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スープの森〜動物と会話するオリビアと元傭兵アーサーの物語〜 【書籍発売中・コミカライズ】  作者: 守雨
第三章

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85 ご近所の奥さんたち

 アランは幼児を眺めて「ようやく一歳になったくらいだな」と言う。

 子供を四人育てあげ、五人の孫がいるアランが言うのならそうなのだろう、とオリビアはうなずきながら聞いた。


「一歳じゃ、この子の名前もわからないわね」

「この子を育てるつもりかい?」

「とりあえずは。そのうち身内がわかるかもしれないし。母親は雷に打たれて亡くなっていたの。身元がわかるものもなかったわ。そもそも小さな子を連れて移動していたはずなのに、何も荷物を持っていなかったの」

「そうか……。オリビア、赤ん坊を育てるのは並大抵じゃないぞ。大丈夫か?」


 大丈夫かと聞かれれば全く大丈夫ではない。けれどオリビアはこの子を養護施設に入れる気にはなれなかった。


「私、おじいさんとおばあさんに助けてもらったから。今度は私がこの子を助けたいの。この件は領主様に報告してあるから、父親か祖父母が捜しているなら連絡がつくかもしれないし」

「店はどうするつもりだい? 一人で両方はとても無理だと思うが」

「ミラさんが来てくれるかもしれないんです。アーサーが頼みに行っています」

「ああ、ミラか。うちのやつも来れるときは来させるよ。俺も都合をつけてその子の面倒を見に来るさ」

「ありがとう。でも今は畑が忙しい時期だわ」


 五月下旬。全ての命が動き出すときだ。この時期、農家の仕事は果てしなくある。


「長男が生まれたあとでハンナが寝込んだんだがね、近所の奥さんたちが交代で赤ん坊の世話をしてくれた。あのときのありがたさは忘れちゃいない。俺一人ではどうしたらいいのかと、途方に暮れていたからな」


 アランは日焼けした顔で少し遠くを見つめる表情になった。


「そんなことがあったんですね。助けていただけたらお店も開けますが、どっちかを選ばなきゃならないなら、私はこの子を育てることを優先しようと思ってます。こんな小さい子の世話をしたことがないから、不安は不安ですけど」

「近くの連中に話をしてくるよ。オリビア、困っているときはお互い様だ。こんな田舎じゃ、そうでもしないとやっていけないからな。一人で抱え込んで疲れ果てる前に、必ず近所の人間に声をかけるんだよ? しばらくうちが預かることもできるし」

「いえ、さすがにそれは。私、頑張りますから」


 アランは「近所の連中に声をかけてくる」と言って店を出て行った。

 近所と言っても一番近い家が二キロ先。他の家はもっと遠い。農繁期のこの時期に、果たしてどれだけの人がうんと言ってくれるだろう、どれだけ近所の人たちに負担をかけることになるのだろうと、オリビアはありがたいやら申し訳ないやらで悩ましい。


 ところがその日のうちに近所の家々から奥さんたちが集まった。総勢八人。「アーサーに聞いたよ」と言ってミラも来ている。全員が馬に乗ってきているあたりはさすが田舎の妻たちである。このあたりで暮らすには、女性だろうが老人だろうが、馬を乗りこなせなくては暮らしていけない。


 集まった奥さんたちはミラがまとめ役となり、『スープの森』がお休みの日以外に順番で一人ずつ助けに来てくれることになった。


「八人で順番に回せばそうたいした仕事じゃないよ」

「久しぶりに小さな子の世話ができるのは楽しみだよ」

「懐かしいねえ。自分の番が来るのが待ち遠しいわ」


 おそらく甘え下手なオリビアの心の負担を軽くするためだろう、全員が「自分が楽しみだから来る」という言い方をした。

 幼児は泣くこともなく、静かだ。オリビアの胸に顔を埋めるようにしがみついている。その心からは、不安と少しの恐怖、そして母親を恋しがる感情が漂ってくる。

(知らない大人に囲まれているのが怖いのだろう)と、オリビアの胸が締め付けられる。


 オリビアは男の子を抱き、無意識に小さな背中をポンポンと一定のリズムで優しく叩きながら奥さんたちの会話を聞いている。

 実はさっき男の子が自分にしがみついたあたりから、幼児に対して途方もなく強い感情が湧き上がって戸惑っていた。


(子育て中の動物たちは、きっとこんな気持ちなのね)


 この子を産んでいない自分でさえ、(この子を守らなくては)という気持ちに支配されつつある。野の獣たちが我が子を守ろうとして殺気立つのは当たり前だと納得しているところだ。

 いつ誰が来るかをミラがてきぱきと決めて、近所の女性たちは再び馬に乗って帰り、男の子とミラとオリビアの三人になった。


「アーサーはどうしたのかしら。ミラさんに話をした後、一緒にここに戻ってくると思っていたんですけど」

「ああ、アーサーには仕事に行くように私が言ったのよ」

「そうだったんですね。私もそうしてほしいと思っていました。助かります」

「オリビア、このくらいの子は、たいていのものは柔らかくして細かく刻んであれば食べられるよ。なるべく薄味で、脂っこいものは避けたほうがいいね」

「わかりました」


 男の子から『空腹』の感情が漂ってきていたから、料理をしなくてはと思っていたところだ。


「ミラさん、私、この子の食事を作ります。いろいろ教えてください」

「そうだね。その前におむつを交換だね。おむつはあるのかい?」

「はい。おばあさんが用意してくれていたのが」


 そう言って立ち上がり、男の子をミラに渡そうとしたが、イヤイヤと首を振ってしがみついてくる。


「部屋に入っていいのなら私が取ってくるよ。どのへんにあるの?」

「二階の突き当りの納戸です。入って右手の木の箱の中です」

「わかったよ。抱いていておやり。その子は大変な思いをしたんだ。オリビアに甘えて気持ちが落ち着くようなら、抱いてやればいい」


 オリビアが男の子を抱いてあやしていると、ミラがおむつを十枚ほども抱えて階段を降りてきた。オリビアはミラの目が赤いことに気づいた。

 ミラは照れくさそうに笑って、首を振った。


「ああ、なんでもないよ。マーガレットはオリビアの子供のことまで心配していたんだなと思ったら、ちょっと泣けたの。ほんとに、あの人はそういう人だったなって、懐かしくてさ」

「おばあさんは、なにからなにまで、私のことを心配してくれていましたよね」

「面倒見がいいってのは、マーガレットのことさ」


 おむつを替えて今度こそミラに見ていてもらい、スープを温めた。子供の分の具を取り出して刻み、皿に入れる。

 昨夜の残りのスープは柔らかく、ヤギミルクを足して温めたからシチューのようになっている。具は豚肉の赤身と干し野菜と干しキノコ。


「おなか空いたわね? さあ、食べましょうね」


 男の子からポヤポヤとした『喜びの気持ち』が流れてきた。スプーンでひと口ずつ食べさせながら、小さな口の愛らしさ、産毛の生えた頬、灰色の柔らかそうな髪に見惚れてしまう。ミラも目を細めて幼児の食べる様子を見ている。


「この子、髪が灰色で目が茶色。まるでアーサーを小さくしたみたいだね」

「ほんとですね」

「名前はどうするんだい?」

「今朝この子を見つけてからずっとバタバタしていて、まだなにも決めていないんです」


 ミラはスープを食べている幼児に声をかけた。


「坊や、名前は?誰ちゃんかな?」


 幼児は口をモグモグさせながら、ぽかんとしている。


「無理みたいですね」

「無理か。困ったね。世話をするにも名前がないと困るよ」

「今夜、アーサーと相談して決めます」

「そうしておくれ」


 オリビアの膝の上で、幼児がスープを指差してからオリビアを見た。食べさせてくれということらしい。スープを食べさせながら全力で男の子の心を探ったが、亡くなった母親の顔、馬車の中、豪雨、雷しか読み取れなかった。

(一歳じゃ仕方ないか。途中までは馬車だったのね)


 暗くなる前にミラが帰って行った。帰る前におむつの洗い方のコツ、水分をこまめに摂らせること、包丁や火に近づけないことなどを注意してくれた。


「まさかと思うようなことをするのが子供だからね。手が届くところにあるものは、なんでも手に取って舐めると覚悟しておいたほうがいいよ」

「わかりました。ありがとうございます」


 男の子は泣かず騒がす、大人しくしていた。ロブとダルが何度か近寄ってきたけれど、その都度オリビアの胸に顔を埋めるところを見ると、犬猫がいない家で育ったようだった。

 食べて寝て、おむつをかえてもらって、幼児は眠っていた。


「こんなに眠るのが普通なのかしら。それとも雨で体力を奪われたから? 風邪を引いていないといいけど。とにかくお店を開けなかったのは大正解ね」


 オリビアは幼児を寝かしつけ、隣で座り込んだまま何も手につかない自分に苦笑した。


「他のお母さんたちは、畑仕事をしながらどうやって子供を育てているのかしら。目を離したら危ないだろうし、その辺も教えてもらわなくちゃ」


 夜の七時ごろ、アーサーがいつもより早く帰ってきた。帰ってくるなり台所に立って、野菜を刻み始めた。


「君は疲れただろう? 今夜は俺が夕食を用意するよ」

「なにからなにまで、本当にありがとう。近所の奥さんたちが交代でこの子の面倒を見てくれることになったの。だから私は『スープの森』を開くことにしたわ」

「そうか。来てもらえるのは助かるな。おれも妹の面倒は見たけれど、さすがにこれだけ小さいときはお袋が世話をしていたからなあ」


 アーサーがガシガシと頭をかいた。


「近所の人たちに来てもらったら、できる範囲でお礼をするつもり。みんなに助けてもらってお店を開けられるんだもの、儲けはいらないくらいよ。あなたの収入もあるし。それとね、私の力が役に立つわ。この子が眠いのか、おなかが空いているのか、おむつが濡れて気持ち悪いのか、ぼんやりとわかるの」

「それはかなり助かるな」

「アーサー、この子、ちょうど一歳ぐらいらしいわ。名前を付けたほうがいいって、ミラさんに言われたの。なんていう名前にしましょうか」

「名前か……。ピーター、ケイン、ルーカス、ビリー、ジョセフ、あとはどんな名前がいいかなあ」


 しばらく考えていたオリビアが幼児に名前を呼び掛けた。


「あなたはどんな名前だったのかしら。似ている名前でもいいんだけれど。あなたの両親がつけた名前がわかればいいのにね。ピーター、ケイン、ルーカス」


 ルーカスと呼び掛けたところで男の子がオリビアを見た。


「ルーカス?」

「あう」

「返事したわね。偶然かもしれないけれど、ルーカスがいいかも」

「そうだな。じゃあ、ルーカスにしよう。ルーカス、よろしくな」


 男の子はオリビアに抱きついたままコクリとうなずいた。

 こうして街はずれの一軒家で、オリビア、アーサー、ルーカスの三人の暮らしが始まった。



 

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書籍『スープの森1・2巻』
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