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81  ララの迷いと雷雲

 薬師登録試験を受けに行ったララが帰ってきた。

 馬車の音に気づいて、オリビアが急いでドアを開けてララを迎え入れた。


『ララ キタ!』

『ララ 帰ってきた!』


 尻尾を立てて近寄ってきたのはダルとロブ。スノーは寝床で頭を上げてララを見ているだけだ。

 試験の結果は試験後数日で発表される。ララは王都のホテルに泊まって発表を待ち、合否を確認して帰ってきたはずだ。


「ただいま帰りました、オリビアさん」

「おかえりなさい。それで……?」

「薬師試験に無事合格しました」

「ララ! よかった!」


 オリビアは笑顔になってふんわりとララに抱きついたのだが、そこでララの心が重く曇っていることに気がついた。

 ララの心の中は『どうしよう』『決められない』『困ったわ』と、困惑が渦を巻いている。


(試験に合格したというのに、どうしたのかしら?)

 不思議に思ったが、帰ってきたばかりのララは疲れた顔をしている。

 ララは薬師を目指してずっと勉強を続けていたのだ。オリビアはそれをよく知っている。毎晩遅くまでランプがついているのを、母家から見てきた。

 まずはララを労わってやりたかった。


「疲れたでしょう? おなかは? 空いているかしら」

「ぺこぺこです。私、自分でなにか作ります」

「いいのよ、座って待っていてね。ゆっくりしてちょうだい」


 そう言ってオリビアは台所に入り、ララのために手早く食事を用意した。


「今日の日替わりは柔らかく煮込んだ羊肉と野菜のスープよ。パンは好きなだけどうぞ。蜂蜜とバターを塗って食べて」

「ありがとうございます。いただきます」

「私はすこしだけヤギたちの世話に行ってくるから、落ち着いてゆっくり召し上がれ」


 若いララはよほど空腹だったらしく、夢中になって食べだした。

(心を探るのはやめておこう。本人の口から詳しく話してもらえばいいこと。ララが話したがらないことまで知ろうとしても、ろくなことにならない)

 そう考えてヤギ小屋の水を交換しに向かった。


「メッ!」『オリビア キタ』

「メエエッ」『草 食べたい』

「メッ」『そと! そと!』


 子ヤギのリリは外に出たいらしい。


「外に出ましょうか」


 そう声をかけると三匹のヤギたちが喜ぶ。ワクワクした気持ち、はやる気持ちが次々と流れ出てくる。

 ヤギ小屋のドアを開けて三匹を外に出し、眺める。

 ララはなにを困っているのか。わかりやすいヤギたちの心に比べ、人間の心は難しい。


「仕方ない。人間とヤギは違うものね」


 背後からララの声がした。


「オリビアさん?」

「わっ、びっくりした。ララ、もう食べ終わったの?」

「はい。オリビアさん、聞いてほしいことがあるんです」

「どうしたの?」

「私、試験の成績が良かったらしくて、ユリス先生に『王城勤めの薬師を目指さないか』と声をかけられました」

「ユリス医師に? それはすごいことなんじゃないかしら。ユリス医師はお城のお医者様の中でもかなり上の立場の方だもの」

「そうみたいですね。でも私、マーローの街で薬師として開業して、咳とか怪我とかの軽い症状を治すだけの人になるつもりだったんです。重病の患者さんがきたら王都に行って診てもらえばいいかなって思っていました」


 それはオリビア自身が何度も考えたことだ。

 命に関わらない患者さんだけなら、心の声が聞こえる自分にも薬師の仕事ができる、と思った。だが、そう自分にだけ都合よくいかないこともわかっている。


 薬を欲しがる患者さんが、命にかかわるほど重症の場合だってあるはずだ。

 自分の命が終わりかけている患者さんに向かい合う勇気がない。命が果てるときの心の叫びを聞くのが怖い。

 だからオリビアは薬師として名乗りを上げていない。


「もっと上の薬師を目指すと、最期を看取ることも増えるわね」

「はい。私はそれが怖いんです」

「怖い……わよね。その気持ちはよくわかるわ」


(私はそれが恐ろしくて薬師になれないんだもの)という言葉は心の中だけでつぶやいた。


 二人でしばらく無言でヤギたちを眺めた。


「でも、こんな機会を与えられることは、もうこの先ないと思うんです。誰かの最期に立ち会うことを恐れてこの機会を逃がしたら……私は一生後悔するような気もするんです」

「そうかもしれないわね」

「父が亡くなり母も亡くなったとき、薬師になりたいと思ったのに、いざとなったら勇気が出ません」

「ララの気持ちもわかるわ」

「オリビアさんは、誰かの最期に立ち会ったことがありますか?」

「祖母のときに。でも、祖母は病気ではなかったから。少しずつ弱って、眠ったのかと思ったら息をしていなかった。おそらくは恐怖も苦痛もなかったんじゃないかしら。穏やかな最期だった」

「そういう場合ばかりじゃありませんものね」

「ええ」


 子ヤギのリリが走ってきた。跳ねるような足取りで駆け寄り、オリビアの膝にゴツン!とおでこをぶつけてくる。『あそぼう』ということらしい。


「ララ、私にはあなたに意見を言う資格がないわ。助言はできないけれど、ララはララの心に正直になってほしい。あなたの人生なんだもの」


 ララはリリの動きを目で追いながら小さくうなずいたが、視線を動かしてオリビアを見た。


「誰かの最期に立ち会うことが恐ろしい他に、コリンのこともあるんです」


 コリンはマーローの街で靴職人として修業中の若者で、ララの恋人だ。


「王都に引っ越しして王城勤めの薬師として勉強をするようになったら、コリンとお別れすることになりそうで。それも踏ん切りがつかない理由です。王都とマーローは馬車で三日。往復することを思えば一週間は必要になります。薬師として修業しようって人間が、そんなに休めるわけがないでしょう?」

「ええ、そうね」

「薬師として成長することを望むのか、コリンの奥さんになって軽い病気と怪我だけを診る田舎の薬師になるのか。それを今決めなきゃならないのが、難しいです」

「うん……」


 オリビアは言葉を選びかねている。

 祖父母は二十年以上も離れていたが、結婚した。それを簡単にララに言う気にはなれない。二十年という年月が、二人からどれだけのものを奪ったか。何度も考えた。

 祖父母は子を持つことを諦めねばならず、他の夫婦に比べたら一緒に過ごす時間も、思い出も少なかったはずだ。


「困ったわね」

「はい」

「コリンには話をしたの?」

「これからです。私の覚悟が決まってから話そうと思っています」

「そう……。覚悟が決まらなくても、コリンには帰ってきたことを知らせてあげたら? きっと心配していると思うわ。そして正直に迷っていることを話したらいいと思う。コリンの意見も聞けるでしょうし」

「そうですね……。そうします。今からマーローに行ってもいいですか?」

「もちろんよ。行ってらっしゃい」

「はいっ」


 ララは走って離れを出て行った。すぐに馬車のガラガラという音とグレタの足音が遠ざかって行った。ゆっくり店に戻ると、使った食器は洗ってかごに伏せて置いてあった。

 それを眺めていたら、パサパサと羽音がして、スズメのチュンがやってきた。


「チュン、久しぶりね。元気だった?」

『雨! 雨! いっぱい雨!』

「あら、大変。教えてくれてありがとう」


 オリビアはダシを取った鶏ガラの骨に張り付いていた肉のかけらを窓枠に置いた。

 チュンはそれを素早く食べると、いつものようにくちばしを窓枠にゴシゴシとこすり付けて飛び立った。


「あんなに急いでいるところを見ると、大雨のようね。ララもアーサーも酷いことになる前に帰ってこられるといいんだけど」


 冷たい風が吹き始めた。遠くで雨が降り出したのだろうか。

 風に乗って、雨の匂いがする。街道まで出て空を見ると、南の空に真っ黒な雲が出ている。


「あれはかなり降りそう。今夜はお客が来ないかもね」


 二階に上がり、全ての鎧戸を閉め、ガラス窓も閉めた。そこで思い出してペペのお乳を搾る。お乳を入れた壺を抱えて母屋の台所に腰を下ろした。

 カッ! と外が明るくなり、だいぶたってからドドーンと低い音。

 ロブがキューンと鼻を鳴らした。『コワイ コワイ』

 ロブは雷が大嫌いで、とても怖がる。ダルとスノーは驚いてはいるが、さほど怖がってはいない様子。


「雷雨だわ。街道を移動している人になにもないといいけれど」


 オリビアは窓の前に立って、南の空を見た。雷雲がゆっくり近づいてくる。

 雨が降り出したころ、アーサーが帰ってきた。


「よかった、間に合ったわね」

「ああ。アニーを急がせたよ。街道は雷に撃たれることもあるからな」

「無事でよかったわ。そうそう、ララが帰ってきたわ。合格したんですって」

「そうか。よかったね。今夜はお祝いだな」

「それがね……」


 オリビアはララから聞いた話をして、今、コリンと話し合うためにララがマーローの街へ出かけていることを説明した。


「二人とも若いからなあ。どうなるか」

「そうね。二人とも初めての恋でしょうから、成就したらいいなと思う一方で、ララの可能性を潰さない道が開けたらいいのに、とも思うの」

「ララがどんな道を選ぶにしても、俺たちは応援してやればいいさ」

「そうね。それがいいわね」


 雷雲が近づき、猛烈な勢いで雨が降り出した。

 雷が何度も鳴り、そのうちのいくつかは近くの森に落ちたようだった。


(チュンは無事かしら)


 愛する人と旅に出たアオカケスのリディは、こんな雷雨の中を何度も生き延びてきたのかと思うと、胸が痛む。オリビアは森の全ての動物たちのために無事を祈った。


 激しい雷雨が通り過ぎ、雨がやんだ深夜になったころ、ララは帰ってきた。なんとも元気がない様子に、オリビアはヤギミルクにたっぷりの蜂蜜を入れて温め、アーサーと二人で話を聞くことにした。

 ララは両手でカップを持ち、ひと口飲んだところで「ふえっ」と泣き出した。


「私、やっぱりお城の薬師になりたくて、正直にコリンに話をしたんです。そうしたらコリンは『えっ』って言ったきりで、何も答えてくれなくて。私、コリンかお城の薬師か、どちらかを諦めなくてはならないようです」


 オリビアは何と慰めようかと考え込んだ。ララからは『悲しい』『コリンと別れたくない』『薬師の仕事も諦めたくない』と次々と悩める心が流れてくる。

 アーサーはしばらく黙っていたが、ララの顔を見ながら話しかけた。


「ララ、ララはまだ若い。今すぐ結婚を決めなくてもいいと思うよ。だけど、薬師試験は毎年新しい人たちが試験を受けに来る。お城の薬師にならないかというお誘いは、もしかしたら今回が最初で最後の機会かもしれない。コリンがララのことを本当に好きだったら、何年か待つことはできると思うが」

「待っていてくれるかどうか、自信がないです。私がいない間に、他の人を好きになってしまうかもしれません」

「自信がないなら、今焦ってコリンとの結婚を選ぶのは感心しないな」


 オリビアはアーサーが口を出し過ぎではないかと心配になった。

 


 

続きは近いうちにまた更新します。

やっと心に余裕ができてきたのです。

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