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スープの森〜動物と会話するオリビアと元傭兵アーサーの物語〜 【書籍発売中・コミカライズ】  作者: 守雨
第二章

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66 ウィルソンの家

「どうかなさいましたか?」


 慌てて台所から顔を出したオリビアが尋ねると、鍋の男は焦った表情で中に入ってきた。


「朝早くからすみません。あの、あなたは薬師ですか?」

「はい。王城の薬師さんに薬師を名乗っていいと言われました」

「申し訳ない、うちに来てもらえませんか? 母の呼吸が苦しそうなんです。でも、マーローの医者は、もうお手上げだと言って眠り薬をくれるだけです。なんとか母の痛みを楽にしてやりたいんです。ああ、こんな説明じゃわかりませんよね」

「すぐに参ります。どう具合がお悪いのでしょうか、その状態によって持っていく薬草が変わりますから」


 ウィルソンは必死に母親の状態を説明する。その間にスノーが尻尾をピンと立て、ウィルソンのズボンをクンクンとしている。

『くさい』とひと言つぶやいて、自分のベッドに引き返していった。ロブはこういうときに出て来て客を驚かせてはいけないことを知っているので、尻尾を振りながら見ている。

 ダルはベッドから出てこない。


「我が家は両親と僕の三人暮らしで、最近、転地療養を勧められた父のために引っ越してきたんです。父は引っ越してから、かなり良くなったんですが、母が」

「今、具合が悪いのはお母様なんですよね?」

「はい。引っ越してしばらくしてから、母がときどき『胸が苦しい』と言うようになって、今朝はもう、『うまく呼吸ができない』と言って苦しんでいるんです。今は父が付き添っています」


 聞いていたオリビアは二階に駆け上がる。


「オリビア、どうした」

「病人なの。マーローの別荘街まで行ってくるわ」

「じゃあ、診察が終わるころに俺が迎えに行くよ」


 マーローの街で働くアーサーはそれでは二往復することになってしまう。けれどアーサーの心配性を身に染みてわかっているオリビアは、「うん、お願いね」と。笑顔で返事をする。

 鍋の男はウィルソン・マッカンソーと名乗った。見たところ三十歳ぐらいか。明るい茶色の髪、温厚そうな茶色の瞳。痩せ気味の体格だ。

 十キロの道は馬車を急がせればそれほど時間はかからない。


 ウィルソンの家に着き、母親が寝ている部屋に案内されたオリビアは室内を見て目を見張る。壁と言う壁は書棚で埋め尽くされ、ぎっしりと本が収められている。そして本棚に入りきれない本は、床が見えないほど山積みにされていて、人が通る場所がようやく細い通路のようになっている。


 マッカンソー家の人にとってはそれが通常の景色だからだろう、「散らかっていて」とか「足元に気をつけて」という言葉もない。

 ウィルソンの母親はベッドに起き上がり、苦しそうな呼吸をしている。


「オリビアと申します。診察に参りました」

「ありがとうございます」

『ああ、若い女の人なのね。大丈夫なのかしら』


 五十代と思われる母親は、ゼイゼイと息をしながら、不安を心でつぶやいている。


「では、お胸を拝見します」


 オリビアはカバンから筒形の聴診器を取り出し、自分の手のひらで温める。それから夫人の寝間着の前を開いて、そっと胸に当てた。湿った音はしないが、呼吸が速くて苦しそうだ。


「お胸に湿布を貼ります。最初は少しひんやりしますけれど、すぐに温まりますから。ご安心ください」


 ウィルソンに頼んで熱いお湯を入れた瓶を用意してもらい、その間に軟膏をガーゼに塗り広げた。この軟膏は呼吸を楽にする薬草と蜜蝋みつろうを練り合わせたもので、オリーブオイルでゆるくしてあるものだ。

 

「ああ、いい匂い」

「いい匂いですよね。私はこれを手に塗ることもあるんです。乾いてひび割れそうな時に、よく効きますよ」

「まあ、そうなのね」

 

『いい匂いで心までスーッとするわね』

 心の声を聞く限り、母親は湿布が気に入ったようだった。室内は暖炉の前に蓋をしていない大鍋が置かれていて、空気がムッとしている。


 床に山積みされている本が邪魔で掃除が行き届いていないらしく、あちこちにほこりが目立つ。(これってもしかして)とさりげなく部屋中に目をやるオリビアは、この先どうしたものかと迷う。


 以前、これと同じ症状の患者を見たとき、あれこれ試しても一向に呼吸が楽にならず、結果、壁紙の裏に生えている黒カビが原因と分かるまで、一年近くかかったことがあった。

 結局壁紙を全部剥がして壁を乾燥させてから壁紙を全部はりなおしたのだが、その一家は結局その家を売って引っ越した。

 どうやっても壁紙の裏や本棚の裏に黒カビが生えてしまうということだった。


(この本棚の裏側、黒カビが生えているんじゃないかな)と思ったが、どう切り出せばいいか。本の持ち主であるウィルソンの父親が、本を愛していることは聞かなくてもわかる。本が生きがいなのかもしれない。しばらく考えたが、このままだとこのご婦人の体力がもたない気がする。


「先生、この湿布は効きますね。だいぶ息が楽になりました」

「そのようですね。奥様、今なら動けますか?」

「ええ、動けると思いますが」

「居間か他の部屋に移動していただきたいのですが。ここはちょっと空気がよくありません」

「空気が?」

「はい。できればお父様も」


 ウィルソンが「では二階の客間に」と言い、母親はウィルソンが背負って運ぶことになった。父親は本を片手に自分で階段を上る。具合は悪くはなさそうだ。

 冷えた二階の客間を温めるために暖炉に火が焚かれ、夫人の胸には布を巻いた瓶。父親は本を読み始めた。

 そのうち母親はうとうとと眠り始めた。


「ウィルソンさん、ちょっと」


 ウィルソンを廊下に呼び出し、そのままさっきの本だらけの部屋に移動する。


「なにか」

「あの部屋の壁紙の裏が心配です。一か所でいいので、壁紙を剥がして見せてもらえませんか?」

「はぁ。カビ、ですか」

「黒カビの量が多いと、あんなふうになる人もいます。人によるんです。症状が出なくても、お父様にもいいことはありませんし」


 まずベッドに一番近い本棚の前の本の山を移動し、本棚の本を全部出し、本の山を避けながら本棚を動かした。ウィルソンがその部分の壁紙をべりべりと剥がす。オリビアの予想通り、壁紙の裏側は壁も壁紙も真っ黒だ。


「うわ」

「やっぱり」


 ぶわっとカビ臭さが強くなる。オリビアは急いで窓を全部開けた。


「お母様の呼吸の苦しさはおそらくこの黒カビです。でも、本はお父様の生きがいなのでしょう?」

「ええ、おっしゃる通り。本に関してはもう、僕も母も諦めています」

「それなら本は本で寝室とは別にすべきです。それと、空気の入れ替えを頻繁にしないと、この部屋はもう、長時間いないほうがいいと思いますよ」


 部屋から出て、ウィルソンが頭を下げる。


「原因がわかって安堵しました。あなたはすごい薬師様ですね」

「過去に同じ症状の方がいらっしゃったので、わかったんです」


 この後は「代金を」「いえ、結構です」「それはおかしい」と言うやり取りがあり、『この家だけお金を貰うのも面倒なことになる』と思ったオリビアは、折衷案を出した。


「ではこれからもスープと薬湯をお楽しみください。それで十分です」

「欲がないなあ。店の食事の値段も安いし」

「必要なだけは稼いでいますから、いいんです。薬草は森の恵みですし」


 ウィルソンはオリビアを眩しそうな表情で見た後、はぁとため息をついた。


「僕に任せてもらえたら、もっと売り上げを伸ばすし、稼がせてあげられるんだが。あなたはそんなことを望んでいないのでしょうね」

「ええ。今がとても幸せなので、これ以上望むことはないんです」


 オリビアがそう言うと、ウィルソンは心と口で同時に同じことを言う。


『余計なお節介だったか』

「そうですか。では余計なお節介はやめておきます。またスープを買いに行きます。毎日通うには少々距離があるのが残念だ」

「私の夫がマーローの街で働いているんです。フレディ薬草店です。もしお望みなら夫に持たせますが?」

「あそこなら三キロほどだね。じゃあ、お願いしてもいいだろうか。毎日三皿分。おかずもあるならおかずもお願いしたい。父と母もあなたの料理を気に入っているんです」

「はい、ありがとうございます。不要なときは遠慮せず断ってくださいね」


 アーサーが迎えに来てくれて、オリビアはマッカンソー家を後にした。


「お迎えをありがとう、アーサー」

「これぐらいどうってことないさ。無事に終わったようだね?」

「ええ、あなたに料理を運ぶお願いができたけど、よかったかしら。フレディさんのお店まででいいんだけど」

「この一家の分かい? もちろん大丈夫だよ」

「それならよかった。商売繁盛だわ」


 朗らかに笑うオリビアだったが、頭の中では全力で今日のスープのことを考えている。なぜなら、別れ際にウィルソンが心の中でこんな熱意を抱えているのを聞いてしまったからだ。


『結婚していなければ、僕がこの人と結婚したかったなあ。美人だし、料理は上手いし、優しい。とても残念だ。いや、夫とやらが嫌なやつなら、僕が……。よし、スープを受け取りながらその男の人となりを確認しよう』


 アーサーはオリビアの心だけは聞き取れるのだが、残念なことにアーサーはオリビアほど心の声を聞き取ることに慣れていない。だからオリビアがよほど油断しない限り、彼女の心を聞くことができない。

『スープの森』に着くまでの間、アーサーは繰り返しスープの具や動物たちの可愛いエピソードを聞き取るはめになった。


 家に戻ったオリビアを三匹が出迎える。オリビアはスノーを抱き上げて話しかけた。


「ただいま。スノー、あなた、ウィルソンさんのズボンがくさいって言ってたわね。カビの臭いがしたの?」

『イヤな ニオイ オリビアも イヤな ニオイ』

「あら。じゃあ、着替えなきゃ」

 そう言いながらヒョイとダルを抱き上げる。

『イヤよー イヤよー』


 イヤイヤ言うわりには大人しく抱っこされるダル。最近は抱っこされても本気で嫌がることはなくなってきた。ロブは盛大に尻尾を振りながら自分の順番を待っている。


「お待たせ、ロブ。どうしてあなたはそんなにいい子なのかしら」


 わしゃわしゃとオリビアに体を撫でまわされ、鼻筋にキスをされてロブは大喜びだ。

『ダイスキ! ダイスキ!』

「私もロブが大好きよ」


 それを微笑ましく眺めていたアーサーは、ララが並べた朝食を食べている。うっかり『俺の順番はなかなか来ないな』と思って聞き取られてしまったことに気づかない。

 オリビアが食事中のアーサーを後ろから抱きしめて「はい、アーサーの順番よ」と言われてやっと、心が漏れていたことに気づいて赤面した。


『ツガイ 仲良し』


 ダルのつぶやきが後ろから聞こえて、オリビアは「ふふっ」と笑ってしまった。


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書籍『スープの森1・2巻』
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