33 結婚の食事会
『スープの森』は臨時休業している。
オリビアとアーサーの結婚報告の食事会が店で開かれるのだ。アーサーとオリビアは常連客の他に、フレディとルイーズも招待して会を開くことにした。
休業のお知らせは三週間前に店に貼り出され、ルイーズとフレディには手紙が送られた。
結婚式の前夜、二人は店の中の配置換えをした。
「オリビア、この鉢植えはどうする?」
「全部壁際に並べてくれる? 天井からぶら下げている鉢はそのままでいいと思う」
「いや、テーブルを動かすならこれも移動しないと。きっと頭をぶつける人が出てくるぞ」
「あっ、そうね。じゃあ、ぶら下げてるのも移動で」
「了解」
ロブは二人がテーブルや椅子を動かすたびにハフハフ言いながら一緒に動き回っていたが、途中で疲れてしまったらしい。今は自分の丸いベッドで寝ている。
やがて店内はすっきりと片付き、店の中央に長く大きなテーブル席が作られた。
「よし、今日はここまでにしよう」
「じゃあ、私は料理の準備を終わらせるわね」
「あまり無理をしないでくれよ。本当なら近所の女性たちが手伝ってくれるものなんだろう?」
「そうだけど、私が作った料理を食べてもらいたいの」
オリビアは前日から客に振る舞う料理を作り続けていた。
「前から不思議だったけど、どうしてこんなに植物が多いんだい? 世話するのも大変だろう?」
「植物は、偽りの言葉を持たないから。私が安らげるの」
「そうか。確かにそうだろうな」
それ以上は何も言わないアーサーがありがたい。アーサーはオリビアの力を知っても、一度も気味悪がらない。
いよいよ結婚式の当日。テーブルの上はたくさんの料理が並べられていた。どれも店で出したことがある料理だけれど、今日は見栄えにもこだわって盛り付けてある。
食事会の開始時間が近づき、店の常連客たちが祝いの品を手に続々と集まってくる。その他にも店の一画には既にたくさんの品物が置かれている。それらはオリビアの配合した薬草でお世話になった人たちからの贈り物だ。
箱に詰められた毛糸、蜂蜜の瓶、干し野菜が詰められた籠、手作りの石鹸、かぼちゃがひと山。気の早い人からは赤ちゃん用のおくるみや肌着が届けられていた。
ジョシュアは家族でやって来て、妻のミラが
「さあさあ、もう花嫁さんは座ってちょうだいな。温める料理は私がやっておくからね」
と笑ってオリビアを椅子に座らせた。オリビアは薄いクリーム色のワンピースを着て、エメラルドのペンダントをつけている。そしてこの辺りの習慣に従い、頭には季節の植物で編まれた花冠を載せている。九月の今、花冠はマーガレットの白い花だ。
「本当なら料理を作るところから手伝いたかったけどね」
「ありがとう、ミラさん。でも、私が作った料理を出したかったの」
「うんうん、わかってる。どれも美味しそうだよ」
ミラはおしゃべりしながらも手早く鍋の中を確認し、火を通し過ぎないように気をつけて温めた。アーサーは普段着しか持っていなかったので、新品のシャツとズボンを買って着ている。胸ポケットにはオリビアとお揃いのマーガレットの花が差してある。
「アーサー、そういう格好だと男っぷりが上がるな。髪型もそのほうがいい。いや、見違えたよ」
「フレディさん、からかわないでくださいよ」
苦笑するアーサーだが、フレディは本気で感心している。整った顔立ちだとは思っていたが、アーサーは顔以前に『体格のいい屈強そうな男』という印象が強い。だが糊の効いたシャツを着て、灰色の前髪を後ろに撫でつけたアーサーはとても見栄えがした。
最後に到着した客はルイーズだ。ルイーズは品のいいドレス姿だったが、他の客を威圧するような豪奢なドレスではない。「裕福な商家のご隠居様」という雰囲気で、そんな配慮にもルイーズの人柄が透けて見える。
ルイーズは数か月に一度店に来るものの、いつも事前に連絡をして昼の混雑が終わったころに来ていた。なので常連客たちはルイーズを見かけたことはあるが、まさか王族とは思ってはいない。「田舎の食堂を利用する裕福そうなご老人」と思っている。
最初の挨拶はルイーズが行った。
「ジェンキンズとマーガレットは今、きっとここに来ているでしょう。そして、全身全霊で愛したオリビアの幸せを喜んでいるはずです。今日結婚した二人が、末永く幸せであることをジェンキンズもマーガレットも、そして私も、心から願っています」
古い馴染み客たちはジェンキンズとマーガレットの名前を聞いて一瞬目を潤ませる。だが「祝いの席に涙は禁物」と互いに言い合って、賑やかに会を盛り上げた。
料理は「旨い旨い」と褒められ、どんどん皆の胃袋へと消えていく。ルイーズが差し入れてくれた上等なワイン十二本も飲み干された。
楽しい雰囲気のまま、結婚報告の食事会は無事に終わった。
大量に使われた食器類は女性の参加者たちがさっさと洗って拭き上げ、
「じゃあ、私たちは帰るよ。今日はごちそう様。そしておめでとう!」
と笑顔で告げ、酔ってご機嫌な夫たちを引っ張るようにして帰って行った。
「急に静かになったわね」
「そうだな。俺、こんなに祝ってもらうのは初めてだ。感動して胸がいっぱいだったよ」
「そう言えばアーサーはほとんど食べてなかったわね。何か食べる?」
「そうだな、パンがあればパンを。贈り物の蜂蜜をつけて食べたい。自分でやるよ」
「じゃあ私の分もお願いしていい? 私はお茶を淹れるわ」
二人で向かい合い、蜂蜜をたっぷりかけて染み込むのを待ち、「甘い」「美味しい」と言いながらお茶を飲んだ。すると外で馬車が止まり、下りてくる人影が見えた。オリビアが立ち上がってドアに向かうと、店の外に父がいた。
「こんにちは」
「こんにちは。この前は妻が騒いでしまって申し訳なかったね」
「いえ。今日は臨時休業なんです。せっかく来てくださったのに申し訳ありません」
「ああ、知っています。うちの使用人が一度この店にお邪魔しているんです。それで貼り紙を見て今日のことを教えてくれてね。ひと言お祝いを言いたかったんです。結婚おめでとう」
オリビアの後ろに来ていたアーサーが、やや警戒した声で口を挟んだ。
「あなたの家の使用人は、なぜこの店に来たんですか? オリビアの様子を探らせたんですか」
「そう受け取られても仕方がないが、そうではないんだ。我が家で長年働いていた庭師が、我々の話を聞いて、ぜひオリビアの姿を見たいと申し出てきたんだ」
そう言われてオリビアは思い出した。
二週間ほど前だろうか。初めて来た老夫婦が隅の席に座り、愛想良くオリビアに話しかけ、料理を誉めて帰った。あの夫婦がそうだったのか、と思う。
夫婦揃ってきちんとしたよそ行きの服装だったので気づかなかったが、実家の庭師ならわずかに記憶がある。
「お嬢様は動物がお好きですね」
その庭師はそう言って何度かオリビアに笑いかけてくれた。特別面倒を見てもらったわけではないが、居心地の悪い実家では数少ない偏見のない態度を取る人だった。
「庭師はあなたに会えてよかった、無事に生きていてよかったと喜んでいました」
「そうですか」
「妻はあなたが結婚すると知って、あなたのことは諦めたようです。『平民として結婚してしまったら、もう我が家の娘として迎え入れることができない』と残念がっていました」
「お気の毒ですが、私はお探しの方とは違いますので」
「ええ。それは承知しています。ですが私は年に一度でいい、ここに来てあなたの顔を見ることだけは許してもらえませんか。それ以上は何も望みません」
そこまで冷静に対応していたオリビアは、なんと答えるべきかわからなかった。父は本当に顔を見るだけで満足するのか。五歳までしか一緒に暮らしていない父のことをどこまで信じるべきか迷う。
普段は自分から人の心を探ることは避けているが、そっと父の心を探ってみる。
幾重にもカーテンで覆われたような父の心はなかなか読めなかったが、後悔と自責の念が渦を巻いているのがぼんやり読み取れた。
オリビアはこれ以上は父を突き放すことができなくなった。
「お茶をいかがですか。蜂蜜を垂らしたパンでよければ出せますが」
「ああ、ありがとう。いいんですか? 結婚式で疲れたでしょうに」
「かまいません。どうぞ」
台所のテーブルに父を招き、オリビアはお茶を淹れた。
「あの後、あなたとルイーズ様の関係を少し調べさせてもらいました。あなたを育てた方は、有名な薬師だったんですね。そして護衛騎士の妻だった」
「ええ」
「大切に育ててもらったのだということは、あなたを見ればわかります」
「ええ」
父はたっぷり蜂蜜を垂らした薄切りパンを、上品に小さく切り分けて口に入れた。
「ああ、美味しいな。こういう食べ方をしたことがなかったが、素朴で美味しい」
「はい」
「オリビアさん、私は出来の悪い人間でね。家は継げましたが、最後まで優秀な父親に叱られ通しでした。何ひとつ父を超えることができないまま父を見送りました」
「そうですか」
「この年になると、後悔は重さを増します」
オリビアは何も言わず、父の言葉の続きを待った。
「私は父親の言いなりになって大切な娘を手離しました。それ以来、ずっと胸の奥に後悔が居座っているのです。私は出来が悪い息子だっただけでなく、残酷な父親なんです」
「あの、何がおっしゃりたいのでしょうか」
「あなたが別人ならそれでもいい。私に謝らせてはもらえないだろうか。私は、たった一人で森の中へと逃げた娘に、『申し訳なかった』と謝りたいのです」
そこまで言うと父は片手で両目を押さえた。
「娘が逃げ出したのは夕方だったそうです。同行していた女性がそれに気づいて、辺りが真っ暗になるまで御者と二人で探したけれど、どうしても見つけられなかったそうです。報告を聞いて、私は急いで捜索人を送り込みましたが、娘は見つかりませんでした。『狼や熊がいる森だから、もう生きてはいないだろう』と捜索した者から報告を受けました」
「そうですか」
「それ以来、もう二十年になりますが、今も目を閉じると夜の森を一人で逃げ続ける娘の姿が目に浮かぶのです」
「もしも……もしもですが」
泣いている父が気の毒になる。
「もし私がその娘さんだったら、きっとこう言うでしょう。『五歳の私は夜の森を生き延びて、保護されて、とても幸せに暮らしてきました。だからもう、悲しむ必要も後悔で苦しむ必要もありません。あなたのことも母親のことも恨んではいません』と」
うつむいて涙を流していた父が希望の滲む目でオリビアを見る。その父に言うべきことを言わねば、とオリビアは覚悟を決めた。
「そしてこうも言うはずです。『本当に我が子の幸せを願うのであれば、どうか私のことは忘れてください』と」
「そんな! 忘れるなんてできるわけがない! どうしてそんな酷いことを言うんだ!」
父は取り乱し、心が無防備になった。
「私、動物や人の心が読めるんです。子どもの頃だって頭がおかしかったわけじゃありません。今もあなたの心が読めます。ここ二、三年、あなたが奥さんをもう愛していないことも、ロージーという赤毛の女性と密かに愛を育んでいることもわかってしまう。私と関わるということは、そういうことです。それでも毎年、会いに来てくれますか?」
遠ざかっていく馬車を見送って、アーサーとオリビアは店に入った。
「オリビア、大丈夫か?」
「ええ。言葉にしたらはっきりしたわ。私は生き続けるために実家のことは何も祖父母に話さなかった。あの家に戻されれば心が壊れてしまうことを、五歳なりに気づいていたのね。両親に会いたくなっても『あの家に帰るわけにはいかない』と自分に言い聞かせていたわ」
「……そうか。五歳の君は、頑張ったんだな」
「ええ、とても。とても頑張った」
アーサーがそっとオリビアの肩を抱き寄せた。アーサーの胸の中で、オリビアは夜の森を走り続けた五歳の自分を思い出した。
「私、まるで森の動物のように、生き続けることにずっと必死だった」





