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スープの森〜動物と会話するオリビアと元傭兵アーサーの物語〜 【書籍発売中・コミカライズ】  作者: 守雨
第三章

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84 泣く幼児

 前を進む金色の鹿の記憶が流れてくる。

 大人の女性が一人、こちらは息絶えているらしい。その隣に泣き疲れた様子の幼児が一人。ぐったりとしている。馬車はない。


「その母と子供、いつ見たの?」

『すぐ 前』

「見つけてすぐに知らせてくれたのね? ありがとう」

『子供 もうすぐ 死ぬ』

「わかった。急ぎましょう」


 身を伏せ、アニーを急がせる。


「アニー、できる限り急いで」

『わかった』


 しばらく森の中を早足でアニーが進む。普段なら下りて歩くような場所もアニーに乗って進んだ。子供と老人は体調が悪くなると一気に弱る。オリビアは焦っていた。

 アニーは木の根や枝を避けながら早足で進む。


『アレだ』


 アニーの動きが止まり、オリビアは滑り落ちるようにしてアニーから降りた。

 目の前には黒く焼け、根元近くから倒れているレッドシダーの大木が見えた。

根本にうつ伏せに倒れている女性と女性に寄り添って目を閉じている幼児。

 女性の顔色には血の気がない。馬の足音を聞いても、二人とも動く気配がなかった。

 オリビアはまず幼児に触れた。


「生きてる」


 続けて女性の首に触れた。こちらはもう、生きている人間の体温ではなかった。


「落ち着いて。まずはこの子を救わなくては」


 オリビアは幼児を抱き起した。灰色の髪の男の子は服がびしょ濡れだ。急いで濡れた服を脱がした。このまま濡れた服を着せていては、体温を奪われてどんどん体が消耗してしまう。

 幼児を裸にして、自分の上着を脱いで包んだ。服も髪もびしょ濡れなのに、唇は乾いてひび割れている。そして顔色が悪く、唇は紫色だ。


「坊や、起きて、水を飲んで」


 幼児がうっすらと目を開けた。オリビアを見てもどんよりとした表情で、泣く元気もないらしい。仕方なくオリビアはハンカチを濡らし、幼児の口に水を垂らした。むせないよう、ほんの少しずつ口に垂らすと、幼児がコクリと口の中の水を飲んだ。


「甘くておいしい飴があるの。今、砕いてあげる。少しずつ食べなさい」


 さきほどのハンカチにリンゴと砂糖を煮詰めて作った自家製の飴を包み、石で叩いて砕いた。一番小さい欠片かけらをひび割れた唇の間に押し込むと、幼児はゆっくり口を動かした。

 足音がして振り返ると、アーサーがシーツを片手に走ってくるところだった。


「オリビア!」

「この子は生きてる!」


 アーサーはオリビアの上着で包まれた男の子を見ると、すぐにシャツのボタンを外した。


「俺の体温で温めよう。そのままではまずい」

「わかったわ」


 アーサーの逞しい上半身に裸の子供をしがみつかせるようにして、アーサーが左腕で抱え、右手で幼児の背中や脚をさする。


「大雨が降ったとき、この木に雷が落ちたのか」

「この大木の下で雨宿りしたのね。運が悪いこと」

「母親は雷にやられたか」

「おそらくね。気の毒に……。それにしても、なんで街道からこんな奥まで入り込んだのかしら」


 そこでやっと幼児が泣き声をあげた。声が今にも途切れそうに弱弱しい。


「どうする? 火を起こす?」

「いや、俺が温めながら引き返したほうがいいな。母親の遺体をここに置いておくわけにはいかない。すぐに食われてしまう」


 オリビアがアニーに話しかけた。


「アニー、この子の母親を乗せて運びたいの」

『乗せて』

「ありがとう」


 アーサーは幼児をいったんオリビアに渡し、女性を抱え上げてシーツに包んでからアニーにうつ伏せに乗せた。オリビアから再び幼児を受け取ると、歩き出した。


「急いで帰ろう」

「ええ」


 弱弱しい泣き声と共に、幼児から母親を恋しがる心が流れてきた。オリビアが駆け寄って幼児の口にリンゴ飴のごく小さな欠片をいれると、幼児は口を動かした。そっとその頬を撫でたが、母親を恋しがる心は止まらない。事情が理解できないであろう男の子が痛ましかった。


「お水も飲む?」

 

 水筒を見せるとコクリとうなずく。アーサーが止まり、オリビアが水筒の水を飲ませた。今度はコクコクと音を立てて飲む。男の子は一歳か一歳半くらいだ。水を飲みながらも母親に会いたがっている。

 そこでオリビアが(あっ! 金色の鹿は?)とあたりを見回すと、金色の鹿は去っていくところだった。


「教えてくれてありがとう!」


 そう声をかけると、金色の鹿は首だけで振り返った。鹿は足を止めることなく森の奥へと消えていった。二人はできるだけ急いで森の中を進んだ。オリビアは女性の遺体がアニーからずり落ちないよう気をつけながらアニーを歩かせた。


『スープの森』にたどり着き、かまどでスープを温めた。アーサーは母親を離れの隅に横たえ、シーツで丁寧に包んだ。


 オリビアは幼児を毛布で包み、暖炉に火を起こした。スープを飲ませようとしたが、幼児は飲もうとせずに泣き続けている。

 幼児の心を探ると、幼児は母親のお乳を恋しがっていた。


「アーサー、この子、まだ乳離れが終わってないみたい。ペペのお乳を搾ってきてくれる? コップ一杯くらいでいいの」

「ああ、わかった」


 アーサーが走って裏口から出て行き、すぐにコップ一杯のヤギミルクを持ってきた。オリビアはそれを一度煮立たせてから人肌程度に冷まし、スプーンで幼児の口に流し込んだ。

 一度ヤギミルクを飲み込んだ幼児は、コップを両手で包んで自分で飲もうとした。

 オリビアがコップに手を添えて飲ませると、幼児はヤギミルクを飲み干して目を閉じた。


「眠ったわ。体力が残ってないのかも」

「母親の遺体をどうしたものかな」

「悪いけど、すぐに領主様のお屋敷まで連絡してくれる? 領主館の護衛兵士さんが身元を調べてから共同墓地に埋葬してくれるはずだわ」

「わかった。行ってくる」

「この子は大丈夫そうだから。任せて」

「頑張って」


 アーサーはアニーにまたがり、すぐに出かけていった。

 ロブ、スノー、ダルは遠巻きに眺めている。異常な事態だということは感じ取っているらしい。幼児は毛布にくるまれたまま、スゥスゥと寝息を立てている。


「服をなんとかしなきゃ」


 裸で毛布に包んでおくわけにいかず、しばし考え込んだ。幼児が熟睡しているのを確認して、二階に駆け上がる。納戸のドアを開けて、古い木箱を開けた。


「よかった。無事だった」


 自分が幼いころに着ていた服が、香りの強い虫避けの木片と一緒に、ぎっしり詰め込まれている。昔「子供服はもう用済みだから、どこかの家に回せばいいんじゃない?」と尋ねたオリビアに、マーガレットは「そうねえ」と言ったきりだった。


 何着か取り出し、一度廊下でよく払った。万が一虫が入り込んでいたら、あの男の子が刺されてしまう。下着、靴下、ネルの長袖シャツ、ズボン。どれも思い出がある服を一着ずつ丁寧に払ってから「おむつ!」とひと言つぶやいて、おむつだけをしまってある箱を開けた。

 新品のおむつの存在は、祖父母が亡くなって、家の片づけをしているときに知った。

 そのときはマーガレットの配慮に感謝したものの、今まですっかり忘れていた。


(きっと私の子供に使ってほしいと思っていたのね。おばあさん、あの子に使うね)

 オリビアは、それらを全部抱えて店に戻った。幼児はまだぐっすりと眠っていた。


 熟睡している男の子におむつを当て子供服を着せてから、オリビアは思案した。店を開くなら料理を始めなければならない時間だ。

(どうする? 店を休む?)

 十キロ以上の道を通って来てくれる客を帰すのは申し訳なく思ったが、ジェンキンズの言葉を思い出した。


「どうしたらいいか迷ったときは、理屈じゃないほう、心がそうしたがっているほうを選べ。たいていはそっちが正しい」


 オリビアは店を休むことにした。

 遠くから来てくれる客には申し訳ないが、心はあの子に寄り添ってあげたいと願っている。


「臨時休業ね」


 客が来たときに対応できるよう、オリビアは店の暖炉の前に敷物を敷いて幼児と一緒に座った。

 やがて客たちが来たが、みんなオリビアから事情を聞くと「そりゃ仕方ないな。いいよ。その子の面倒を見てやってくれ」と言って帰っていく。

 そして常連の客たちは「その子のことで困ったことがあったら相談してくれ。力になるよ」と言い添えるのを忘れなかった。


 幼児はこんこんと眠り続けている。

 三時間ほどして、数頭の馬の足音とともにアーサーが帰ってきた。領主の館から護衛兵も四人来た。

 四人の兵士は離れに向かい、しばらくして店に戻ってきた。リーダーらしい男性がアーサーに話しかけた。


「やはり雷が落ちた衝撃で息を引き取ったようです。雷が通り抜けた跡がありました」

「身元がわかるものはありましたか? 自分が見た限りでは、荷物らしい荷物は落ちていなかったのですが」

「特になにも」

「そうですか。では、埋葬はやはり共同墓地に?」

「そうなりますね。遺体は我々が運び出します」

「ありがとうございます」


 兵士のリーダーとアーサーの会話を黙って聞きながら、オリビアは幼児の顔を見つめていた。

 兵士たちはシーツごと母親の遺体を荷車に乗せて馬で引いて行った。

 

「大変! アーサー、あなた仕事に大遅刻だわ! すっかり忘れてしまって、ごめんなさい」

「問題ない。領主の館に向かう途中で肉店の御主人に会ったから、フレディさんに伝言を頼んでおいた。今日は休むよ」

「アーサー……。あなたはなんて有能なのかしら。私一人だったらすっかり慌てて混乱しているところだったわ」

「この程度のことでそんなに感心するんだな」


 アーサーは苦笑しながら幼児を覗き込んだ。


「オリビア、この子をどうする?」

「どうするって……私が面倒をみるわ。もうララがいないから大変だとは思うけど、やるしかないでしょう? 私が面倒を見ないと言ったら、この子は王都の養護施設に入れられることになるもの」

「そうだな。だが、一人で店も子育てもって、無理だろう」

「そうだけど」


 しばらく考え込んでいたアーサーが意外な提案をした。


「ジョシュアさんの奥さんのミラさんに来てもらわないか?」

「ミラさん? でも、ジョシュアさんは常連さんだけど、奥さんのミラさんとはそれほど親しくしているわけじゃないし」

「いや、それがそうでもない。ジョシュアさんの父親が湿疹持ちで、薬草店に毎週塗り薬を買いに来ているんだ。ミラさんと俺は毎週顔を合わせている。ミラさんからは『なにかあったら頼ってくれ』と何度も言われているんだ」

「そうだったの? アーサー、あなたなにも言わなかったじゃない」

「毎回言ったら君が重荷に思うかなと思って」


 ミラはマーガレットの茶飲み友達だった。だが祖母がなくなってからは、この店に来るときはジョシュアと一緒だったから、ミラとゆっくりおしゃべりをしたことはない。

(どうしようか)と迷う。以前なら迷わず断っただろう。


 だが今のオリビアは近所の人々がどれほど自分のことを心配してくれていたかを知っている。

 アーサーがここに住む前、五人組が店に押し入ったときも、実の両親が店に来たときも、近所の人たちが力になってくれた。


「そうね。昼間だけでもミラさんに来てもらって、この子の面倒を見てもらえたら助かるわね。毎日じゃなくてもいいわ。来られるときだけでも助かる」

「よかった。君がそう言うなら、今からすぐに頼んでくるよ」

「ごめんね、アーサー。私、ずっとあなたを動かしているわね」


 アーサーがフッと笑顔になった。


「俺は君の夫だ。君が大変なときに役に立たなかったら、いつ役に立てばいいんだい? じゃ、ジョシュアさんの家に行ってくる」

「いってらっしゃい。気をつけて」


 オリビアはアニーに乗って出て行くアーサーを窓から見送りつつ、しみじみと温かい気持ちになっている。


「ミラさんは心配してくれていたのね。私になにも言わなくても、ずっと気にかけてくれていたなんて」


 祖父母が亡くなってからは一人きりで生きてきたつもりだった。ところがアーサーと暮らすようになってから、自分は一人きりではなかったと気づくことが何度もあった。

 眠っている幼児に目を向けた。


「大変なときは頼ってもいいのよね。そうでしょう? おばあさん」


 幼児が「ふえええん」と泣きだした。


「よしよし、いい子ね。目が覚めた? パンを食べる?」

 

 幼児はイヤイヤと首を振りながら泣く。母親を恋しがっていた。ロブが心配そうに、ダルは恐々近寄ってきた。スノーは敬遠してる様子だ。


「ほら、ワンワンとニャーニャーが来てくれたわよ」


 そう言っても男の子は泣き続ける。


「よしよし、気が済むまで泣きなさい。私がいるわ」


 オリビアが男の子を抱き上げ、店の中をうろうろと歩き回ってあやした。ドアベルがカランと鳴って、常連客が入ってきた。アランだ。

 アランはオリビアの様子を見て驚いていたが、「湯冷ましを飲ませたほうがいい」と言ってオリビアから幼児を受け取った。

 急いで湯冷ましを作って飲ませると、男の子は泣き止んだ。


「うちの子もこんな感じだったよ。俺が抱いているから、オリビアはやることをやってくれ。それで、この子は誰の子だい?」


挿絵(By みてみん)


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書籍『スープの森1・2巻』
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