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スープの森〜動物と会話するオリビアと元傭兵アーサーの物語〜 【書籍発売中・コミカライズ】  作者: 守雨
第二章

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57 豚肉のシチューと大雪

 十二月の最初の日に初雪が降った。

 最近はもうハリネズミを見ていない。どこか安全な場所で眠っているのだろう。

 窓から見ていると、庭の餌台には冬も移動しないコマドリやムナグロ、スズメがやって来る。夏の鳥はだいぶ前に、もっと暖かい地方に移動してしまった。


『アタタカイ』


 オリビアが(ん?)と振り返ると、ダルが店の暖炉の真ん前で目を閉じている。

 オリビアは家族として猫と暮らすのは初めてだが、『猫は快適な場所を見つける天才だ』と感心する。

 ダルが寛ぐ場所は、暖炉やかまどの近くだけではない。

 限られた時間だけ陽射しが入る場所には、毎日その時間だけ幸せそうに眼を閉じたダルがいる。まるで時計が読めるかのようだ。


 黒犬のロブは、雪が降り始めてからずっと興奮しっぱなしだ。

 日の出前から何度も外に出て行く。見ていると、雪の上をひたすら全力で走っている。普段の温厚そうな雰囲気は消えてしまっていて、口を開け、目を細めて笑いながら走っているように見える。

 実際、オリビアの心には『わっはっは』『ひゃーっはっは』というロブの心の笑い声が聞こえてきて、思わず吹き出してしまう。


 ロブは二十分ほど走り回ると満足するらしく、黒い毛皮に雪をくっつけ、肉球の間に雪の塊を詰め込んで戻って来る。

 ガブガブと水を飲み、しばらくするとまた外へと出て行く。


『ロブ ツメタイ』


 ダルはロブが店内に入ってくるとすかさずそうつぶやく。触っていなくても冷たいと言う。

 オリビアはお茶を飲みながら豚肉のシチューを煮込んでいる。四角い塊を崩さぬよう、けれどスプーンを当てたらほろりと崩れるように、神経を使っている。

 月桂樹の葉と干しておいたセロリの葉を糸でくくって入れてあるが、そろそろ取り出す頃合いだ。


 ララは年明けに行われる薬師試験に備えて猛勉強中で、昨夜はずいぶん遅くまで離れに明かりがついていた。それでも頑張って起きてきたらしく、裏の出入り口が開く音がした。


「おはようございます、オリビアさん。遅くなりました」

「おはよう、ララ。まだ寝ていればいいのに。ゆうべも遅くまで頑張っていたんでしょう?」

「いえ。お手伝いしたいんで」

「ありがとう。今日は豚肉のシチューよ」


 ララはオリビアが作るシチューが大好きだ。

 嬉しさのあまり、ララが両目をギュッと閉じて両手を胸の前で握り合わせて「楽しみ!」とつぶやく。

 階段を下りてくる足音がして、アーサーも台所に顔を出した。

「おはよう。おっ、豚肉のシチューだ。朝から食べられるの?」

「ええ。寒い朝はこってりしたもので身体を温めないと」

 

 冷たい汲み置きの水で顔を洗ったアーサーは、前髪からポタポタと水を垂らしながら歩き、ララに「水が垂れてます」と布を差し出されている。大雑把な兄としっかり者の妹みたいで、オリビアは微笑んでしまう。


「アーサー、今日はお弁当を持って行く? それとも外で食べる?」

「うーん、朝食にシチューを食べて行くから昼は外で軽く済ませるよ。その代わり、俺の分のシチューを一杯だけ取っておいてくれる? 夜にも食べたい」

「わかったわ。一杯と言わずに三杯分くらい取っておく」

「今日はなるべく早く帰るよ。大雪にならないといいな」

「初雪だからそれほど積もらないことを願うばかりね。心配だから早めに帰ってきてね」

「そうするよ」


 ララがお茶を淹れながら笑いを噛み殺している。


「アーサーさんとオリビアさんは仲良しですよね」

「そうかしら」

「そうですよ。私もアーサーさんとオリビアさんみたいな夫婦になりたいです」

「もしかして、ララにはもう好きな人がいるのかしら?」


 いませんよ、という答えが返ってくるものと思っていたオリビアは、返事がないのに驚いて振り返った。ララは少し赤くなって恥ずかしそうな顔だ。オリビアは真顔になって、ララに近寄った。


「あら、好きな人がいるのね? それ、私の知っている人?」

「わかりません。街の靴店の職人さんです」

「靴店て、ハットン靴店? グルーバー靴店?」

「グルーバー靴店です。そこの見習いさんをしているコリンという人です」

「ええと、どうやって知り合ったの?」


 アーサーがオリビアの肩をポンと叩いた。「ん? なに?」と振り返るとアーサーは苦笑していて、オリビアは自分がかなり前のめりになっていたことに気がついた。


「あっ、ごめんねララ。根掘り葉掘り聞いちゃって」

「いえ! いいんです。私がお買い物に行ったときに、荷物を抱えたまま転んだことがあったんです。その時に駆け寄って起こしてくれた人です」

「優しい人なのね?」

「はい! いつかはオリビアさんとアーサーさんにも会ってもらいたいと思ってます。私、勝手にお二人を私のお兄さんとお姉さんだと思っていますから。厚かましくてごめんなさい」

「厚かましくないわよ! 嬉しいわ、ララ」

「オリビア、鍋は俺がかき混ぜておこうか? 焦げたら困るだろう?」

「待って! 私がやります。それは静かにかき混ぜないと肉が崩れちゃうの」

「お、おう」


 大鍋のシチューをかき混ぜながら、オリビアはほんのり寂しい。

(そうよね、ララはもう恋人がいたっておかしくない歳だもの。寂しいなんて思ったらいけないわ。喜んであげなくちゃ)

 そう自分に言い聞かせているオリビアの後ろ姿を、アーサーは優しい顔で見ている。


 冷える日は豚肉がたっぷりのシチューが喜ばれる。

「マーガレットの味だ。懐かしい」

「同じ味になるもんだね」

「俺は独身時代からこのシチューが楽しみだったな」

 祖母直伝の味は、懐かしい祖母の話題を運んでくれる。


 初雪はそれほど積もらずに済んだ。

 その日は昼も夜も、鼻の頭を赤くしたお客さんたちが震えながら店に入ってきて、豚肉のシチューを食べて笑顔で帰って行った。満足げな表情で出て行くお客さんたちを見送るオリビアの心もほっこりする。

 真っ暗になってから、アーサーが肉の塊を持って帰ってきた。


「アーサー、おかえりなさい」

「ただいま、オリビア。頼まれていた牛のすね肉を買ってきたよ」

「ありがとう。明日はこれをたっぷりの野菜と一緒に煮込むの」

「今日、グルーバー靴店の前を通った。親方と若い男が二人いたけど、どっちかな」

「アーサーったら。覗きに行ったの?」

「ララはいい子だからね。気になるよ。いい人だといいな」

「そうね」

 

 そんなやり取りがあり、ララがお付き合いしているというコリンが『スープの森』を訪問することになった。

 その日は『スープの森』の定休日だ。コリンは午後だけ休みをもらって来るという。

 ところがその日は朝から灰色の厚い雲が空を覆いつくしていた。

(大雪にならないといいのだけれど)


 心配しながら見上げていると、チュンが飛んできた。窓を開けると台所に入ってきて、『雨! いっぱい!』と教えてくれる。

「ありがとう、チュン。でも、この寒さだと雨じゃなくて雪になりそう。チュン、あんまり寒い時は馬小屋に来なさい」

『ウン!』

 チュンが元気に返事をしてからパンのかけらを食べ、森へと飛び去った。


 オリビアの不安は当たってしまい、午後から大粒の雪が降り始めた。

 心配したオリビアとララが馬車で迎えに行くと、十センチほど雪が積もった街道をコリンが歩いて来る。ララが馬車のドアを開けて手を振り、オリビアは御者席から声をかけた。


「こんにちは。初めまして。さあ、馬車に乗ってください。これは積もりそうよ」


 馬車から飛び下りたララがコリンの頭と肩に積もった雪を甲斐甲斐しく払い、二人が馬車に乗ったのを確認して、オリビアは店へと引き返した。

 店に着くころには、庭の雪はすでに十五センチほど積もっていて、止む気配がない。


「今夜はうちに泊まって。馬車でも立ち往生しそうだもの。親方さんもきっとわかってくれるわよ」

「初めてお邪魔したのに、そんなご迷惑はかけられません」

「コリン、今から帰ったら行き倒れになるわよ。馬車は動けなくなったら大変だから出せないし」

「ララの言うとおりよ。雪ばかりは仕方ないわよ。あなたは母屋で寝てくださいな。ひと部屋空いているから」

「はあ。申し訳ありません。ではお世話になります」


 コリンは穏やかそうな雰囲気の若者で、笑うと目が糸のように細くなる。年齢はニ十歳くらい。オリビアは(優しそうな人だわ)と安心した。

 コリンにお茶を出しながらオリビアは(アーサーも早く帰ってこないかしら)と、白一色になった窓の外を見ながら思う。

 元傭兵のアーサーだから、この程度の雪でどうにかなるとは思っていない。だが、馬に乗っているとは言え、アーサーが雪の中を一人で移動していると思うだけで落ち着かない。今すぐにでも迎えに行きたい。

(だけど、アーサーは私が少しでも危ないことをすると本当に嫌がるから)


 心配され、守られる幸せをありがたく思いながら待っていると、やっとアーサーが帰ってきた。

 オリビアはアーサーに駆け寄り、「おかえりなさい!」と言いながらアーサーを抱きしめる。


「ただいま。これは積もりそうだね」

「ええ。コリンには泊まってもらうことにしたわ」

「うん、そのほうがいい。もう雪で道がわからなくなってるよ。うっかり街道を外れて怪我でもしたら命に係わる」


 こうしてララの恋人コリンはオリビアたちの家に泊まることになった。

 カボチャのポタージュ、玉ねぎとベーコンのチーズ焼き、キャベツとキュウリのピクルス、すりおろしニンジン入りのソーダブレッドには新鮮なバターをたっぷり添えた。アーサー用に取っておいたシチューも四人で少しずつ。

 オリビアが精いっぱいの料理でもてなし、コリンは大喜びしながら完食した。


「ララがオリビアさんの料理を一生懸命覚えていると言ってたけど、その気持ちがよくわかりました。オリビアさんの料理は本当に美味しいです」

「ララが熱心に料理をメモしていたのは、そういうことだったのね」

「違うんです! 最初は美味しい料理の作り方を覚えたいと思っただけなんです」


 アーサーとオリビアは「うんうん、いいよ、わかってるからね」という顏で温かくうなずき、ララは赤くなる。四人の夕食は穏やかに終わり、夜遅くに皆が互いに「おやすみ」と言い合って部屋に分かれた。


 その夜遅く、動物の訪問者がやってきた。

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書籍『スープの森1・2巻』
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