が…!!」
取り乱したミュラは、大聖堂から背を向けて走り出した。
「か、狩人様!」
「狩人様ー!」
「狩人様ぁッ!」
僧侶たちは、追いすがるようにミュラを追う。
しかしミュラは、真っ青になって走り続ける。
「感染!
感染!!
感染!!!」
と騒ぐだけ騒いでミュラは、くるっと180度向きを変えて戻って来た。
「ああ…。
私がそんな簡単に獣に感染するハズない。
大丈夫、大丈夫、大丈夫…。」
「お、お願いしますよ、狩人様っ。」
「あなただけが頼りなのです。」
「本当に大丈夫か、この人…?」
僧侶たちも不安で堪らず、訝しんだ。
蒼天院の狩人たちとは、かなり違う。
ミュラは、信頼できるのだろうか?
「そういえば、エルヴィーサさんは、どうしていますか?」
思い出したようにミュラが僧侶に訊ねる。
「だいぶ…落ち着いたみたいです。」
僧侶は、そう答えるとミュラを案内する。
壁や廊下の血を落とす僧侶たちの脇を通る。
嘆き悲しむ僧侶たちの声を聞きながら歩いた。
やがてエルヴィーサのいる部屋に二人は着く。
今、彼女は仕掛け武器と獣狩りの銃を両手に持っていた。
記憶を、感覚を取り戻すように何度も素振りを繰り返す。
走り、飛び、床を転がり、高速で横っ飛びする。
ミュラにはできないが、これが一般的な狩人の身のこなしだ。
「うわあ…。
もう完璧な狩人ですね!」
ミュラは、そういって両手を胸の前で握る。
頼れる仲間を得て、顔も明るい。
対してエルヴィーサは、不安だった。
こんな自分を頼りにされても。
「完璧というか…。」
エルヴィーサは、恥ずかしそうに答える。
「まだ感覚を取り戻せません。
…まだ自分が獣狩りの狩人なのか。
そもそも獣が何なのかも思い出せてませんし…。」
とエルヴィーサは、言った。
そんな彼女にミュラが明るく打ち明ける。
「大丈夫、大丈夫!
私、踏み出しもできないし!!」
「…。」
エルヴィーサは、ゾッとした。
狩人の踏み出しは、伝統の技術だ。
0から100、静止した体勢からの瞬間的加速。
これは、獣に対抗する基本的な技術である。
おそらく使えない狩人は、一握りもいない。
その一握りが血塗れミュラだ。
信じられないことだ。
「…ど、どうやって獣狩りの狩人に?」
引き気味のエルヴィーサにミュラも気まずそうに答える。
「と、特別な血を持っているので…。
おかげでなんとか…。
は、ははは…。」
果たしで、この二人で事件を解決できるのか。
横で見ていた僧侶は、胃が痛くなった。




