67 ロブとの出会い
ロブの元の飼い主は、今はもう神の庭に旅立った常連客だ。
暖炉の前で横になって眠っているロブを眺めながら、オリビアがロブとの出会いを思い出している。
※……※……※
「こんにちは、アイザックさん。お久しぶりです」
「久しぶりだね、オリビア。今日は体調がいいからね。久しぶりに来てみたよ」
アイザックは七十五歳。マーローの街に住む元材木商だ。
引退して悠々自適の生活をしているのだが、体調がすぐれない日々だというのは聞いていた。
「長年の友人だったジェンキンズを見送ったら、なんだか力が抜けてしまってね。風邪をこじらせた。もうすっかり回復したから心配はいらないよ」
「祖父とは長くお付き合いくださってましたものね」
「長生きすると、つらい別れがある。だが、こればかりは仕方がない」
オリビアとアイザックの会話を聞いているのは、何十年も仕えている女性で、彼女自身も六十は軽く超えている。
アイザックと女性は穏やかに会話をしながらスープを楽しみ、アイザックは帰り際、こんなことを言う。
「オリビア、大型犬を飼う気はないかね。乳離れを済ませた子犬がいるんだが」
「犬、ですか」
祖父母を相次いで見送って、当時はまだ二年。
動物の寿命が短いことを知っているだけに、情を移した犬に先立たれるのは……と首を振った。
「今はまだ。せっかくのお話なのに、ごめんなさい」
「ああ、いいよ。犬は人生の相棒だからね。迷いがあるうちはやめたほうがいい」
そう言ってアイザックは帰って行った。そのアイザックから手紙が届いたのは翌月のこと。
あのとき店に一緒に来た女性が体調を崩して退職した、ということだった。アイザックは引き留めたが、本人は『お役に立てないのにここにいるわけには』と辞退し、息子が迎えに来て連れて行ったらしい。
アイザックは気落ちしてしまい、マーローの屋敷を売り払って息子が商会を営んでいる王都に引っ越すことが決まったそうだ。
『この前話をした子犬は四匹のうち三匹は貰い手が決まったが、一匹だけ残っている。その最後の一匹を引き受けてもらえないか。
水遊びが大好きで、よく運動する種類の犬なので、できれば森のほとりに住んでいるオリビアに飼ってもらえたら嬉しい。無理強いはしないが、考えてみてほしい』
手紙はそう締めくくられている。
オリビアは(さて困った)と思いながらも心は少し、子犬を引き取る方に動いている。この店と森が自分を癒してくれたことを思えば、活発そうな子犬にも王都の街よりここがいいだろう、と思う。
店が休みの日、てくてくと歩いてマーローの街に行き、アイザックの家を訪れると、アイザックは真っ黒な子犬と庭にいた。早い時期に妻を失い、その後の心の拠り所だった女性もいなくなって、彼は急に老け込んでいた。
「オリビア、この子なんだ」
真っ黒な子犬はオリビアに飛びつきたいのだろう。アイザックに首輪を握られているのも気にせず、突進しようとしている。首が締まってハヒハヒと苦しそうだ。
急いでその子を抱き上げて顔を覗き込む。
『だいすき! だいすき! だいすき!』
会って一分もしないのに、子犬は全身でオリビアに好意をぶつけてくる。
ずっしりと重く温かい子犬を抱いていたら、(この子を手放したくない)と思ってしまった。
「お引き受けします」
笑顔でそう返事をして、黒い子犬はオリビアの家族になった。アイザックの家の馬車の中で、子犬はずっとはしゃいでいる。
「よろしくね」
『だいすき! だいすき!』
子犬にロブと名前を付け、一緒に遊んだり食べ物を与えたりして過ごした。ずっと子犬は元気だったが、その夜、もう寝ようという時間になってキューンキューンと鳴き始めた。
『さみしい さみしい おかあさん おかあさん』
同じ部屋の隅に敷いた古い毛布の上で、子犬は母親を呼んでいる。
アイザックからは詳しく育て方しつけ方を書いた紙を貰っている。何枚にもわたってびっしりと書き綴られている紙からは、子犬への愛が伝わってくる。
その紙には最初の晩、寂しがるようなら声かけて撫でてやってくれとある。
「お母さんと離れて寂しいね。今日からは私があなたのお母さんよ」
そう言いながら撫でる。オリビアの心が伝わって、ロブが少し落ち着く。ロブを抱いてその重さと温かさを感じているとき、気づいてしまった。
「私、この子に癒されてる」
貰い手が見つからない子犬を助けたつもりが、自分が子犬に癒されている。
祖父母がいない寂しさには慣れたと思っていた。なのに子犬を抱いていると、乾いた喉に冷たい水を流し込んでいるかのように心が潤っていく。
「ロブ。今日からあなたは私とここで暮らすのよ。私があなたのお母さん。よろしくね。あなたはゆっくり成長して。そしてどうか、長生きしてね」
その日からロブは、オリビアの友人であり、家族であり、相棒となった。
アーサーが大雨の日に登場するまで、ロブはたった一匹でオリビアを癒し続け支え続けてきた。
※………※………※
ロブはたちまち成長して、つやつやと美しい成犬になった。
森を楽しみ、川を楽しみ、オリビアの訓練を受けて、体重三十五キロの心強い相棒になった。
「ロブ、ゆっくり生きて。長生きしてね」
三歳になったロブにそっと話しかけると、ロブは眠ったまま小さく尻尾を振る。
そんなオリビアとロブを眺めているアーサーは、オリビアがロブを失う日を恐れているのを感じる。
(俺は長生きしよう。健康に気をつけて、オリビアを悲しませないようにしよう)
最近、『スープの森』で大人気の薬湯をカップに注ぎ、味わわないよう、一気に飲み干す。
「ああ、不味い。慣れない不味さだ」
「アーサーさんたら、飲むたびに同じことを言いますね」
「ララ、君は慣れたのかい?」
「慣れました。そういうものだと思って飲んでいます。おかげで調子がいいんですよ」
「君はまだ若いんだから、滋養強壮の薬湯なんて飲まなくても大丈夫だろう」
「いえ。コリンのために健康でいたいので」
「そうか」
「はいっ」
オリビアが台所に戻ってきた。
「今日は川に行って、氷を切り出そうと思うの」
「俺がやる」
「私もやるわ」
「いや、君は凍った川に落ちたら困る。君は氷を運ぶ係で」
「ええ? 毎年私が一人でやっていたんだから、大丈夫よ」
「オリビアさん、アーサーさんにお姫様扱いさせてあげてください。アーサーさんはオリビアさんのことが心配でたまらないんですから」
アーサーがうんうんとうなずき、オリビアは苦笑して諦める。
その日、三人はロブを連れて川に行き、まず大きな焚火を焚いてから氷を切り出すことにした。
最初は氷の分厚い場所に祖父が特注した銛のような道具で穴をあけ、そこからノコギリで氷を四角く切っていく。
アーサーがシャリシャリと氷を切り、オリビアとララが運ぶ。それを見ているロブの息が荒い。許可が出たら水に飛び込みたいのだ。
今日の分を切り出し終えて、「いいわよ」とオリビアが声をかけると、ロブが川に飛び込む。狭い範囲で大はしゃぎして、そのあとガタガタ震えるまでがコースだ。
オリビアとララは川から上がったロブを手早く拭いて火のそばで温める。
たっぷりの氷を洞窟に運び終えて、三人と一匹で『スープの森』へと帰る。
その間もロブは『楽しかった! 楽しかった!』とはしゃいでいる。
店に戻り、人間は熱いりんごのお茶と蜂蜜を塗ったパン。ロブには麦と鶏のごはん。
はしゃぎ疲れたロブは暖炉の前でいびきをかいて眠っている。留守番していたスノーとダルが、ロブにくっついて眠る。
『ロブ、外のにおい』
ダルがクンクンしたあとでつぶやいた。
そのダルが望まぬ大冒険をしてしまうのは、それからしばらく後の話だ。





