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スープの森〜動物と会話するオリビアと元傭兵アーサーの物語〜 【書籍発売中・コミカライズ】  作者: 守雨
第三章

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75 メープルタフィー

 暖炉の端に人の頭ほどの大きさの石が三つ。アーサーが選んできて暖炉で温め、オリビアが「あちち」と言いながら古い布を何重にも巻き付けた。それを三つ作って離れまで運ぶと、ラファエルが(これは?)という顔をしながら受け取り、その柔らかな温かさに笑顔になった。


「これは温かいですね。夜もぐっすり眠れそうです」

「朝まで温かいはずです。使ってください」

「ありがとうございます、アーサーさん」


 ヤギたちがいる離れの一階には、アーサーの手によって急ごしらえの寝床が作られた。四角く板で囲った枠の中にヤギ用のわらが大量に詰め込まれ、そこにふんわりとシーツが敷かれている。掛布団は今までラファエルが使っていたものをオリビアが持ちこんだ。


 ピートとペペは、小さな小屋の中で体をくっつけて寝ている。ピートはペペに誰も近づけたくないらしい。オリビアだけは例外だが、それ以外の人間が近づくと頭を低くして『それ以上近寄ると攻撃するぞ』という態度に出る。ピートは身重のペペを守るのに必死だ。


「ピート、俺もだめなのか?」

『ペペに近づくな』

「アーサー、ピートが嫌がってるわ」

「そうか。俺はまだ信用がないんだなぁ」


 アーサーは本気で残念そうだ。そんなアーサーとオリビアに向かって、ラファエルが笑いを含んだ視線を向けながら声をかけてきた。


「アーサーさん、ヤギの若き夫は、私のことも警戒していますよ。妻を思う夫の姿はヤギも人間も同じように微笑ましいものです。それと、ここにお邪魔させてもらっているのは私だけではないんです。あそこを見てください」

「あっ」


 ラファエルの視線をたどったオリビアが思わず声をあげた。

 一階の天井近くに渡されているロープに、アオカケスが止まっている。アオカケスは自分に視線が向けられていることに気づいているのかどうか。こちらを全く見ない。首をすくめ体を膨らませて目を閉じている。


「あのアオカケス、ラファエルさんに懐いていましたものね。よかったですね、ラファエルさん」

「はい。夜もあの子が一緒かと思うと、優しい気持ちで眠れます」

「では、私たちは母屋に戻ります。行きましょう、アーサー。おやすみなさい、ラファエルさん」

「はい、おやすみなさい、オリビアさん、アーサーさん」


 オリビアとアーサーは離れを出て母屋へと入った。


「よかったな、オリビア」

「ええ。あのアオカケスが一日も長く生きてくれることを願うばかりよ」

「そうだな」


 二人は母屋の台所でお茶を飲むことにした。オリビアがブレンドした薬草茶だ。香ばしい香りのお茶のカップを両手で包み、二人とも無言でお茶を飲む。

 台所の暖房を兼ねたかまどでは、パチパチと音を立てて薪が燃えている。しばらくしてオリビアが明るい声でアーサーに話しかけた。


「もうすぐメープルタフィーを作る時期だわ」

「メープルタフィー? カエデの飴ってこと?」

「ええ。春が近づいている時期の、ほんの短い間だけのお楽しみなの。来週には樹液を採取する準備をしようと思って」

「どうせなら俺の仕事休みの日にしてくれ。一緒に行くよ」

「ええ、一緒に行きましょう」


 二人は口には出さないが、ラファエルとアオカケスの時間の貴重さを思い浮かべていた。

 互いに心の中で『一緒にいられる間は一緒に過ごしたい』『二人で過ごす時間を大切にしよう』と考えていた。


 翌週、オリビアはアーサー、ララ、ロブと共に祖父が使っていた樹液採取の道具を抱えて森へと出発した。

 冬の終わりの森は、まだ日陰にはたっぷり雪が残っているものの、日当たりがいい場所や木の根元は雪が解けて草が顔を出していた。湧き水が流れる細い沢は、中央部分だけ氷が解けて清冽な流れが小さな音を立てている。


 三人と一匹は歩き続け、たどり着いた場所には、三本の大きなカエデの木。

 カエデの大木の種が飛んだのか、周囲にはぽつりぽつりとカエデの若木が育っている。


「この三本の木の幹に穴を開けて、少しだけ樹液を分けて貰うの」

「どれ、道具を貸して。俺が穴を開けよう」


 オリビアが地面にバケツを置き、少し上を指さした。


「この位置にお願い」

「よし、任せろ」


 アーサーが地面に膝をつき、道具を幹に押し当てて手回しのハンドルをグルグルと回す。ララはずっと黙っているが、家を出たときから(楽しみでたまらない)という顔だ。


 ゴリゴリと道具が音を立て、幹が削れて穴が深くなっていく。

 ときどきオリビアが人差し指を穴に入れて深さを確認している。何回目かに「よし」とつぶやいてアヒルのくちばしのような器具を回しながら穴に差し込んだ。差し込んだ金具にバケツの持ち手を引っかけ、木の蓋をする。


「明日には樹液が溜まっているわ」

「俺も溜まっているのを見に来たい。樹液がたっぷりなら重いだろうから、俺がバケツを運ぶよ」

「ええ。お願い」

「オリビアさん、私も来たいです! 樹液が何色なのか見たいです!」

「ええ、みんなで見に来ましょう。でもララ、樹液の色って……」

「言わないでください! 明日のお楽しみにしますから」

「はいはい」


 そのあとは三人でおしゃべりをしながら『スープの森』に帰った。メープルタフィーの話をしたときからずっと、甘いものが好きなララの鼻息が荒い。オリビアはそんなララを(なんて可愛い子だろう)と思う。


「ああ、楽しみで仕方ないです。メープルタフィーって、初めて聞きました」

「貴族の家では食べないのかしら。樹液をシロップよりも濃く煮詰めてから雪の上に垂らすとね、冷えて柔らかく固まるの。それを棒で巻き取って食べるのよ。私は大好きだわ」

「メープルシロップの味なんですよね? 甘くて美味しいメープルシロップの飴! しかも柔らかい出来立ての飴! ああ、早く食べたいです」


 ララは、その日何度もオリビアに樹液のことを聞いてきた。


「今はどのくらい溜まっていますかね?」

「さあ、どのくらいかしら。まる一日であのバケツにたっぷり溜まる感じだけど」

「煮詰める前に味見をしてもいいですか?」

「そのままの樹液は、かすかに甘いかな、くらいなのよ?」

「それでもいいです! 味見をさせてくださいね」

「ええ。好きなだけどうぞ」


 そして翌朝。

 ララがいつもよりずっと早く母屋にやって来た。


「おはよう、ララ。張り切っているわね」

「はい。もう、楽しみで楽しみで」


 ララがあまりに楽しみにしているので、朝食は帰ってきてからということになった。起きてきたアーサーと三人で離れのラファエルに声をかけた。


「ラファエルさん、私たちはこれからカエデの樹液を回収に行ってきますね」

「はい、行ってらっしゃい。私は留守番をしておりますよ」


 そう笑顔で告げるラファエルの肩にはアオカケスが止まっている。オリビアとは視線を合わせようとしないのは、『どうか私のことはそっとしておいてほしい』ということなのだろうと、心で語り掛けることも遠慮してオリビアは森へ向かった。


 少し前までは、ちょっと外に出ただけでまつ毛が凍るほど寒かった早朝なのに、今は薄暗い森を歩いていても寒さは楽だ。


「オリビアさん、春が近づいてますね。早足で歩いていたら、私、汗をかいてきました」

「そうね、春はもうすぐね。カエデの樹液って、二月の終わりから三月の最初のころしか採れないの。おじいさんはそう言っていたわ。私、子供の頃、年に一度だけ食べられるメープルタフィーが楽しみだった。おばあさんは『春を告げるお菓子』って言っていたわね」

「オリビアさんから聞くお話は、どれも童話みたいです。私、自分の子供に全部語って聞かせたいと思ってます」

「ええ、語って聞かせてあげて。私のおばあさんやおじいさんの話を、ララの子供が聞いて育つなんて、なんだか幸せのおすそ分けみたいで嬉しいわ」


 やがて三本のカエデにたどり着いた。ララがバケツに駆け寄り、そっと木の蓋を開ける。


「わっ! たっぷり溜まっていますよ! きれい。カエデの樹液って、こんなに透明で澄んでいるんですね!」

「はい、これを使って飲むといいわ」


 オリビアが肩掛けバッグから小さなグラスを取り出すと、ララがそれをバケツに入れて樹液をすくい、美味しそうに飲んだ。


「ララ、お味はいかが?」

「なんていうか、爽やかです! 爽やかに優しく甘くて、栄養がたっぷりって感じがします。もう一杯飲んでもいいですか?」

「納得するまでどうぞ」


 ララが可愛くて、思わず笑いながら言うと、アーサーも飲みたそうにしている。


「あなたも飲みたいのかしら?」

「ああ。樹液なんて飲んだことがないからね。味見してみたいよ」


 グラスに二杯樹液を飲んだララが、残念そうにコップをアーサーに渡すのを見て、また笑いが込み上げる。アーサーは少しずつ味わいながら飲んでいる。


「どう?」

「感動している。カエデの木がこんなきれいな樹液を作り出したと思うと、植物は偉大だと思ったな。人間にはできないことだからね」

「そうね。人間にはできないことよね」


 幹にねじ込んでいた金具を回しながら抜き取り、家から持ってきた薪の芯の部分を栓のように差し込んだ。アーサーが木槌でしっかり打ち込み、幹から飛び出している部分を小さなのこぎりで切り落とした。


「なるほどねえ。これで樹液を無駄に流さずに済むわけだ」

「ええ。おじいさんに『樹液の採取はこの栓を打ち込むところまでが採取だぞ』と毎年言い聞かされたものよ」

「俺、君の夫になれて本当によかったよ。聞く話が全て心に沁みる」

「私もです。オリビアさんのおじいさんとおばあさんのお話、ひとつだって忘れたくなくて、全部日記に書いているんです」


 二人にそう言われて、オリビアは自分がいかに恵まれた環境で育てられたことかと思う。


「そうね、素敵な二人だった。私もあんな人になりたいと思える、素晴らしいお手本だったの」


 三つのバケツにはたっぷり樹液が溜まっていたので、それをこぼさないよう、今日はビリーさんに蓋つきのミルク缶を借りて持ってきている。ミルク缶に樹液を注ぎ込み、しっかりふたを閉めて抱えて帰る。

 ララは帰り道、ずっと鼻歌を歌っている。なんの歌だろうと耳を澄ませると「メープルタフィー、メープルタフィー、棒でクルクルメープルタフィー」と繰り返していた。ララの自作の歌らしい。


 その日はかまどでカエデの樹液を煮詰め続けた。立候補したララがつきっきりで大鍋をかき混ぜ、次第にメープルシロップの色になっていくのを嬉しそうに眺めている。

 昼の客も夜の客も皆、店に漂う甘い香りに気がついた。ラファエルの演奏を楽しみに来た客たちが、店に入るなり声をかけてくる。


「メープルシロップの匂いがするな」

「春がきたと思わせる匂いだ」

「メープルタフィーを作るのかい?」


 オリビアは客たち全てに返事をしながら、心に満ちてくる幸福感に目を閉じる。

(毎年雪解けの季節にメープルタフィーを楽しんで、夏にはさくらんぼを拾ってお茶にして、秋にキノコを干して、栗を拾う。なんて豊かで平和な暮らしなのだろう。おじいさん、おばあさん、私、幸せに暮らしています。安心してね)


 神の庭にいるであろう祖父母に思わず語り掛けた。


 夜、メープルシロップの濃さまで煮詰まった樹液は、もう透明ではない。見慣れた薄い茶色だ。そこからタフィー用に少し取り分け、小鍋でさらに煮詰めた。仕事から帰ってきたアーサーも、鍋の中身に興味津々な様子だ。


「そろそろ頃合いよ。さあ、雪を持ってきてメープルタフィーを作りましょう」

「はいっ! ついにメープルタフィーを味わえるんですね!」

「ラファエルさんも一緒に楽しんでくださいね」

「ありがとうございます。楽しみです」


 オリビアがたきぎ小屋の屋根の雪を大きな料理用のバットに敷き詰めた。そこに粗熱を取ったタフィー用のメープルシロップを細長く垂らして、フォークで押し付けるようにしながら巻き取った。

 オリビアのお手本を見ながら、ララとアーサーは木の枝で巻き取っている。


「では、お味見をしましょう!」


 オリビアの掛け声で、四人が同時にメープルタフィーを口に運んだ。

 濃厚に甘く、豊かな香りのメープルタフィーが、口の中でスウッと溶けてゆく。


「んんん! 美味しい!」


 ララがすぐに二回目に挑戦している。アーサーが優しい顔でそんなララを見ている。


「アーサー、どうかした?」

「さくらんぼのお茶のときと同じくらい感動しているよ。本当に豊かな暮らしだ」


 ラファエルもうなずいた。


「私もそう思います。この家は、心を優しくする魔法がかけられているようですよ。あのアオカケスもすっかり私に懐いて、いつも一緒にいたがるんですよ。野の鳥があんなに人に懐くなんて、今でも信じられません」


 そしてラファエルは思いがけないことを言い出した。


「もうそろそろ冬も終わります。ずいぶん長いことここでお世話になりましたが、また旅に出ようと思います」

「えっ。せっかくアオカケスが懐いたのに……」

「あの子が一緒に旅をしてくれるなら嬉しいですが、どうでしょうねえ」


 オリビアが(どうしよう、リディアナさんには何も言うなと言われたけれど、本当になにも言わないでいいのかしら)と迷っていると、アーサーがそっとオリビアの手を握った。アーサーの心が強く流れ込んでくる。


『なにも言わないほうがいい。リディアナさんは繰り返しアオカケスに生まれ変わりながらラファエルさんに会いたいと願っていたんだ。何十年もだ。彼女の気が済むように、望むようにしてやろうよ』

『ええ……そうよね、きっとそのほうがいいのよね』


 甘く美味しい飴を食べながら、オリビアは(アオカケスのリディアナはどうするのだろう)と深く心配している。


  

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書籍『スープの森1・2巻』
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