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スープの森〜動物と会話するオリビアと元傭兵アーサーの物語〜 【書籍発売中・コミカライズ】  作者: 守雨
第二章

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50 ララ・ルフォールの悩み

 ヤギ小屋の二階で生活するようになり、ララは毎日が幸せだ。

 まずおなかいっぱい美味しい食事が食べられる。

 店主であり家主でもあるオリビアは優しい。その夫のアーサーも優しい。大きな黒犬のロブは賢くて人懐っこい。


「こんな生活があったのね」


 今までルフォール伯爵家の一員でありながら、物心ついてからずっと使用人として生きてきたララは、この家と店が天国のように思える。


「それにしても、オリビアさんは働き者だわ。なんであんなに元気なのかしら」


 ララは身体の丈夫さには自信があったが、オリビアの働きっぷりには敵わない。オリビアが日の出と同時に起きているのは知っている。日の出の少し後に、かまどの煙とともに美味しそうな匂いが離れまで漂ってくるのだ。

 最近ではその美味しそうな匂いでおなかが空いて目が覚めるようになった。

 そして夜は、ララのいる離れより先に母屋の灯りが消えることはない。


 ララが起きて母屋に行くと、オリビアは必ず「まだ寝ていていいのよ」と笑いかけてくれる。そんなわけにはいかない、世話になっているのだから働かなくてはと思うが、オリビアはなかなか働かせてくれない。

 今朝も手早くお茶を淹れてくれて、

「さあ、目覚めの一杯をどうぞ。朝ごはんまではまだ時間があるから。干し栗でも食べる?」

と小皿に丸っこいものを二つ載せて出してくれた。


 この歳まで干し栗というものを食べたことがなかったララは、一見クルミのようにシワシワで硬そうな栗を見て、(どうやって食べるんだろう)と考え込んだ。


「あら。干し栗は食べたことがなかった?」

「はい。初めてです」

「口の中に入れて、飴玉を舐めるようにして待つの。じんわりじんわり味がしてくるわよ。私は水で戻してスープに使ってるの。干し栗のほうが味が濃いから好きっていうお客さんも多いわ」


 指で摘まんでカチカチの栗を口に入れ、お茶をひと口含む。

 最初はなんの味もしなかったが、そのうち口の中にゆっくりと濃い甘みと栗の味が滲み出てきた。

 噛もうとしてもとても歯が立たない。だけど美味しい味は次第に濃くなっていく。


「甘い」

「甘いでしょう。ゆでてから干すだけの簡単な保存食なのに、美味しいのよ」

「へえ……」


 実家にいた頃は、食事は家族が食べたあとに他の使用人と一緒に残ったものを食べていた。お茶をのんびり飲むなんてありえず、喉が渇けば水を飲むのが当たり前だった。

 自分のためにお湯を沸かしてお茶なんて飲んだら、間違いなく「薪を無駄遣いするな」と義母に罵声を浴びせられただろう。

 それがここに来てからは全く違う。


 自分のために淹れられたお茶、自分のために差し出されるスープ。自分のために用意された暖かく清潔なベッド。自分に向けられる優しい笑顔と言葉。

 ララは甘い干し栗を舐めながら、何も考えずに思ったことをそのまま言葉に出した。


「オリビアさん、世の中にはこんな暮らしがあったんですね。これが人間らしい普通の暮らしなのだとしたら、私は十五年間人間じゃなかったのかも」


 大きな鍋をかき混ぜていたオリビアが動きを止めた。そして困ったような顔で振り返る。口がへの字で鼻の頭が赤い。


「え? え? やだ、どうかした?」

「ララ、あなたは人間よ。今は私の大切なお客様。ううん。本当のことを言ったら年の離れた妹みたいに思っているわ。人間じゃなかったなんて、そんなことは絶対に思っちゃだめ」

「ええ、そうですよね。やだやだ、オリビアさん、どうして泣くの?」


 オリビアはへの字にした唇を噛んで、目に涙を盛り上げている。


「ちょっとね、昔の自分を思い出しちゃった。もう自分の過去を思い出しても涙は出ないのに、ララがそんな思いをしていたのかと思うと、いたたまれない。悔しい。私がもっと早くあなたに出会えていたら、そんな思いは絶対にさせなかったのに。私が引き取ってここで守って育てたのに」


 話しているうちにポタリとオリビアの目から涙が落ちる。

 ララは慌てて立ち上がり、オリビアの隣に立った。背中をさすってもいいのだろうかと迷う。実家ではうっかり家族の身体に触れようものなら、「触らないで!」と叱られた。


「オリビアさん、背中をさすってもいいですか?」

「うん」


 ララが遠慮しながらそっと背中をさする。


「ありがとう。十歳も年下なのに、ララのほうがよっぽどお姉さんみたいね」

「私が兄や姉に意地悪されて泣いていると、母はこうやって慰めてくれました。ただ背中をさすってくれるだけなのに、つらさを忘れちゃうのが不思議でした」

「そっか。ララはお母さんとのいい思い出がたくさんあるのね」

「はい。母は大人しそうに見えて強い人でした。風邪をこじらせて亡くなりましたけど」


 オリビアが一度ギュッとララを抱きしめてから、再びかまどに向かう。そして背中を向けたまま話し始めた。


「私の両親は私に意地悪をしたわけではないの。大切に育ててくれたのは覚えてる。ただ、お客さんが来ると、私は部屋から出てはいけないという決まりがあってね。みんなの笑い声や話し声に耳を澄ませながら一人で部屋にいるのがね……。小さい頃からそうだったから、それが普通だと思っていたけど、本当は寂しかったのよ。この家に来て祖父母と暮らすようになってからそれに気がついたわ。私、ずっと寂しかったんだなって」

「ご両親はなんでそんなことを?」

「私、変なことを言う子だったから。頭がおかしいと思われてたの。きっと両親は私のことが恥ずかしくて隠しておきたかったのね。本当は頭がおかしかったわけじゃなかったんだけど」

「ええ? 頭がおかしいって、そんなわけないじゃないですか」

「うん。いつかララにも話せる日がくるといいんだけど」


 オリビアはそこまで言うと、口を閉じてスープを混ぜ始めた。

 それ以上は質問してはいけない気がして、ララはまた椅子に座る。口の中に、濃厚な甘い栗の味が満ちている。


 優しくて穏やかなオリビアに、そんな過去があったことが信じられなかった。それは絶対に親の方がおかしいと腹立たしく思う。

 怒りとともに干し栗を噛む。最初はカチカチだった栗がホロッと砕けて、砂糖で煮たお菓子のように甘く美味しい。


(砂糖で煮たお菓子は新年の夜に食べるだけだったけど、あれよりこの干し栗のほうがずっと美味しい。この家は美味しい食べ物が毎日登場する。この家に居させてもらえる間に、料理を覚えたい。薬草の知識も身に付けたい。でも、いつまでここにいられるんだろう。いつまでなら、邪魔だと思われずに済むんだろう)


 オリビアは優しい人だから、きっと出ていけとは言わないだろう。

 だからこそ邪魔だと思われる前にこの家を出なければ、と思う。


(いつまでも甘えて居座ってはダメ)


 この家にいたい、でも厚かましいことをして嫌われたくない。二つの思いに揺れ動く。

 ララが誰にも相談できず悩んでいるときに限って、オリビアがなにか言いたそうな顔でララを見る。なにを言いたいのか気になるが、ララは「なんでしょう?」と聞けずにいる。


「なんでしょう?」と尋ねてオリビアの口から「ララはいつまでここにいるの?」と聞き返されたらと思うと怖くて尋ねられない。


 そんなある日、ランドルが『スープの森』にやってきた。


「ああ、やっぱりここにいたか。お前さんがルフォール家を出たと聞いて、そうだろうとは思っていたが。ララはこの店の話を聞いてからずっと、ここに来たいと言っていたからな」

「どうしても薬師になりたくて。今、毎日少しずつマーガレット様の記録簿を書き写させてもらっているんです」

「そうかそうか。オリビアさんや、私に日替わりスープを頼むよ。パンは一枚で」

「かしこまりました。ララ、ランドルさんのお相手をしていてね」

「私も仕事をしますよ」

「いいのいいの。今のあなたの仕事はランドルさんとおしゃべりすることよ」

「そうですか。では。いいですか?ランドルさん」

「いいとも。座りたまえ」


 スープとパンが二人分並べられて、恐縮しながら食べる。するとランドルが思いがけない話をし始めた。


「ララ、お前さん、城の薬師の下働きをしないかね。やっと下働きに空きができた。賃金はわずかだが、勉強になるぞ」

「えっ」


 この家に来たばかりのころなら、大喜びしたであろう薬師の下働き。

 だが今はこの家を離れがたい。もっとオリビアのそばにいたい。こんな天国みたいな暮らしを手離すのは早すぎる、と慌てる。


「なんだ。嬉しくないのか」

「嬉しいです。だけど、ここを離れるのが……ちょっと寂しくて」

「なるほど。わかるよ。ここは居心地が良さそうだからなぁ。だが、お前さんの父親はお前さんのことを案じていたぞ。自分がいなくなっても生きていけるように、知識を持たせたいと言っていた」


 背後に人の気配がして振り向くと、オリビアが何とも言えない顔で立っていた。


「どうしました? オリビアさん」

「ララ、ここを出ていくの?」

「出て行きたくはないですけど、いつまでもこちらに居候するわけにもいきませんから」


 ララとオリビアのやりとりを聞いて、ランドルが二度三度と小さくうなずき、返事を促す。


「ララ、下働きを希望する者は他にもいる。モタモタしていると誰かが先に就職してしまうだろう」

「そうですよね。それはわかります」

「口を挟んで申し訳ありませんがランドルさん、下働きは薬師試験を受ける時に有利になりますか?」

「いや、それは関係ないな。試験は平等だ。薬師になるには薬草と病気に関する知識が基準を満たさなくてはならん」

「それは祖母が残してくれた資料で足りますか?」


 そう言って祖母の書き残した資料を持ってきてランドルに見せた。


「オリビア、これを全部覚えたら合格するさ。間違いない」

「ララ、聞いた? あなたがここに居たいのなら、好きなだけいていいの。ここで暮らしながら、祖母が書き残した資料をゆっくり覚えればいい。それとね、私はあなたを居候だなんて思ってないわ。大切な妹よ」

「オリビアさん……」


 ララは(やっぱりここは天国みたいな場所だ)と思った。


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書籍『スープの森1・2巻』
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