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4 オリビアの秘密と春野菜のスープ

 オリビアは部屋に差し込む朝日で目を覚ました。

 昨夜は帰りが遅かったから寝不足だけれど、今眠ったらお店の開店時刻まで寝てしまいそう。

 だから、勢いをつけて起き上がる。


 階下に降りて顔を洗い、ロブに朝ごはんを与えてから朝食の準備を始めた。

 かまどに火をおこし、キャベツを大きくザクザクと刻む。玉ねぎ、セロリ、アスパラガス、ニンジンも刻みながら昨夜のことを思い出した。


     ※・・・※・・・※


 昨夜、ベッドで眠りに入ったばかりのとき。

『心配』と『悲しみ』で心をいっぱいにした何者かが近づいてくるのを感じた。とても強い感情で、いきなり胸が苦しくなる。

 急いで起き上がって窓から外を見下ろすと、狼だった。犬ではないことは心に流れ込んでくる記憶でわかった。

 月明かりの夜道を狼がうなだれて歩いてくる。

 急いで着替えて階段を下り、オイルランプを手に、ドアを開けた。

 悲しみに打ちひしがれるメスの狼がいた。


「どうしたの?」

『私の赤ちゃん 苦しい、苦しい。助けて、助けて、助けて』

 言葉ではなく、狼の感情と狼の見た映像が直接オリビアの心に流れ込んでくる。母狼の切羽詰まった感情に胸がギュウッと締め付けられる。

 オリビアは一度深呼吸をして、こういうときのために用意してある肩掛けカバンと水筒を手に、家を出た。


「行きましょう。案内して」

『助けて 助けて』

「助けるわ。赤ちゃんの具合が悪いのはいつから?」

『暗い森。私の坊や。苦しい苦しい』

「わかった。急ぎましょう」


 狼の感情を吟味しながら歩く。子狼が遊んでいるうちに何かが起きたらしいと見当をつけながら歩いた。


 案内された場所で、子狼はぐったりと横たわっていた。

 時々オエッと吐こうとするが、もう何も出ないらしい。立つ元気はないようだった。

 近くを探すと、吐いたものの中に毒桃のかけらがあった。少し甘くてかなり渋い、そこそこ強い毒のある赤い草の実。この幼い体ではつらいだろう。死ぬような毒ではないのが救いだ。

 狼の子供は遊んでいるうちに食べてしまったのか。


 オリビアは子狼の口をこじ開け、喉の奥に指を突っ込んだ。まだ毒桃が残ってるかもしれない。

 喉の奥を刺激されて、子狼は横たわったまま何度も胃液らしきものを吐いた。

 最後に胃の中に残っていた赤い実が吐き出された。


 木のカップに水筒の水をひと垂らし。

 カバンから薬を選び、カップに人間用の毒消しの粉薬をほんの少しだけ振り入れて、小さな小さなお団子にする。それを指につけ、子狼の上顎の内側に塗りつけた。薬を吐き出さないように子狼の上顎と下顎を押さえて待った。

 コクリと喉が動いて飲み下したのを確認し、頭を持ち上げる。カップに水筒の水をたっぷり注ぐ。なるべくたくさんの水を飲ませなくては。

 子狼は木の器からチャプチャプとたくさん水を飲んだ。


「私がこの子を抱いて巣穴まで運ぶわ。お乳はまだ出るの?」

『お乳 たくさん たくさん』

「じゃあ、お乳をたくさん飲ませて。死ぬことはないと思う。肉は明日はやめておいたほうがいいわ。お乳だけにしてね」

『私の赤ちゃん。可愛い。可愛い。可愛い。私の赤ちゃん。可愛い』


 胸の中に強烈な愛情が流れ込んでくる。

 ホッとしたところでアーサーが狼に見つかった。まさか後を付いて来ているとは思わなかった。傭兵は追跡が上手な上に心が平静だったようだ。オリビアもアーサーに気づかなかった。


     ※・・・※・・・※


 野菜を刻み終えて、ため息をひとつ。

「見られちゃったものねえ。いろいろ知りたくなるのは仕方ないか」


 全部の野菜を鍋に入れ、鶏の骨でとったスープで煮る。八割くらい火が通ったのを確認して、かまどから下ろした。

 お客さんに出すときは落とし卵をそのつど作ってのせて出すつもりだ。

 アーサーは口が堅い人のような気がする。

 心配性で、心が傷ついていて、そして、とても保護欲が強い人。あまりに心が傷ついているので、アーサーの心が流れ込んでこないように強く意識して接していた。


 小さい鍋にお湯を沸かし、ヘラでグルグルとかき回して渦を作ってから卵を渦の真ん中に落とした。頃合いを見て引き上げれば、落とし卵のできあがり。

 丸く大きいパンを薄切りにして、網の上でひっくり返しながらパリッと焼く。

(正直にしゃべったら、面倒なことになるんでしょうねぇ)と少し憂鬱になる。


 オリビアは人や動物の感情がわかる。

 人間の場合はこちらから読み取ろうとしない限り細かいことまではわからない。人の心は普段は複雑に折り畳まれているし、心を覆うカーテンが幾重にもかけられているからだ。オリビアにはそう感じられる。


 だけど、動物の心は裸の状態でまっすぐオリビアの心に飛び込んでくる。

 勝手に心に流れ込んでくるから自分ではどうしようもない。幼い頃は、それが普通でみんなもそうなのだと思い込んでいた。

 だから心に流れ込んでくる様々な感情を全て口に出し、周囲の大人たち全員から病気だと思われた。


 貴族の娘だった頃、オリビアの両親はわけのわからないことをしゃべり続けるオリビアに疲れ果てていた。

 母は何度も自分を抱きしめて泣いてたし、父も苦しんでいた。

 祖父が、「オリビアを修道院に入れなさい。他の孫たちの縁談に差し障りが出る」と繰り返して、反対する両親と頻繁に揉めていた。


 そしてついにある日、オリビアは迎えにきた修道院の女性と一緒に馬車に乗せられた。

 理由は聞かなくてもわかっていた。

 母は『我が子を見捨てるなんて』と苦しんでいたし、父は『この子を遠くへやってしまうのか』とずっと苦悩していた。

 両親の嘆きがあまりに濃く強く、五歳のオリビアは近くにいると普通に息をするのも難しいくらいだった。


「さようなら、お母様、お父様」


 別れのときも両親は悲しみ、苦しんでいた。

 オリビアは胸の中が両親の悲しみでパンパンになった。

 祖父はオリビアを見るといつもイライラしていたから苦手だった。最後の瞬間まで、祖父はオリビアを見てイライラしていた。


 走り出した馬車の中で、修道院の女性は繰り返し自分を見下みくだすような、嫌悪するような感情を抱いていた。二人きりの狭い空間に向かい合わせで座りながら、これから先、この人と暮らすのかと絶望した。当時は絶望なんて言葉は知らなかったけれど。

 

 数日後の昼、休憩時間に馬車から下りるように言われた。馬車を引いていた馬が草をみながら、黒く濡れた目で自分を見つめているのに気づいた。

 馬の心が流れ込んで来る。

『可哀そう。つらい場所。子供、泣く。子供、悲しい』

 泣いている子供の姿が流れ込んでくる。馬がよく見ている景色なのだろう。


「おしっこがしたいです」

 そう大きな声で告げると、修道院の女性は嫌そうに「その辺で」と草むらを指さした。

 オリビアは草むらにしゃがみ、そのまま低い姿勢で移動し続け、ある程度距離を取ってから走りだした。

 走って走って、休んではまた走って、足が動く限り走り続けた。こんなに走ったのは生まれて初めてだった。


 やがて日が暮れて、自分の手も見えないような暗い森の中を歩きながら夜を明かし、日の出と同時にまた歩いた。疲れたら少し眠り、目が覚めたらまた歩いた。

 おなかは空いてるし喉も渇いていた。

 身体のあちこちが痛かったけれど、馬から流れ込んで来た記憶が恐ろしくて頑張れた。やがて。

(もう一歩も歩けない)

 森の中で力尽きた。

 そこで木苺を摘みに来た老夫婦と出会ったのだ。


「どうした? 迷子かい? 脚も腕も傷だらけじゃないか」

「森の中で夜を明かしたのかしら? さぞや心細かったでしょうに」

「うちに連れて帰ろう。疲れたんだろう。何も話せないようだ」

「ええ、傷の手当てをして、温かいスープを飲ませましょう」


 オリビアは子のいない夫婦に助けられ、それはそれは大切に世話をされた。老夫婦は色々質問したが、オリビアは「家に帰りたくない。お願いします、お願いします、私をここに置いてください」とひたすら繰り返した。それしか喋らなかった。

 老夫婦はしまいには涙を拭きながら「可哀想に。安心しなさい。ここにいればいいよ」と言ってくれた。


(二度と捨てられたくない)と考えたオリビアは、心を読めることは一切しゃべらずに暮らした。

 老夫婦の家は街道沿いの食堂で、オリビアは夫婦の家族になった。


     ※・・・※・・・※


「おはよう、オリビアさん」

「おはようございます、アーサーさん。今朝はキャベツと春野菜のスープですよ」

「ああ、嬉しいです。身体が中から浄化されそうだ」


 アーサーはスープ皿を覗き込んでそう言うと、気持ちのいい食べっぷりで朝食を平らげて行く。


「卵が一個入るだけで、ずいぶんスープの感じが変わるんですね」

「ええ。食べ応えが出ますし」

「オリビアさんの料理はどれも美味しかったです」

「そう? よかった」


 アーサーは宿代だといって多めに朝食の代金をテーブルに置いた。そしてそのまま『スープの森』を出て行った。

 昨夜のことは何も聞かれなかった。


 オリビアはホッとして、薬をあれこれカバンに詰めて狼の巣穴へと向かった。開店までには戻って来なくてはとロブを連れて早足で歩いた。


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書籍『スープの森1・2巻』
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