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そして次の日の朝刊にヤツは載った

作者: 有宿晶

だからあれほど気を付けろって言ったのに…。


 悪い、待たせた。


 それにしてもやな雨だよな、あとちょっとって処でバケツをひっくり返したみたいに降って来やがってさ……。おかげで上着がずぶ濡れだ。店の入り口で店員に困った顔されちまったよ。ハンガーにかけてもらったけど、帰るまでに乾くかな。


 なに? いつもより口数が多いって? そうか?


 そうかあ、そんなつもりは……いや、そうかもな。なんつーか今日は、しゃべってないと気が滅入るっていうかさ。この業界に入るときは覚悟したつもりだったけど、やっぱり甘かったみたいだわ俺。ほら、事件とか犯罪とか、とにかく人の嫌な面ばかり目につくだろ? やっぱ疲れてくるんだよ気分が。ついこないだ捕まえた奴がまた、とんでもなくってさあ。


 ——そういやお前、怪談話好きだったよな。なあ、しゃべってもいいか?


 幽霊話? 被害者の? いや、そういうんじゃなくって……。そもそもお前、まだ幽霊なんて信じてんのか? お互いいい年なんだから、そろそろそういう迷信は卒業した方がいいんじゃ……、ああ分かった、悪かったよ怒るなよ! せっかく警察以外の人間と会えたんだよ、頼むからちょっとくらい付き合ってくれよ。いい加減腹にため込むのも重苦しいんだよ。


 何の話って、そりゃ事件の話に決まってるさ。


 え、守秘義務? 大丈夫だって、ここは個室だから誰にも聞かれないし、具体的な部分はぼかすからさ。なあ、前菜が来るまでの間でいいから聴いてやってくれよ。


 お前も知ってるだろ? ここしばらくテレビとか新聞でトップ扱いされてる例の事件。——え、知らない? お前、何言ってんだ。

 ここんとこ新聞もテレビもご無沙汰? ったく、まだあのブラック企業に勤めてるのか? いい加減脱出しないと体壊すぞ。今日だってこうやってお互い顔を合わせるのに、どれだけメールでやり取りしたか——。

 すまん、話がずれた。うん、お前を責めてるんじゃないすまなかった。つい言い過ぎた。いやでもな、俺にしてみればお前の職場環境は殺人的だぞ。転職を考えるなら元気なうちに取り掛かれよ応援するから。


 で、事件の話なんだけどな。


 半月くらい前の話さ。うちの所轄で、連続殺人犯が捕まったんだよ。残念ながら俺は捕り物には参加できなかったけど、今はうちの署で取り調べている。案外大人しく捕まったらしいんだよ、一切抵抗はなかったって、そのときいた俺の同期が話してくれた。理由はまだ分かってないんだけどな。


 あ、そっか。お前は事件の内容をまず知らなかったよな。さっき言ったとおり、起こっていたのは連続殺人事件。これまでに五人も殺されている。ナイフを凶器にして、若い女ばかり狙われたんだ。

日本版切り裂きジャックだなんて、結構マスコミが騒ぎ立ててくれたんだぜ。週刊誌じゃ特集が組まれたりとかさあ。……本当に知らないのかよ。お前、今の総理大臣の名前とか言えるか? 大丈夫か?


 まあいいか。で、その被害者の女の子たちなんだけどな。被害に遭ったのは全員帰宅途中。お前みたいに残業に追われて、疲れた顔して夜道を歩いていたところを、後ろから襲われて路地裏に連れ込まれて、そのままズタズタにされたんだ。

 可哀想になあ。夜中に帰るんだから、駅からはタクシーでも使えばそんな目に遭わずにすんだのになあ。……そうなんだよ、皆派遣とかパートの娘たちばかりでさ。タクシーを使うなんて贅沢だとか思っちまったんだろうな。聞き込みで俺、遺族に会ったことがあるんだけどさ。どの親もそう言って泣いてるんだよ。タクシーを使わないって分かっていたなら、自分たちが歩いて迎えに行けばよかったって。たまんないよなあ……。


 で、五人目の事件が起きた日に犯人は捕まったのさ。


 そう、現行犯逮捕ってやつ。パトロール中の警察官がたまたま気づいて、犯行現場に踏み込んだわけよ。これまた凄惨な状況だったらしくって、二人いた内の一人はその場でひっくり返っちまったって話だ。

 俺も現場写真を見せられたけど、その日は一日胃が重くなっちまったよ。本物の切り裂きジャックももの凄かったらしいけど、あの現場もさあ……。

 あ、すまん。お前まで気分が悪くなったか? そうだよな、これからメシだってのにしていい話じゃなかったな。この部分はすっ飛ばすよ、だからもうちょっとしゃべらせてくれよ。


 でさ、犯人は大人しく捕まったってさっき言ったろ。抵抗はなかったって。


 そう、犯人は男だ。モヤシみたいにひょろりとした気弱そうな奴。俺もちらりと署内で見たことがあるんだけど、どうしてあんな奴があれだけひどいことができたんだって思うくらいに、大人しそうに見えてさあ。……ま、そういう奴に限って何をしでかすのか分からないんだけどな現実は。

 よくあるだろ、犯人が捕まったあとで報道されるご近所インタビュー。そんなことをするような人には見えませんでした——ってやつ。あれは違うんだよ。そういう奴だからこそ犯罪者になれるんだよ。表じゃ何も悪いことなんてできませんって顔をしている奴ほど、危険なんだよ。


 だからだろうな。実はさ、取り調べが今難航してるんだよ。


 大人しく捕まったから素直に吐くだろうと思ったらそうじゃない。それどころか、自分はやってないだなんて主張しているのさ。

 な、信じられないだろ。現行犯でだぜ、あり得ないよな。警察に目撃されてるのに自分が殺したんじゃないだなんて、通用するとでも思ってんのか。

 けどな、そいつの弁護士がまたうるさく主張するんだよ。


 ここは誰にも言うなよ。——容疑者は右利きなのに、被害者はどれも左手で殺されているって。状況的にそれはおかしいって。


 実はそうなんだ、これは本当のことなんだ。犯人は右利きなんだが、被害者を殺したナイフは左手で握られたものに間違いない。——だからって、お前まで俺たちを疑うなよ。逮捕した同期は、そいつが間違いなく左手で血まみれのナイフを持っていたって証言しているんだ。

 カメラか? いや、犯行現場は路地裏とか物陰でいつも行われていたから、五件とも監視カメラの映像はないんだ。そうでなけりゃもっと早く犯人も特定できてるさ。今回だって警官が気づけたのは本当に偶然だっただけでさ。もし気づかなかったら、今頃六件目が起きてたかもしれない。


 犯人の主張か? よく訊いてくれたな、今回話したかったのはそこなんだ。


 とにかく、自分は殺してないって言ってるんだよ。僕は人殺しなんかじゃありませんってさ。そんなことは考えたこともないし、やりたいと思ったこともありませんって。


 ふざけんなだよな。殺された娘たちもあれじゃ浮かばれないって。遺族からしてみたら絞め殺してやろうかって気分になるよな。だったら血まみれで逮捕されたお前は一体何者なんだっていう話さ。ホンモノの切り裂きジャックかって話だ。

 取り調べ担当者もそう言ったんだよ。現場状況的にお前以外が犯人だなんてあり得ない、お前がもし犯人じゃなかったら一体誰が殺したんだって。そしたらなんて言ったと思う?


 僕はそうさせられただけなんです、ってさ!


 意味不明だよな。させられたって、命令した奴が別にいるのかって話だぜ。

 実際そういう奴がいたかって? そりゃ一応俺たちも調べたさ。もしいるとしたら、そいつも殺人教唆でしょっ引けるからな。けどあのモヤシ、交友関係がとにかく少なくってさ。ネクラなんだよ。学生時代の友人なんて一人もいなくって、パソコンで知り合った何人かとたまにオフで会うくらいの陰キャなんだ。

 間違いないね、あいつは嘘をついている。俺たちは押収したパソコンのメール履歴もチェックしたし、インターネットの閲覧状況もできる限り遡った。結果、そういう形跡は一切なしだ。

 きっと有罪になるのが怖くって、そういうことを言い出したに決まってる。

 卑怯だよな。誰かのせいにすれば自分の罪はなくなるだろうなんて、考えてやがるんだよ。

 え? 犯人の主張? そそのかした奴は誰だって?


 ——ああ、もちろん言ったさ。ナイフにそそのかされたってさ。


 そう、ナイフ。凶器に使ったナイフだ。今流行のサバイバルナイフじゃないんだよ。ちょっと古い小刀みたいな奴って言えば分かるか? 俺たちの親世代が鉛筆を削るときに使うような、……そう、お前の想像どおりだ。一見何の変哲もないナイフ。


 そのナイフが命令してくるんだってよ。あいつを殺せ、こいつを殺せってさ。


 それに逆らえなくなってあんなことをしてしまいましたー、なんてホラー映画みたいなことを真顔で言ってんだよ。

 頭沸いてるよなほんと。殺人犯なんて何考えてるのかさっぱり分かんねーけど、あいつのことは正真正銘俺には分からん。なのに上は律儀に、あいつを精神鑑定にかけるなんて言い出してさあ。

 そりゃ、言い逃れに決まってるだろ。死刑にならないためのさ。それ以外の理由なんてあるはずないんだって。


 なあ、ここからは俺の相談事なんだが。……お前出版社勤めだし、よく本を読んだりしてるから知ってるんじゃないか? こういう話ってのは今まであるのか?


 いや、事件そのものじゃなくって。こんな内容を取り扱った漫画とか小説とかがさ。


 俺たちの間じゃ、あいつは何かの作品からこういう言い訳を引っ張り出してきたに違いないって思ってるんだ。だって普通の考えじゃないだろ。絶対に参考にした本があるに決まってるって。

 妖刀? ……なにそれ。

 ムラマサ? ああそれなら知ってる、ゲームでよく出てくるやつだろRPG系の。結構強いし役に立つんだよなあ、俺は好きだな。……呪われた刀? へー、そんなのがあるんだこの世に。まさかその刀もしゃべったりとかするのか?


 しゃべるとすれば付喪神(つくもがみ)? なにそれ。

 古い物に取り付く妖怪? 知らねーなそんな話。


 ああだからそこでむくれたりするなよ。俺が本を読まないのは知ってるだろ、お前みたいにインテリじゃないんだからさ。馬鹿にしてんじゃないって信じてくれよ。そうだよ、お前ならきっと知ってると思って、こうやってメシを奢ってまで話してもらおうっていうんだ。頼むからちゃんと教えてくれよ。まだ編集部にいるんだろ、だったらこういうのには強いだろ。


 で、その付喪神だったっけ? それが取り付いたナイフが持ち主をそそのかす、そんなマンガとかがあるなら。——なんだ、ないのか。


 いやあ、今度捜査会議があるからさ。そういうときに「犯人が参考にした書籍はこんなものが考えられます」って、発言したかったんだよな。……作品はなしか。そうだよな、ちょっとおかしすぎる話だもんな。お前んとこの漫画家たちだって思いつかないよな。


 冷静に考えればそうだよなあ。ナイフにそそのかされたなんて、どう見てもただのこじつけだよなあ。


 左手で犯行に及んだのも、こんな風にあとあと疑問視されることを狙って、わざとそうしただけだよな。くそ、モヤシのくせに知恵だけは回る奴だな。

 それにしたって、昔の人間は変なことを考えるんだな。物に妖怪を取り付かせてどうするんだってのか。へえ、歩き回ったりとかしたのか、しゃべるだけじゃなくって。ますます意味が分かんねーな、物にそんなことをさせて何が面白いんだか。


 あ、ちょっと待ってくれ電話だ。


 ——はい、お待たせしました。いえ、大丈夫です何か起きましたか、——え?

 まさか。けど。……ええ。おっしゃるとおりです。了解です。

 はい、分かりました。今すぐ署に向かいます。


 ……すまん、用事ができた。悪いが俺は今から署に戻らなくちゃならなくなった。

 誰にも言うなよ。今話していた犯人が自殺したんだ。

 どうしてかは俺にも分からん。上司もとにかくすぐに来いとしか言わなかったし、かなり今署内は混乱している。

 死因か。……それがさ、ナイフで胸を一突きらしいんだ。そう、例の凶器のナイフだよ。

 厳重に保管されていたはずなのに、なんで……。

 これもオフレコな。——もしかしたら、署内に犯人と通じている奴がいるんじゃないかって話が持ち上がっている。だから、関係者全員に招集がかかったんだ。これからは俺たちが尋問を受ける側になるってことさ。ったく、迷惑な話だ。

 まあ、また詳しいことが分かったら話してやるよ。だからそれまではこの話は一切他言無用な。頼む。

 せっかくだから料理は食っていってくれよ。支払いは先に済ませとくから。悪かったな、忙しい中呼び出したのにこんなことになっちまって。


 え?

 絶対に触るなって何に? そのナイフに?

 どうして。


 切り裂きジャックも左利きだった? だからさ、あのモヤシはそういう振りをしていただけで実際は、——え、本場ってイギリスの?

 本物の切り裂きジャックが左利きだったからって、なんだってんだ?


 凶器のナイフは行方不明って、——そりゃお前、百年以上前の話なんだろそれ。現代じゃないんだし、保管なんかされてるはずがないだろ。その頃スコットランドヤードだってあるのかどうか。


 ……なあ、気にしすぎだって。お前、やっぱりちょっと現実的になった方がいいと思うぞ。

 いや、この話を振ったのは俺だから、俺が悪いのか。すまなかったな。


 お前、働き過ぎで疲れて神経が過敏になってるだけだって。この店のメシ美味いからさ。今日は美味いもん食って、早く帰って寝ろよ。明日も仕事なんだろ?

 ——分かった分かった。気を付けとく。ナイフには触らないように注意するわ。近づくなってのは無理かもしれないけどな、じゃあな!


 ああそうだ、明日の新聞はちゃんと見ろよ。きっとこの事件のことが載ってるはずだから。


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