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スープの森〜動物と会話するオリビアと元傭兵アーサーの物語〜 【書籍発売中・コミカライズ】  作者: 守雨
第一章 

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29 ライオネル

 アーサーがヤギ小屋という名の離れに住むようになってから、オリビアとアーサーは週に一度の割合で釣りに出かけるようになった。おかげでスープの森のメニューには、川魚料理の出番が増えた。オリビアの生活は穏やかで安全で、平和だった。


 七月に入った。オリビアはまだ涼しい朝の四時半に起きて洗濯をしている。以前は三人分の洗濯をこなしていたのだから、アーサーの分が増えたところで何ということもない。


「おはよう、オリビア。相変わらず早いね」

「おはようアーサーさん。水の音で起こしてしまったかしら」

「『さん』はいらないよ。いい加減平等になろうよ。俺はオリビアと呼んでいるのに」

「つい癖で。わかったわ、アーサー」

「うん、それでいい。釣りに行く?」

「ええ! もう少ししたら洗濯が終わるわ」



 朝食の前に釣りに行くのは小さな楽しみだ。行きと帰りに薬草とキノコが採れるのもありがたい。オリビアが前、アーサーが後ろ、ロブは前に出たり後ろへ行ったりしながら付いて来る。


「さあ、今朝は何匹つれるかな。この淵のマスはだいぶスレてしまったから最近は釣るのが難しい」

「どっちがたくさん釣れるか競争する?」

「いいね」


 ロブは川上へと遊びに行き、姿が見えない。

 三十分ほど過ぎた頃に、アナグマの親子が川の向こう岸を移動して近づいて来るのが見えた。


『人間! 人間だ!』

『こっち 来るな!』

『魚! 捕まえてる!』

『死んでる人間 生きてる人間』


 アナグマの子供たちはもうすぐ親離れをする時期だ。母親は子供たちを引き連れて移動している。オリビアは子供のアナグマの記憶が気になった。

 川岸に倒れている人間の姿。アナグマは用心して近寄らなかったようだが、もしや溺死体だろうか。


「アーサー、ちょっと上流に行って確かめたいことがあるの」

「アナグマが何か言ってたの?」

「言ってたし、記憶が少し見えたの。川岸に誰か倒れてるみたい。もう死んでるかも」

「行こう」

「溺死体かもしれないわよ? いいの?」

「俺を誰だと思ってるんだ?」

「あ、ああ、そうだったわね」


 ロブを呼び戻して二人と一匹で川岸を上流のほうへと歩く。大きな岩が目立つようになり、川の幅が細く流れは急だ。

 大きな岩を迂回したところで、オリビアがその人を見つけた。洒落た釣り用の服を着た男性が、河原にうつ伏せで倒れている。膝から下は水の中だ。


「俺が見に行くから君はここに」

「私も行くわ」

「目玉がないかもしれないよ?」

「う」

「いいね? ここで待ってて」


 そう言ってアーサーは大股で男に近寄った。首に指をあて、仰向けにし、頬を叩いている。オリビアが大きな声で尋ねた。


「生きてるの?」

「どうにか! だが身体が冷え切ってる!」

「わかった!」


 意識のない人間は重い。二人で五キロ先の店まで運ぶのは無理だと判断して、オリビアは流木を集め火をおこすことにした。大きな炎が燃え上がり、そのそばに引きずって男を運ぶ。服を脱がせ、アーサーがシャツを脱いで男に被せた。


「ロブにお使いをさせたいけど、書く物もなければこの場所をなんて説明したらいいのかも……」

「俺の経験からすると、この年齢ならそのうちに意識は戻ると思うが」


 男は若い。十八、九歳か。金持ちの息子に見えた。


「また別荘の人を助けたのかも」

「今度はオリビアが惚れられる番だね」

「やめてよ、縁起でもない」


 焚火に当たらせ、手足をさする。やがてアーサーの言ったように若い男は意識を取り戻した。


「ここは」

「ここはマーローの街から十五キロほど離れた場所です。あなたは川岸に倒れていたんだ」

「あれ? このシャツは?」

「冷え切っていたから濡れた服の代わりにこの人のシャツを着せたの」

「えええ」

「『えええ』じゃないだろう。この人が君を見つけてくれたんだよ? 言うべきことがあるだろう?」

「ああっ、そうでした。助けてくれてありがとう。僕はライオネル。釣れそうな場所を探しているうちに転んで流されたんです。溺れそうになったところまでは記憶があるんだけど。本当に助かりました」

「どういたしまして。ライオネルさん、歩けるかしら。私の家まで五キロはあるけど、頑張って歩いてくれたら、乾いた服と美味しい料理を提供できるわ」

「はいっ。歩けると思います」


 ライオネルは最初こそ力が入らない様子だったが、オリビアが持っていた飴を五つ立て続けに口に入れてバリバリ嚙み砕いて飲み込むとだいぶ元気が出た。さすがに裸で歩かせるわけにはいかないので、濡れたズボンとアーサーのシャツを着ている。なのでアーサーは上半身が裸だ。オリビアは後ろを歩きつつその背中を見ていた。


 アーサーの上半身には、胸も背中も腕も大小さまざまな傷跡がある。

 剣で斬られたと思われる傷もあれば火傷のような傷、刺し傷まである。

(十四歳で傭兵になってから、この人はどんな過酷な状況で生きてきたんだろう)

 

 自分の子供時代を不幸だったと思っていたが、むしろ恵まれていたのだと思う。


(私は逃げ出してすぐに優しい祖父母に拾われた。大事に育ててもらった。アーサーのように自分の力だけで生きてきた人に比べたら、私の不幸なんて)

 オリビアがそう反省していたときだ。


「すごいですね! アーサーさんの身体。筋肉もすごいけど傷だらけだ! 何をしたらそんな傷ができるんです?」

「ライオネルさん、その言い方は失礼だわ」

「いや、僕、そんなつもりじゃ」

「いいんだ。気にしてないよ。俺は傭兵を十四年やってたんだ。もう辞めたけどね。傷が多いのは何の技術も持っていなかった頃の傷だよ。俺はたくさんの先輩に助けてもらって生き延びることができたんだよ」

「すごいなぁ。その先輩方は今も傭兵を?」

「いや。俺を助けてくれた先輩たちは、みんな死んだよ」

「えっ」

「傭兵は最前線で戦うからね」


 穏やかな口調と表情。だが、今、オリビアの心に大きな波のように悲しみが流れ込んでくる。今まさに息絶えようとしている先輩を抱きかかえ、先輩の名前を繰り返し叫ぶアーサー。

 傷が腐り、高熱を出している先輩を看病するアーサー。先輩もアーサーも泥だらけだ。


 そしてアーサーの深い絶望が悲しみの後から流れてくる。

 次の記憶の中で、両親らしき二人と小柄な妹らしき遺体を、アーサーが穴を掘って埋葬していた。アーサーを含め、全員が驚くほど痩せている。


「オリビア! どうした!」

「あっ」


 自分を前の二人が驚いた顔で見ている。オリビアは声を出さないようにして泣いていたのに、それを見られて慌てた。


「ああ、気にしないで。傭兵の仕事って大変なんだなって思ったら涙が」

「ちょっと休もう」


 アーサーがライオネルからオリビアを引き離し、小声で謝った。


「悪かった。俺、つい昔のことを思い出してしまって。見えたんだね?」

「勝手に見てしまってごめんなさい」

「いや、俺が悪かった」

「謝らないで。平気な顔をしているべきだったわ。もう二度とこんな失敗はしないから。ごめんなさいね」


 涙を拭って笑って見せたが、オリビアもまた両親と別れた場面を思い出していた。すると、アーサーが突然、オリビアの頬に触れた。

 アーサーの顔が痛ましい物を見たような表情になる。


「大丈夫。私なら大丈夫よ。さあ、帰りましょう。美味しいスープを飲めば、ライオネルさんも元気になる! 任せて!」


 また三人と一匹で歩き出す。アーサーにも見えた。少女のオリビアが絶望を感じながら「さようなら、お父様、お母様」と叫んでいた。泣いて見送る両親の後ろに、オリビアを嫌な目つきで見ている老人がいた。

(あんな目で見られながら暮らしていたのか。そして彼女の両親は、あの老人の言いなりになったのか)


 元気なふりを装いながら歩くオリビア。その背中を見ながら、アーサーの心にオリビアの家族への怒りとオリビアへの労わりの気持ちがあふれる。


(それにしても、俺までオリビアの心がわかるようになるって、どういうことだ?)




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書籍『スープの森1・2巻』
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