8 ウィリアム
翌朝七時前にオリビアは店の外に出てアーサーを待った。もちろんロブも一緒だ。ロブはお出かけが嬉しいらしく、ずっと尻尾をゆらゆらと振っている。
オリビアは(子供じゃないんだから)と自分の張り切りっぷりが我ながらおかしくなる。昨夜から準備万端整えて、帰りが昼近くになってもいいようにしておいた。
やがて、マーローから続く街道にアーサーの姿が見えた。ロブが走り出して迎えに行き、アーサーを見上げながら嬉しそうにその周囲を走ったり、またアーサーの隣にピタリとくっついたりしている。
「おはよう、オリビアさん。待たせたかな」
「おはようございます、アーサーさん。今出て来たところです。今日はどんな薬草を採取するんですか?」
「これとこれと、これ。あと、あればこれも」
アーサーが見せてくれたメモに書いてある薬草は、どれもオリビアが生育してる場所を知っている物ばかりだった。
「任せてください。全部どこに生えているか知っています」
「全部? すごいな。森の中のことを知り尽くしてるなんてことは……君ならありそうだな」
「まさか。どれも普段から私が使うものだからですよ」
二人で森に入り、獣道を歩く。今歩いている道はおそらく狐やアナグマたちの通り道だ。巡回ルートを毎日歩き回っているであろう彼らの顔が思い浮かぶ。
歩き出して十分ほどで最初の薬草生育地に到着した。
「これは胃腸用の薬草だな。二十八、二十九、三十本。よし、完了。オリビアさんはこれを何に使ってるんですか? 料理に使ってるわけじゃないでしょう?」
オリビアの顔が一瞬固まった。
「ああ、ごめん。別に君のことを探るつもりはないんだ。俺も俺自身のことをあれこれ聞かれるのは苦手だし」
「そう、ですか」
「うん。傭兵の仕事なんて、話したくないことはたくさんあるんです。いや、違うな。話したくないことがほとんどです」
その後は話が途切れたまま二人で森の中を歩く。
オリビアは(二度も動物と話をしている場面を見られた以上、問い詰められたら何かしら説明しなければ)と思っていた。
ところがアーサーは探るつもりがないという。その言葉からは嘘を感じない。
長年周囲の人に用心して隠してきた能力を、初めて会ったばかりの人に二度も見られた。その相手が能力のことを尋ねてこない。(どんな奇跡か)と思う。
(でも用心しなきゃ。全部人にしゃべったせいで私が捨てられたことを忘れちゃダメ。今、噂になってあの店と家を失うわけにはいかないんだから)
「必要な薬草をもう一度見せてくれますか? ああ、なるほど。次はこちらです」
「ありがとう、助かります。あっという間に仕事が片付きそうだ」
「私も薬草を採取できますから。気にしないで」
心臓の薬になる薬草、傷薬になる薬草、熱さましになる薬草。三種類の薬草を二人で集め、本当にあっという間にアーサーの仕事が終わった。
「毒桃を摘みに行ってもいいかしら」
「もちろん。毒桃っていうくらいだから毒なんだろう? それをどうするんですか?」
「ええと、昨日アーサーさんが食べたピクルス、あれが毒桃です」
「えっ」
「驚きますよね。地元の人はみんな知ってるけど、あれは胃もたれを防ぐ働きがあるんです。豚ほほ肉は脂っこいから、豚の皮やほほ肉を使う時に出してるの。安心してくださいな。ちゃんと毒は抜いてありましたので」
「安心しました」
「アーサーさんも摘んで行けばいいですよ。きっとフレディさんが喜びます」
「そうですか。初回から優秀な店員と思ってもらえるチャンスですね」
アーサーが笑い、オリビアはその優しそうな笑顔を少しの間(いい笑顔ね)と思いながら見る。毒桃の茂みに着いて赤く熟している実を選んで二人で摘んだ。オリビアの籠もアーサーの布袋もいっぱいになり、さて帰ろうかと引き返し始めたところで、ロブがさらに奥の方を見て吠えた。
するとロブの声に反応してその声が聞こえた。
「誰か! 誰かいるのかっ! 頼む、助けてくれ!」
森の深い場所で人に出会うことは稀だ。このあたりがあの狼の縄張りなことは、地元民ならみんな知っている。オリビアがすぐさま声を張り上げた。
「今そちらに向かいます!」
アーサーは一瞬オリビアに「あっ」という顔で目を向けたが、もうオリビアが返事をしてしまった後だ。なので何も言わずにオリビアの隣を歩き始める。
だが右手でそっと腰の右後ろにぶら下げていた大型ナイフのホルダーのボタンを外し、何かあれば即時に取り出せるようにした。
その人物は地面に座り込んでいた。
三十代前半の男性で、黒い髪、栗色の瞳。みるからに裕福そうな服装。だが顔は疲れ切って髪も乱れていた。
「ああ、助かった。昨夜はここで獣に殺されるのかと覚悟したよ! ありがとう! ありがとう!」
「怪我をしたんですか? 立てますか?」
「痛くて立てそうにない。右の膝を酷く傷めてしまった。つまづいて転んだんだが、その時にブチッという音がしたんだ」
オリビアは男性に近寄ってズボンをめくろうとしたが、少し触っても激痛の様子。まずは興奮している男性を落ち着かせようと、水筒の水を飲ませ、肩掛けカバンから飴を取り出して食べさせた。
それを見ていたアーサーは近くの木を見回し、一本の木を選んで大型ナイフをふるい始めた。ガッ! ガッ!となんども木にナイフを叩きつけ、少しずつ削って、最後はそこそこの太さがある枝を切り落とした。
「俺の肩につかまってください。そう、そんな感じです。二人が並んで歩けない場所は、この枝の股の部分に脇の下を当てるようにして使えば、歩けると思いますが」
「ああ、助かるよ。どれ、立ってみるか。手を貸してくれたまえ。アッ! 痛たたたっ! だが、うん、立てた。ふぅぅ。感謝する。僕はウィリアム。このお礼は必ずする!」
オリビアは男がやたら騒がしいのは興奮しているのだろう、と判断して優しく微笑んだ。痛みで苦しんでいるとき、誰かの笑顔は薬になる。
「困ってるときはお互い様ですからお礼はいりません。私の家まで普通に歩いても四十分はかかりますが、どうしますか。歩きますか。私たちが馬や馬車を呼びに行くとなると、二時間以上は待つことになりますけど。それだって、もう少し浅い場所までは歩かなければなりません。馬ではここまで入れませんので」
二時間以上と聞いてウィリアムは目を閉じた。
「そうか。一番近いのがあなたの家ってことなんだね?」
「はい」
「では申し訳ないが君の家まで連れて行ってくれるかい?」
「わかりました。さあ、右脚に体重をかけないようにしてゆっくり進みましょう」
ウィリアムは相当膝が痛むらしく、脂汗を流している。体格がいい人なのでアーサーが背負うわけにもいかず、肩を貸すというより半分ウィリアムを担ぐような形でそろそろと歩いて進むことになった。
来たときの何倍も時間はかかったが、やっとオリビアの店に着いたころには、さすがのアーサーも汗だくになり、ウィリアムはウィリアムで口数が減って青い顔になっていた。
「すまないが僕の家に連絡を入れてもらえるだろうか。ひと晩留守にしたから、きっと心配していると思うんだ。君に頼みたい」
「わかりました。住所を教えてください」
「別荘地だ。ヒューズ家と言えば別荘地の人間ならわかるはずだ」
名前を言っただけでわかるなら、相当な家だ。オリビアとアーサーは二人で目を見合わせたが、アーサーは顔に出すことなく「わかりました」とだけ返事をした。手早くオリビアが別荘地までの道順を書いてアーサーに渡す。
『スープの森』から出たところでアーサーは独り言をつぶやいた。
「王都から遊びに来ている金持ちの息子か。おそらく大変な騒ぎになってるな。走るか」
アーサーは摘んだ薬草を傷めないように押さえて走った。ほとんど手ぶらの今なら十キロ程度の距離を走ることなどなんでもない。