5 別荘の客とハリネズミ
ロブと一緒に狼の巣穴を目指したが、途中で道がわからなくなった。
枝の上から自分を見ていたミソサザイに尋ねたら、枝から枝へと飛び移りながら巣穴まで案内してくれた。この森に狼はそれほど多くない。子育て中の狼と言ったらすぐにわかった様子。
「ありがとう。助かったわ」
『いい天気!』
どうやら今日は雨は降らないようだ。
巣穴に近づくと、父狼が出迎えてくれた。
『赤ちゃん 動いてる』
「赤ちゃん、元気になったのね。よかった。どうする? 具合を見に来たんだけど」
『赤ちゃん 運ぶ』
父狼は巣穴に入り、子狼を咥えて出てきた。
子狼は元気で、オリビアに近寄り、クンクンと匂いを嗅いだ。
「元気そうね。もう気持ち悪くないね。でも、お薬飲もうか」
『まずい まずい イヤイヤ!』
「うん、不味いんだけど、飲んだ方が早く楽になるの。お母さん、お肉を持ってきてくれるわよ。お肉、食べたいでしょう?」
『ニク!!!』
子狼が肉という言葉で思い浮かべたのは、モグラやネズミを丸ごとだったり、もう少し大きな動物の肉を母親が吐き出して与えたりするものだった。子狼と会話しながら、片手でポケットの中のショットグラスに指を突っ込む。こっそりと練っておいた薬を中指の先にくっつけた。
子狼が肉を思い出してうっとりしている隙に首根っこを抱え込む。口を開けさせて、薬団子を口の中に押し込んで口を片手で閉じて押さえた。
『イヤー! イヤヨー!』
嫌がって暴れたものの、子狼は反射的に薬団子を飲み込んだ。
心配そうに見ている父狼と母狼に向かってオリビアが話しかけた。
「もう大丈夫みたい。お水とお乳をたくさん飲ませてね。あの毒桃、この子はもう二度と口に入れないだろうけど、他の子も気をつけて。じゃあね」
歩き出したオリビアを、狼たちはもう見ていない。彼らの心の中は愛する我が子のことでいっぱいだ。そのまっすぐで濃厚な愛情が眩しい。
ほのぼのしながら森の中を歩いた。
途中で子狼が口にした毒桃が繁っている場所に出た。完熟した赤い実、まだ熟してない薄赤い実。硬くて渋い緑色の実。いろんな状態の毒桃が、びっしり実っている。
「これ、街ではいい値段で売れるのよね」
毒桃は二つに切って水にさらして毒抜きをしてから甘酢に漬ければ、食後の胃もたれを防ぐピクルスとして喜ばれる。
オリビアが毒桃の実を摘む。森の恵みは貴重な収入源だ。歩きながら木苺のトゲトゲしい枝をハンカチで包んで手折る。柵の近くに刺しておけば根付いて柵に巻き付き、来年は実を楽しめるだろう。
家に戻り、ヤギの夫婦を裏庭に放った。
「メエェェェ!」「メエェェェ!」
ヤギの若夫婦は喜んだ。はしゃいでいるらしく、オスのピートとメスのペペが互いに後ろ脚で立ち上がって、ゴツンゴツンと頭突きを繰り返している。痛くないのか心配になるような音だ。裏庭はこの若夫婦のおかげで雑草が生えていない。
「草を食べる?」
『草!』『美味しい草!』
はしゃぐ夫婦を連れて裏庭を囲む柵から外に出す。ヤギ夫婦は嬉しそうに草を食べ始めた。毒桃のように有毒な草は、予め抜いてある。三十分ほどヤギたちは食べ続けた。
「そろそろ戻るわよ。仕事をしなくちゃ」
『おいしい 草!』『おいしかった 草!』
オリビアは台所に入り、昼の時間に備えて料理を作る。
今日は春野菜のスープの他にゆでた鶏胸肉と新玉ねぎとピーマンのマリネ、ハーブバターで焼いた薄切りパンだ。
ミソサザイがいい天気だと言っていたから、雨は降らない。
昼食の後は離れのシーツと自分のシーツ、服を洗濯しようと料理をしながら計画を立てた。
その日の昼は忙しく、「街で評判を聞いたから」と言って『別荘の人』が家族連れで来てくれた。
「マーレイはいいところね。海も山も街もあって、食べ物が豊かだわ。古い遺跡もあるし、何より気候が温暖なのが気に入ってるの。夫がマーレイに別荘を建てると言ったときは『田舎すぎない?』なんて思ったけど、ちゃんと必要な物は揃っていて安心したわ」
「気に入っていただけてよかったです。私もマーレイが大好きです」
マーレイは、サンドウォルド王国の南端にある。
ずっと昔からこの土地を治めているマーレイ家は歴史ある家だ。
現在のマーレイ家当主は農業と漁業だけの領地を、別荘地として新しく豊かになった人々に売り込んだ。土地は売らず、貸すだけ。そこが地主たちの賛同を得られた理由だ。
王都で暮らしている懐の豊かな平民たちは、貴族のようにもう一軒家を持つことに魅力を感じたらしい。同時に、有り余る金貨の使い道も探していたらしく、商人や投資家、輸入業者など様々な業種のお金持ちが続々とマーレイに別荘を建てた。
家を建て、使用人を引き連れ、外で食事をし、家具や内装に惜しみなく金貨を使う。おかげでマーレイの領民たちはかつてないほど懐が潤っている。
『スープの森』も、別荘の人たちがちらほらと来店するようになってきた。
その別荘の人が、庭に置いてある野鳥用の餌台を見ながら興奮した様子で会話している。
「お母様、見て! 餌台に見たこともない美しい鳥が来ているわ」
「まあ、本当にきれいね。真っ青。あんな色の鳥がいるのねえ」
「あれはオオルリです。虫を食べる鳥ですが、ごくたまにああして果物を食べに来るんです。ここの餌台で見られるのは珍しいんですよ」
「あれがオオルリ。きれいねえ」
別荘の一家は餌台が見える席がお気に召して「また近いうちに来るわ」と言って帰って行った。
昼過ぎに洗濯をして、裏庭に干し、ヤギ小屋の敷き藁を交換した。
藁は食事に来てくれる農家のご主人が荷馬車で持ってきてくれる。食事をした帰りには汚れた敷き藁を持って行ってくれる。熟成させて畑の肥料に使うのだそうだ。
夜も順調に客が入った。
残った春野菜のスープとパンで夕食を終え、洗濯物を畳み、勉強をする前に庭に出た。何かがやって来るのだ。
複数のワクワクした感情。しかもワクワクしか感じない。おそらく小さな動物だ。
やがて、ハリネズミの母親が小さな子供たちを引き連れて庭に現れた。ハリネズミの父親は子育てに関わらない。
ハリネズミはミミズや幼虫を食べるけれど、果物、パン、野菜などもあれば食べる。オリビアがスープに使った鶏の骨に付いている肉のかけらを地面に置いた。置いてから「さあ、お食べ」と声に出した。心から「食べていいよ」と思いながら声に出す。
野の動物たちは言葉は理解しないが、言葉にこもるオリビアの心を感じ取る。
だから建前や嘘はあっさり見抜かれてしまうのだ。
母親と四匹の子ハリネズミが小走りで寄ってきた。
『うまー!』『うまっ!』『うまうまっ!』
おチビさんたちは柔らかい鶏肉をお気に召したらしい。オリビアの目の前でクチャクチャモシャモシャと鶏肉を食べる。母親はよほど空腹だったらしく、無心で食べている。
「お乳を出してるからおなか空くわよね」
『ニク! うまっ!』
母親も鶏肉を気に入っていた。鶏肉を食べ終わると五匹のハリネズミはまたどこかへと姿を消した。彼らは来てから帰るまで『うまっ』だけだった。それもまた愛らしい。
夜は祖母が残してくれた薬草の本を読む。
祖母の母親は薬草の専門家だったそうだ。祖母も薬草に詳しくて、ひと通りのことは教わったが、曾祖母の残した手書きの本には、もっともっとたくさんの知識が詰まっている。
「これを全部学ぶのが私の目標なのよ、ロブ」
ロブは片目を開けてオリビアを見たが、またすぐに眠ってしまった。
その夜、『スープの森』は遅くまで灯りがついていて、灯りに引き寄せられた蛾を、窓ガラスに張り付いたヤモリが食べていた。