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6 フレディ薬草店と豚頬肉の辛いスープ

 マーレイ領の領都マーローの街は、『スープの森』から十キロ、馬車で一時間ほどの場所にある。

 マーローという街の名は、マーレイ家の初代当主マーロー・マーレイからきている。

 そこでアーサーは職業斡旋所の掲示板を見ていた。


「ふうむ。住み込みでそこそこの賃金で、帳簿の知識も製造業の技術もなく、二十八歳となると選べる立場じゃないなぁ」


 傭兵時代に稼いだ賃金はまだ十分にあるが、何もしないで宿暮らしをしていれば早晩財布が空になるのは見えている。アーサーはいくつかの従業員募集の貼り紙の中から「フレディ薬草店 従業員募集 店番・薬草採取・住み込み可」というのを選んだ。

 薬草採取なら傭兵時代に護衛を兼ねて採取をした経験がある。基本の薬草ならだいたいわかる。


     ※・・・※・・・※


「ずいぶん体格がいいけれど、あなたは以前どんな仕事を? 軍人ですか?」

「いえ、傭兵をしていました」

「ああ、それで。薬草の知識は?」


 アーサーは知っている薬草の名前を全部挙げた。店主のフレディはうんうんとうなずいて

「十分ですね。知らないのは図鑑を見ればいいでしょう。傭兵をしていたなら採取を頼むときも安心だ。では採用です」

 と職業案内所の紙にサインをしてアーサーに返した。

 アーサーはそれを受け取って店主に尋ねる。


「住み込み可となってましたが、部屋をお願いできますか」

「二階の部屋が空いてるんだ。本当に寝るだけの広さしかないけど、いいかい? 私は住まいは別だから食事は自分でどうにかしてもらうことになるが」

「屋根があってベッドがあれば十分です」

「じゃあ決まりだ。部屋は今夜から使っていいよ」

「ありがとうございます」

「早速だけど、明日この薬草を採取してきてくれるかい?」

「はい」


 必要な薬草の一覧表を受け取り、アーサーは仕事と部屋を得た。職業斡旋所に契約が済んだことを伝え、店主のサイン入りの書類を提出した。

(そうだ、夕食はあの店で食べようかな)

 アーサーの足なら片道二時間ほどか。『スープの森』の優しい味が恋しかった。

 傭兵として働いている時は、軍隊の携帯食を支給されるが、足りなくなれば自給自足。戦場では何でも食べた。腹を満たして戦えればいいと思っていた。

 なのに今、あの森の中みたいに緑豊かな店内でスープが食べたい。


「往復四時間か。いや、ないな。食事なんかのために四時間て、どうかしてるな俺」


 そう考えて街を歩く。

 街には店も屋台も山ほどある。安くて旨いものがたくさんあるのだ。どれを食べようかと目で探しながら、繁華街を歩き、立ち止まる。

(あー、やっぱりあのスープが飲みたいな。こんなに悩むなら行くか)

 ぐじぐじ迷うのは性に合わない。アーサーは大股で『スープの森』を目指して歩き始めた。


 その頃オリビアは夜の食事の仕込みをしていた。

 今日のスープは豚のほほ肉と葉玉ねぎの辛いスープ。

 豚のほほ肉は顔の皮と一緒に売られている。豚の頭部の皮は丸ごと買っても他の部位の半分ほどの値段だ。祖母は

「この豚の皮には栄養がたっぷりなの。ほほ肉と一緒に煮込めば美味しいスープができるのよ。みんなに教えたいけど、教えたら取り合いになっちゃうからやめておこうかしらね」

 と言っていたずらっ子みたいに笑っていた。


 確かに豚の頭部の皮は見た目が強烈だ。

 だが慣れれば何ということもない。オリビアは手際よく包丁で皮と肉を切る。一度下茹でし、水を入れ替えて、浮かんで来た脂とアクをすくい取りながら煮込む。

 ゼラチン質の多い皮がとろりとなるまで葉玉ねぎや香草と一緒に煮て味をつける。


「ん-、いい匂いがしてきた」


 パサパサと羽音を立てて台所の窓枠にスズメが一羽飛んで来た。


「チュン、いらっしゃい。今夜の天気はどうかしら?」

『雨、雨! もうすぐ雨! ちょっとだけ雨』

「そう。雨なのね。空気が湿ってるものね。さ、これは雨を教えてくれたお礼よ。召し上がれ」


 そう言って茹でた豚皮の小さな小さなかけらと、小麦粉団子のかけらを窓枠に置いた。

 チュンと名付けたスズメは、巣をカラスに襲われて庭に落ちた雛だ。カラスは他の雛を食べておなかがいっぱいになったのか、チュンを食べなかった。

 オリビアは親スズメが雛を取り戻しに来るだろうと様子を見ていたが、親は迎えに来なかった。


 仕方なくオリビアが必死に小さな虫を捕まえて食べさせた。そのおかげでチュンは無事に育ち、今は広い世界で暮らしている。今思い出しても虫を捕まえ続けるのは大変なことだった。スズメはすごいと感心したものだ。

 チュンは雨が降りそうな時に店に訪れては雨予報をして帰る。

 晴天続きのときは訪れず、雨のときだけ律儀に教えに来るのが可愛い。

 

『うまー うまー』

「美味しいねぇ。またいつでもおいで」


 チュンはクチバシを窓枠にゴシゴシとこすりつけて綺麗にしてから飛び去った。

 まだ夕食時には早い夕方四時。ドアベルがカランと鳴った。


「いらっしゃいま、あら、アーサーさん」

「ここのスープが食べたくなりました」

「歩きですか? どこからいらしたの?」

「マーローから」

「まあ。遠いのにありがとうございます。さあ、どうぞ。少し早いけど、一緒に豚ほほ肉の辛いスープはいかが?」

「豚ほほ肉の辛いスープ。聞いただけでよだれが出そうです」


 アーサーはオリビアの祖父がお気に入りだった隅の席に腰を下ろし、運ばれたスープを見て嬉しそうな顔をした。

 今夜の付け合わせはハムとキャベツのマリネ、毒桃のピクルス、小麦粉団子のバジルソースがけ。


「ああ、美味しいです。やっぱりここまで来てよかった。バジルの味と香りをこんなに美味しく感じたのは初めてかも」

「ありがとうございます。アーサーさんが美味しそうに食べてくれるから、見ている私もおなかが空いてきます」

「なら、一緒に食べませんか」


 少し迷ってからオリビアはアーサーと一緒に食べることにした。


 五年前、オリビアが二十歳のとき。

 祖母が七十五歳で亡くなり、なんとその四日後に祖父は眠ったまま亡くなった。心臓が止まったらしい。祖父は七十八歳。二人ともこの国では大変な長寿だった。


「何も慌てて一緒に旅立たなくてもいいのにね」と祖父の葬儀でオリビアは泣き笑いをし、葬儀に参列した人たちは皆「仲が良い夫婦だったからなあ。一緒がよかったんだろうよ」と言っていた。


 二人の年齢に不足がないのもあり、祖父の葬儀は明るかった。祖母の時は悲しくて泣いていたオリビアも、祖父の時は少しの涙とたくさんの楽しい思い出話に終始した。祖父母にはいい思い出しかない。


「料理って、やっぱりひとりで食べるより誰かと食べるほうが美味しいわ」

「味、違いますか? 俺はずっとひとりで食べてました。戦場では隣で食べる人がいても、一緒に食べてるって感じじゃなかった」


 アーサーの心を覆うカーテンが緩んだのを感じ取り、オリビアは急いで祖父母やロブ、ヤギ夫婦のことを考え始めた。

 人の心を覗き見るのは気分の良いものではないし、場合によっては自分の心が大打撃を受ける。十五、六歳頃からオリビアは、人間の心が流れ込むのを防ぐ方法を試行錯誤している。まだ完璧ではない。


 普段は隠されている人間の心が流れ込んでくる時は、たいていその人が強い感情に支配されているときだ。そんな感情に流れ込まれると、とても疲れる。


「ここに来て良かったです。やっぱりここの料理は美味しい」

「ありがとうございます。もうすぐ雨が降るから、止むまでゆっくりしていってくださいね」


 オリビアはトレイに食器を載せて、台所に向かう。

 アーサーは雨予報の根拠を尋ねようか、いや本人が話すまで待とうかと迷いながら、店の中にたくさん置いてある鉢植えを眺めた。

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書籍『スープの森1・2巻』
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