61 猫のスノー
「オリビアさんから手紙を貰って、すぐ警備隊に連絡を入れました。ハリスが指名手配されている事情を説明したら、警備隊の動きは早かったですよ。準備をしてからハリスを呼び出してもらったのです」
「そうでしたか」
「連絡してくれて助かったよ」
「いえ。ユリス先生、サミエルさんの容体は?」
「ああ、診たよ。危ないところだった。何ヶ月にもわたって血を抜かれ続けていたから衰弱が酷い。回復するにはしばらく時間がかかるだろう。おそらくサミエルさんの本来の病は、肝臓にあると思う。だけど彼の場合は、無理せずに養生すれば、そこそこ長生きできるはずだ」
若く勉強家で腕も知識も認められているユリス医師が診てくれるなら、安心だ。
「君が来なかったらと思うと恐ろしいよ。ハリスは母国で裁かれるだろう。サミエルさんの今後は僕が責任を持って預かるよ」
「ありがとうございます。それをうかがって安心しました」
オリビアとアーサーはベサニーに声をかけられ、ユリスと別れてベサニーの部屋に入った。
「オリビアさん。このたびは本当にありがとうございました。あなたには私と娘とチャーリーの命を救っていただいただけでなく、こうして夫の命まで。このご恩は一生忘れません。お礼はいらないとおっしゃったそうですが、そんなことをおっしゃらずに、受け取ってください」
「いいえ。お礼が欲しくて人助けをしているわけではありませんので。本当にお礼は結構です」
ベサニーは重ねてお礼をと申し出たがオリビアは断り続けた。
そこへヤニスがやって来て「警備隊が奥様を呼んでいます」と言う。ベサニーが出て行くとヤニスがオリビアたちに話しかけてきた。
「今、商会は取り込んでおりますので、しばらく奥様はお時間が取れません」
「そうですか。では私たちは帰ります」
「さようでございますか。この度は大変お世話になりました」
(ハリス医師を紹介した俺のメンツを潰しやがって。田舎町の薬師ごときが、全く余計なことをしてくれたものだ)
ヤニスは丁重な態度の内側でオリビアを罵っていた。オリビアの顔が強張る。
「ヤニスさん、ハリス医師はどなたが連れてきたんですか?」
「商会の内部のことは外部の方にはお話しできません。申し訳ございません」
(闇賭博場で知り合ったなんて、絶対に知られるわけにいかない。捕まったあいつがしゃべらなければいいのだが)
「では、最後にユリス医師に挨拶だけして帰ります」
「そうですか」
ヤニスが闇賭博場を思い出したときに、一瞬だけ思い浮かべた猫の姿を心に刻み、オリビアはアーサーと共にサミエルの寝室へと入った。ユリス医師がサミエルの脈を診ている。
「ああ、オリビアさん。もう帰るのかい? 少し話がしたいのだが」
「ええ、ぜひ」
商会を出て、オリビア、アーサー、ユリス医師の三人だけになった。
「流行り風邪に続いて、君にはまた助けられた。ありがとう。ハリスのような自分のやり方に固執する医師は、案外多いんだ。瀉血をした患者が自力で治っても『この方法で治った』と自信を持ってしまうんだろうね」
「そうですか」
「オリビアさん、そのうち長期休暇をもらうことがあったら、あなたのお店に行ってもいいだろうか」
「もちろんです! ぜひいらしてください。薬草やキノコが豊富な土地ですので、きっとユリス先生の興味を引く薬草もあると思いますわ」
「うん。薬草も楽しみだけど、オリビアさんの手料理を食べてみたいよ」
「ぜひ。大歓迎いたします」
ヤニスのことは言い出せないまま、オリビアとアーサーはダーリーズ商会を後にした。帰り際、ベサニーに何度も金貨が入ってそうな革の小袋を押し付けられたが、きっぱり断った。
そのやり取りをヤニスが面白くなさそうな顔で見ているので、余計に(絶対に受け取りたくない)と思う。
二人だけになると、アーサーがすぐにオリビアに話しかけてきた。
「オリビア、どうした? なにかあったんだろう?」
「ええ。ヤニスはハリスと闇賭博場で知り合ったみたい。ハリスをこの家に呼ぶよう口利きしたのはヤニスだわ」
「ふうん。闇賭博場か。だけど俺たちが警備隊に通報したところで、現場を押さえない限り、どうにもならないな。その場所がわかればいいんだが」
「それがね、なんとかなるかもしれないの。ヤニスが賭博場を思い浮かべたとき、賭博場の中にいる猫を一瞬だけ思い浮かべたのよ。ネズミ対策で飼ってるのかもね。白くて長い毛の青い目の猫。かなり大きかったわ」
「ふむ。それで?」
「あの猫が外に出ることがあれば、必ず他の猫が知っているわ。猫は縄張りにこだわるから。猫にその白猫の家を聞けば、闇賭博場の場所がわかるわよ」
うんうん、とうなずきながらアーサーが話を聞いている。
「オリビア。せっかく王都まで来たんだ。その猫を探そうか」
「いいの? 本当にフレディ薬草店を首にならないといいのだけど」
「仕事に戻ったら、休んだ分まで働きまくるよ」
「それなら私は、あなたが首にならないよう、薬草を大量に付け届けするわ。私の夫をよろしくお願いしますって」
「そりゃ心強い」
笑顔で歩くアーサーは内心、別のことを考えていた。若くて優秀で整った顔のユリス医師がオリビアに向ける笑顔が気に入らなかった。
(俺のオリビアに馴れ馴れしくしすぎる。料理ならいくらでも王都に旨い店があるだろうに)と思いつつ二人の会話を聞いていたのだ。
だが、オリビアにそんな胸の内を読み取られて『心が狭い』と思われるのは避けたい。仕方なく、意識して愛馬のアニーのことを考えながら歩いている。
オリビアはユリス医師と会話している時点でアーサーの焼きもちを感じ取っていたので、今、必死にアニーを思い浮かべて嫉妬心を隠そうとしているアーサーが可愛くて仕方ない。
二人は王都の繁華街に行き、大通りで買い物をしてから一本外れた裏通りに入った。王都も雪が降ったらしいが、四十センチ以上積もったマーレイ領にくらべたらたいしたことがない。
ただ、道の両脇には雪かきされて氷のように固くなった雪の小山が並んでいて、石畳は冷え切っている。
その冷たい石畳の通りを、灰色の猫がゆったりと横切っている。オリビアはしゃがんで視線を低くしてから話しかけた。
「こんにちは。白い猫を探しているの。知っていたら教えてくれないかな」
猫は歩みを止めてチラリとこちらを見る。
『白い猫 たくさん』
「白くて長い毛で、青い目の大きな猫なの」
『珍しい 人間』
灰色猫はオリビアが自分の心を読み取っていることにすぐ気づいた。
用心しながらこちらに向かうが、あからさまにアーサーを警戒している。その様子を見て、アーサーはゆっくりとオリビアから離れた。
「さっき言った猫、知ってる?」
『その白猫 黒猫 仲良し』
「じゃあ、仲良しの黒猫でもいいわ。会いたいんだけど」
『来い』
くるりと反対側を向いて歩き出した灰色猫。オリビアとアーサーはその後ろをついて歩く。
灰色猫は石畳をスタスタと進み、やがて古い集合住宅の前まで来ると、外階段を上って行く。
「オリビア、どうする?」
「大丈夫。猫は人間が思っている以上に頭がいいの。待っていればきっと……ほら、ね?」
灰色猫が黒猫を連れて外階段に戻って来た。
二匹の猫はトントンと階段を下りて、オリビアの前まで来た。黒猫が警戒心をむき出しにしてオリビアに話しかけてきた。
『スノー どうする』
「スノーって言う名前なのね。その猫じゃなくて、その猫がいる家に行きたいの。絶対にスノーを虐めたりしないわ。安心して」
『いいよ スノー こっち』
灰色猫と黒猫はときどき後ろを振り返っては『人間 遅い』とつぶやきながら道案内をしてくれる。
二匹の猫が案内してくれた建物は、裏通りからさらに奥に入った建物だった。周囲の建物は荒れた感じがするのに、その建物は手入れが行き届いている。金回りがいいのだろう。
『ここ スノー 家』
「わかった。道案内をありがとう」
『ニク ほしい』
黒猫が家を教えてくれて、灰色猫が肉を要求する。どうやら蒸し鳥の匂いを嗅ぎつけていたらしい。オリビアは、さっき買っておいた蒸し鳥を少しちぎって二匹の猫に与えた。
『スノー 来た』
「ん?」
黒猫に言われて見上げると、大柄で真っ白な猫が外階段の上からこちらを見下ろしている。ヤニスが一瞬だけ思い浮かべた猫に間違いない。それを確認して、オリビアはアーサーを促して馬車まで戻った。
「あの猫で間違いないのかい?」
「ええ。ヤニスが通っている闇賭博場は間違いなくあの建物よ」
「じゃあ、ここから先は俺に任せてくれ。警備隊には伝手があるんだ」
「へええ。王都の警備隊に伝手があるなんて、アーサーはすごいのね」
「そんな尊敬の眼差しをするほどのことじゃないよ。俺が何年傭兵をしていたと思っているんだい?」
苦笑するアーサーをますます尊敬の眼差しで見上げるオリビア。アーサーは笑いながらオリビアの頬にキスをした。
「まあ、任せてくれ」
アーサーは馬車を王都警備隊の本部へと進ませ、オリビアを伴って建物の中へと進む。
受付で少し会話しただけで、すぐに奥の部屋へと通された。責任者らしい男性がアーサーに対して丁寧な口調だ。
オリビアはアーサーが傭兵として有名だったことを思い出し、(本当に有名だったのね)と感心してしまう。
アーサーは警備隊のお偉いさんとしばらく話し込み、「じゃ、お任せしましたよ」と笑顔で握手をして部屋を出た。
その夜、アーサーはオリビアを連れて夜の十時ごろに、スノーがいた建物の様子を見に向かった。
闇賭博場は、なだれ込んだ警備隊の手によって大変な騒ぎになっている。連行されて行く客の中にヤニスがいて、オリビアはそれを見て「ふっ」と笑う。
自分が連れてきたハリスのせいで主が殺されたかもしれないのに、自分のメンツのことばかり考えていたヤニス。オリビアはどうしてもヤニスを許せなかった。
縄をかけられて連行されて行く男たちを眺めていると、二人の足元にスノーが近寄って来た。
そしてスノーが「にゃあん」と鳴く。オリビアには『一緒に連れて行ってよ』と聞こえる。
「飼い主が捕まったの?」
『連れて行かれた あそこ キライ いじわる 男 いっぱい 苦しい』
スノーはよくしゃべる猫のようだ。よく見ると長い毛のあちこちに毛玉ができていて、可愛がってもらっているとは言い難い有様。毛がふさふさしているから一見体格が良く見えるものの、背中を撫でると背骨がはっきり指に触れて、スノーはかなり痩せているのがわかる。
「うち、猫と犬とヤギがいるけど、それでいいならいらっしゃいよ」
『行く』
スノーは即答すると、アーサーを見て、ぷりぷりとお尻を振って狙いを定め、ぴょんとアーサーの胸に飛び込んだ。
素早くスノーを抱きとめて、アーサーが驚く。
「俺、猫にこんなことされたのは初めてだ。よしよし、俺が気に入ったか。俺と一緒に行こう」
「にゃぁぁ」『お前 気に入った』
スノーはアーサーに抱かれながらゴロゴロと喉を鳴らしていたが、角を曲がるときに一度だけアーサーの腕から身を乗り出して建物を振り返った。
オリビアはスノーの心が寂しさに染まったのを感じる。
スノーの記憶では、どうやら優しい女性従業員が一人はいたらしい。おそらくその従業員も連行されているだろう。
しかし、スノーの心はすぐにアーサーに向いた。
「アーサーはとても強くて優しい、いい人間よ」
『いい人間 気に入った』
スノーは長く豪華な尻尾をゆったりと動かし、アーサーの腕をパシン、パシンと叩いている。アーサーが優しくその背中を撫でた。
「にゃぁぁん」『わたしの いい人間』
「スノー、俺と仲良くしてくれよ」
これがスノーとオリビア、アーサーの出会いである。





