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スープの森〜動物と会話するオリビアと元傭兵アーサーの物語〜 【書籍発売中・コミカライズ】  作者: 守雨
第二章

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69 ダル、家を目指す

 木箱の中に閉じ込められたダルは、長いこと鳴き叫んでいた。

 だが、やがて鳴くのをやめて考え始める。難しいことを考えるのは苦手なダルだが、あの家に帰りたい一心で考えている。


『鳴いても帰れない』


 やっとそこに気がついた。そして、木箱の蓋を持ち上げようとした。

 背伸びをして蓋を持ち上げるけれど、力を抜けば蓋は元通り。


『おうち 帰りたい』


 そう思いながら隙間から外を見る。馬車はどんどん進み、大好きなおうちはどんどん遠くなる。

『もうダメだ』と絶望して丸くなっていたら、蓋が開けられた。


「おい、ちび助、飯だぞ。パンしかないが、これで我慢してくれよ」


 行商人の男がそう言いながらパンを木箱の中に差し入れようとした瞬間、ダルは跳び上がり、箱を飛び出して全力で走りだす。


「おい! こら! 待て!」

『おうち 帰る!』


 馬車とは逆方向に、全力で走る。家の方向は体が教えてくれる。ダルは街道を北へ北へと走り続けた。しかし長距離を走ることに慣れていない体は、すぐに息切れしてしまう。

 男はもう追ってこない。それに安心して、ダルはぽてぽてと歩き続けている。


『おなかすいた ニク 食べたい』


 街道の脇には森があり、鳥やリス、ネズミの気配がする。仕方なくダルは森に入り、ネズミを狩って食べた。もう、森のなかは暗い。街道もすぐに暗くなる。

『キツネ 怖い オオカミ 怖い』

 雪道で見つけたウサギの血を思い出して、ダルは森から離れ、また暗くなりつつある街道を歩き始めた。喉が渇いたので少しだけ雪を口に入れる。


『寒い』


 雪が体の内側から熱を奪う。本能的に『雪をたくさん食べるのはよくない』と察知して、喉の渇きを我慢しながら歩き続ける。

 森の中を動く動物の気配に怯えながら北を目指す。夜の間、ずっと歩き続け、やがて疲れ果てて木の根元で休むことにした。


『ロブのベッド……』


 暖かい部屋の、柔らかいベッドを恋しく思いながら朝まで丸まって眠っていると、馬車が止まる音。あの行商人の男か? と飛び起きたダルは、降りてきた人物が懐かしい匂いをしていることに気づく。


『あれ? 同じ匂い』


 その男性からは、オリビアの二階の薬草を干している部屋と同じ匂いが漂ってくる。ダルは懐かしい匂いに引き寄せられて、若い男に近寄った。


「おや。人家もない場所に猫とは珍しい。どうした?」

「なーん なーん」『おなか空いた 疲れた』

「腹が減っているのか? 猫に与えるようなものがあったかなあ」


 若い男は馬車に戻り、ごそごそと荷袋をかき回してパンを持ってきた。


「お前が食べてもよさそうなものは、パンしかないな。あとは塩辛い干し肉だ。パンで我慢してくれ」

「なあん なん なあん なん」『食べる 食べる』

 むっちゃむっちゃと小さな口でパンを食べているダルを、男がニコニコと眺めている。


「お前、片目なんだな。森の獣に食われては可哀そうだ。どれ、私と一緒に行くかい?」


 そう聞いてダルは慌ててパンを咥えて、男から距離を取る。

『いやだ おうち帰る』

「なんだ、嫌か。そんなに尻尾を膨らませなくても、無理強いはしないよ。じゃあな、片目猫。オオカミに気をつけろよ」


 馬車で去って行ったのは王城勤めのユリス医師だ。

 南部の地域を治めている公爵閣下が重い風邪を引いたとの知らせを受け、陛下に「弟を頼む」との命を受けて派遣された。その治療をしてきた帰りである。


「さあて、この道沿いに『スープの森』があったな。ぜひ立ち寄ってオリビアさんの手料理をいただくことにしよう。君、馬車を出してくれたまえ。途中、食堂が街道の左手にあるから、そこに寄ってほしい」


 ユリス医師は馬車に乗り、御者に出発を命じる。離れて行く馬車を見ながら、ダルはパンを食べ終え、少しの雪を口に含んで、また歩き出した。


    ※………※………※


「お久しぶりです、ユリス医師。お元気そうで」

「ええ。不摂生な生活をしている割には元気です。王城の医師はみんな運動不足で不健康ですよ。忙しいですから」

「さあ、こちらの席にどうぞ」

「いや、できれば台所のあのテーブルがいいな」

「え? それはどういう……」

「この席ならオリビアさんと話ができるじゃありませんか。あまりゆっくりできないんです」

「ああ、なるほど。ではどうぞ」


 客はまだユリス医師と御者しかいないが、自分の分を作っている間も話がしたい、ということらしい。ユリス医師は台所の家族用テーブルに座る。「御者の分もお願いします」と言いながら、隅の方に目をやる。置かれている箱ベッドにロブとスノーが丸まって寝ているのを見て、ユリスが笑顔になった。


「あれ? 犬だけじゃなくて猫もいるんですね」

「ええ、猫は本当は二匹いたんですけど、数日前に一匹いなくなってしまって。心配しているところです」

「それは心配ですね」

「ええ。心配であまり眠れませんでした。さあ、今日の日替わりスープです。ニンジンと玉ねぎとクルミのポタージュです」

「色がきれいだ」

「味もいいですよ。そうそう、このララは来年の薬師試験を受ける予定です。合格したらどうぞご指導をよろしくお願いします」


「ララと申します。今は薬師試験の勉強中です」


 陽気な笑顔の若い娘がぺこりと頭を下げる。

 そこからララとユリス医師が薬の話を始め、オリビアは本日の付け合わせの豚肉のローストを切り分けていた。だが途中で手が止まる。


「ここで飼われている彼らは幸せだね。途中の街道で猫を見たよ。周囲に一軒も家がない場所だったから、森で生きている猫だろうけど、片目がなくてね。森で生きるのは過酷なんだろうね」

「先生っ! その猫、毛の色は? 白と黒に茶色が混じっていませんでしたか?」

「茶色は少しで、だいたいが白と黒だったような」


 オリビアがユリスに詰め寄る。あまりに切羽詰まった様子に、ユリスは上半身を少し引いた。


「頭の部分はこう、真ん中分けの柄でしたか?」

「うん。そうだった。え? もしかしていなくなった猫って片目の白黒まだらの?」

「それですっ! どこです? どこでダルをみたんですかっ?」

「四時間も前の話だから、五十キロは離れていたと思うが。この街道沿いだよ」


 ララとオリビアが目を合わせる。


「オリビアさん、私が行きますか? オリビアさんが行きますか?」

「私が行くわ。ユリス先生、申し訳ございません。私、その子を探しに行って参ります」

「えっ」

「ララ、グレタを借りるわね」

「はい、どうぞ!」

「待って! じゃあ僕も行くよ、僕の馬車で行こう。案内します」

「いえ、馬車からでは見逃すかもしれないので、私は馬で行きます。申し訳ありません」


 そう言われても、ユリスはこのまま食事をする気になれない。御者には「悪い、君はここで待っていてくれ。馬で今来た道を戻ってくる」と言って店を出る。

 馬車を引いていた馬にくらを置き、乗って出発するころにはもう、オリビアの姿が遠い。


(やれやれ。なかなかオリビアさんとゆっくり話をする機会が来ないな)

 巡り合わせの悪さにがっかりしつつ、馬を急がせてオリビアを追いかけ、隣に並んだところで声をかけた。


「オリビアさん、猫がいた場所まではまだまだですよ」

「ええ、それはわかっているんですけど、ダルがいなくなってからもう五日もたっていて。さぞかしおなかを空かせているだろうと思うと……」


 オリビアが何気なく左に並んでいるユリス医師を見た。緑の瞳が潤んでキラッと陽の光を反射する。

 ユリスは光を反射する目を見た瞬間、何かにグッと心臓を握られた。胸に痛みさえ感じたが、すぐに自分をたしなめる。

(落ち着け、彼女は結婚しているんだぞ)

 

「あのまま無理にでも連れてくればよかったな。僕の匂いを嗅いでいたからパンを与えたんだけどね。抱き上げて城まで連れ帰ろうとしたら嫌がられたんだ」

「まあ。あの子は人懐こいのに、怖い思いをしたのかしら」


 オリビアは何を聞いても胸が詰まる。

(人間の我が子を思う母親は、こんな気持ちなのだろうか)と思いながら、道の両側を凝視する。絶対にダルを見逃したくない。

 途中からユリスはオリビアに話しかけることを諦め、左側を見ながらダルを探すことに専念した。


『スープの森』を出発してから数時間。馬を止めて、ユリスとオリビアが辺りを探し始めた。


「ダールー! ダールー! どこぉ?」

「おおい、片目猫、出てこい」


 二人は声を張り上げるがダルは出てこない。ついにユリスがダルを見かけた場所まで戻ってしまった。

 

「ここで別れたから、今はもっとずっと店に近づいているのかもしれないよ。すれ違いになったのかな」

「ええ、引き返しながらもう一度探しましょう。あっ、でもユリスさんはお城に戻らなくてはなりませんよね。もう大丈夫です。せっかく店に来ていただいたのに、申し訳ありません」

「まあ、いいさ、僕も一緒に探すよ。上司には『途中で腹が痛くなって休んでいた』とでも言うさ」


 医師なのにそんな理由でいいのかと思いつつ、二つの目より四つの目のほうが見つけやすいだろうと、ユリスの好意に甘えることにした。

 しかし、日が暮れるまで探してもダルは見つからない。さすがにユリスを帰さなければと考えて、オリビアはユリスと連れ立って店に向かった。


     ※………※………※


 その頃ダルは、キツネの背中に乗って運ばれていた。


『おうち ボクの おうち』


 ご機嫌なダルを背中に乗せて森の中を進んでいるのは、雪の中で凍死しそうな人間の存在を知らせたあのキツネだ。


『ここ あたたかい』


 お気楽なダルの感想を聞いて、ため息をつきつつキツネはダルを乗せて歩く。痩せてはいるが、ダルは三キロあり、背中に乗せて長い距離を進むのは少々しんどい。

 キツネの縄張りは五十平方キロほど。広い縄張りは他のキツネの縄張りと重複しつつ維持されている。


 その日、キツネは縄張りの端まで狩りに出かけた。森の街道の境目で、嗅いだ覚えのある匂いと『おなか すいた おうち 帰りたい』と嘆いている猫の声を聞きつけた。

 

『猫を狩れば、肉にありつける』


 音を立てないよう、森の中から街道に向かうと、嗅ぎ慣れた匂いが強くなる。その匂いはとびきり美味しい肉の記憶と結びついて思い出された。


『あの人間の匂い』


 何種類もの薬草の匂いと人間の食べ物の匂いが混じった、複雑な匂い。キツネの心にオリビアの姿が浮かび上がる。

 あの人間は食べ物をくれるが、それはなにかと引き換えだ。

 もう一度、猫を見る。猫の縄張りはそれほど広くない。あの店からこんなに離れた場所にいるということは、普通ではないとキツネは気づいた。


『猫を連れて行くか』

 

 猫を連れて行けば、肉を貰えるかもしれない。

 街道が見える場所まで進み、やぶの中から猫を見ると、猫はゆっくり歩きながら繰り返し嘆いている。


 森の中からキツネが姿を現すと、ダルは垂直にピョンと飛び上がった。体の側面をキツネに向けて背中を弓なりにし、背中の毛と尻尾の毛を逆立てている。


『くるな! あっち いけ!』

『食べない おまえ 連れて行く』


 ダルは用心しながらもキツネの言葉に興味を示した。


『ボクの おうち?』

『黒い 犬 一緒 人間のメス』


 逆立てていた毛を倒したダルは、体がシュッと小さくなった。


『そこ! 一緒 行く!』


 キツネの言葉を信じてすぐに近寄るダル。

 自分を疑わずに近寄ってくるダルを見て、キツネは呆れる。キツネの子供たちは、ここまで愚かな行動はしなかった。

 キツネはあらゆることを用心して生きるよう、子ギツネに教えながら育てた。

『きっとこの若い猫は、親猫に何も教わっていないのだろう』とキツネはダルを憐れんだ。


『お前 愚か』

『愚か? なにが?』


 それには答えず、キツネが地面に伏した。

 攻撃の意思がないことを示すと、ダルは疑うことなくキツネに近寄る。フンフンとキツネの匂いを嗅ぎ、スリッと顔をこすりつけた。


『愚かだ』とキツネは再び思う。

 あの旨い肉がなければ、今この場で飛び掛かって首の骨を噛み砕きたいところだ。だが、猫の肉よりずっと旨い肉を選ぶことにして、噛みつきたいのをグッと堪えた。


『愚か 猫 乗れ』

『うん!』


 猫と一緒にノロノロ歩くより早かろうと、背中にダルを乗せ、キツネは森の中を早足で進む。途中でオリビアたちの馬とすれ違ったことに、キツネもダルもオリビアも気づかない。

 肝心のダルは、キツネの体温に温められ、一定のリズムで揺られているうちにウトウトし始める。

 

 眠っているダルはキツネの背中からずり落ちそうになると目を覚まし、背中の真ん中にモゾモゾと戻り、また眠る。もう何日もまともに眠っていないから、ドロドロに眠いのだ。

 ダルを背中に乗せたキツネが『スープの森』に着いたのは、夜の遅い時間。


『降りろ』

『あっ!』


 背中から振り落とされた。

 ゴロンと地面に放り出されて目が覚め、あたりを見回すダル。

 自分がどこにいるのか理解すると、ダルは猛烈な勢いで台所のドアにある犬猫用の小さなドアに突進し、家の中に吸い込まれていく。


 空腹を抱えながらキツネがオリビアをじっと待っている。『腹が減った』と独り言を言っていると、すぐに店のドアが開き、オリビアが出てきた。


「ダルを助けてくれて、連れてきてくれて、ありがとう。お礼を持ってきたわ」


 人間の言葉はわからないが、オリビアの心がとても幸せなのは伝わってくる。猫を連れてきたお礼を貰えるらしいこともわかる。

 柔らかい肉がキツネに向かって放られた。伸びあがって空中で肉を咥えると、たちまち口の中にたっぷりの肉汁が流れ込んでくる。


 万が一にも他の獣に奪われないよう、大急ぎで近くの茂みに移動した。前足で肉を押さえ、鋭い歯で噛みついて引っ張ると、肉はやわやわと裂ける。


『ああ 旨い』


 そこそこ大きな肉の塊を三回に分けて飲み込み、口の周りを舐める。脂も肉も、恍惚となるほど旨い。

 振り返ると、オリビアが立ってこちらを見ている。

 キツネは素早く森の中へと姿を消した。あの人間のメスは安心できるが、あれのツガイは信用できない。あのオスは危険だと本能が騒ぐのだ。


『巣穴に帰ろう』


 脂の旨さが口の中に残っている。キツネは幸せな気分で森の中を歩いた。 

 

 家の中では、ダルが夢中になってごはんを食べている。餌皿に顔を突っ込み、むっちゃむっちゃと音を立てて。それをララ、アーサー、ロブ、スノーが見守っている。


『うまー ニク うまー!』


 玄関から戻ってきたオリビアが泣き笑いをしてダルを見る。スノーもロブも、ダルが入ってきたときは喜んで駆け寄ったが、すぐに距離を取った。今も食事中のダルの匂いを嗅いでは鼻にシワを寄せる。


『ダル イヤな ニオイ』

『ダル キツネの ニオイ』


 満腹して暖炉の前で横になったダルだったが、すぐにアーサーに抱えられ、嫌がってもがいたものの、ガッチリ押さえつけられてオリビアに洗われる。


『イヤー イヤよー』

「だめ。ノミがついてるかもしれないもの。それに、キツネの匂いがついたままだと、ロブやスノーが一緒に寝てくれないわよ」

『それも イヤー』


 洗われ、拭かれ、暖炉の前で乾かされたダル。


『スノー 好き ロブ 好き』


 やっとスノーとロブに近寄ることを許されて、ダルは今度こそ暖かく柔らかいベッドで眠り込んだ。

 すぐに眠ってしまったダルの記憶を探り、オリビアはダルがどうやって帰って来たのか、だいたいの事情を理解した。


 夜、寝室でオリビアからダルとキツネの話を聞いて、アーサーが驚いている。


「君だけはキツネに信用されているってことか?」

「信用とは違うわね。便利な存在、かしら。報酬を期待してダルを背中に乗せてきたんじゃないかな」

「君が見ている世界は、まるでおとぎ話だな」

「私だって驚いてるわ。キツネが猫を背中に乗せて家まで送り届けるなんて。こんなこと、あるのねぇ」

「久しぶりにくつろいでいる君を見て、俺もやっと安眠できる」


 アーサーの言葉が終わるか終わらないかのうちに、オリビアは眠りに落ちていた。

 

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書籍『スープの森1・2巻』
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