21 アーサーの辞職
「失礼ですが、お嬢さん、今なんとおっしゃいました?」
「ですから、アーサーをうちで護衛として雇いたいと言いました」
「その理由を聞いても?」
「アーサーがどんな人物か、フレディさんはご存じ?」
「元傭兵だと聞いてます」
「どんな傭兵だったかは?」
「どんな傭兵? いえ」
カレンは「呆れた」と言いながら足を組み直した。手入れの行き届いた美しい爪をじっくり眺めてから、もう一度フレディに視線を戻す。
「アーサーに興味があって、ちょっと調べただけでわかりましたよ。あの人、有名な傭兵だったらしくて契約金が一ヶ月で小金貨七枚だったんです。格安でこき使われる傭兵の中では一流だったの。そんな優秀な人が薬草の採取や店番なんて、人材の無駄使いだわ。こちらの賃金はおいくら? いいところ小金貨二枚、ってところかしら」
フレディは親の財力に物を言わせようとしているカレンを無表情に見返していたが、フッと笑った。
「しがない薬草店の私にこの話を持ち込んだところを見ると、アーサーには断られたんですね。お嬢さん、世の中には金のために相手の靴を平気で舐める人間もいるでしょう。それはそれでその人の自由だ。だが、アーサーはうちに来てくれた。そして優秀な従業員です。なので私はアーサーを首にするわけにはいきません」
「私に逆らうと、お客が来なくなるかもしれないわよ?」
「ほぅ。別荘族のあなたが、この街の人間を動かすおつもりですか」
「こんな小さな田舎町の人間、お金でどうにでもなるわ。みんなお金が大好きだもの」
店のドアが勢いよく開き、アーサーが用事から帰って来た。そしてカレンとフレディの様子をひと目見るなり低い声でカレンに話しかける。
「あんた、ここで何をしているんだ」
「あら。お帰りなさい。今ね、あなたを引き抜きたいって店長さんにお願いしているところよ」
「その話はもう断った。フレディさんに迷惑をかけるのはやめてくれ」
「よく考えてみて。うちの護衛になればここの賃金の五倍は手に入るのよ? 子供だってわかる話なのに、どうして断るの?」
「その五倍の賃金の中には、あんたの相手をする仕事も入っているんだろう? どうやら俺のことを何もわかってないようだ」
アーサーはツカツカとカレンに歩み寄り、椅子に座っているカレンを上から見下ろした。全身から殺気が放たれていて、カレンは圧倒されたが顔には出さないでアーサーを見上げた。
「お前たちの考えることなんていつも同じだ。俺がここにいる限り金の力で店に嫌がらせをするつもりだろう? 俺がフレディさんに申し訳なくなってお前の言うことを聞くのを待つつもりだ。お前にとってのはした金でフレディさんが苦しもうが関係ないんだろうさ。だが残念だったな。たった今、俺はこの店を辞める」
「アーサー、そんなことはしなくていいんだよ」
「いいえ、フレディさん、引き抜きなら何度も経験しました。この手の人間は皆、金で動かない相手がいると、ちっぽけなプライドがとても傷つくらしいですよ。そして蛇みたいに執念深いんです。だから俺が辞めます。お世話になりました」
「待ってよアーサー」
アーサーは二階の自室に上がり、リュックひとつを持って下りてくるとフレディにぺこりと頭を下げた。
「短期間でここを辞めるのは残念です。俺のせいでまた求人が必要になることも、申し訳ありません」
「アーサー、待ちなさい」
「じゃ。失礼します」
カレンを完璧に無視してアーサーは店を出て行った。
「ああっ!もうっ!」
「なるほど。あなたのおかげで早速私は痛手を被りましたな。では、私は仕事に戻らせていただきます」
腹を立て目を吊り上げているカレンに声をかけると、フレディは掃除をする必要もないくらい清潔な店内の掃除を始めた。カレンは立ち上がり、無言でドアを乱暴に開けて店を出て行く。その後姿をフレディはチラリと見た。
「古くて小さい田舎町の人間をなめると痛い目に遭いますよ、お嬢さん」
フレディは店のドアに「臨時休業」の札を下げると、どこかへと出かけて行った。
一方アーサーは店を出て『スープの森』へと向かって歩いている。お別れを言ってからマーローを出ようと思っていた。
(俺があの店とオリビアを気に入っていることに、カレンは気づいているはずだ。どこに勤めようとマーローの街に俺がいる限り、カレンは同じことを繰り返すだろう。『スープの森』にだって何かするのは見えている)
アーサーは金銭に不自由している人間が世の中には山ほどいることを知っている。自分もかつてはそうだった。そんな人間を金で自由に動かす側の人間がいることも知っている。そちら側の人間は、金のない人間を動かすにはどうしたらいいか、実に良くコツを知っているのだ。
十キロの道のりを歩いているうちに、子供時代のことを思い出した。お金がないばかりに父と母は起きている間中働いていた。父と母はいつも疲れていて、アーサーも妹もろくに相手をしてもらった覚えがない。そんなに働いていても、粗末な食事を家族四人で分け合って食べるのが精いっぱいの暮らしだった。
酷い咳を引き起こすたちの悪い風邪が流行った冬、アーサーの家族は全員あっさりとこの世を旅立った。日雇いの仕事をしていたアーサーも、あちこちで長引く流感のおかげで仕事先がなくなった。
そしてアーサーは、生きるために十四歳で傭兵になったのだ。
『スープの森』では、オリビアが残った野菜くずや肉の脂身を刻んでいた。
野菜くずはヤギが喜ぶし、火を通したあとで残った脂身は野鳥のご馳走だ。そのまま脂身を置いておくと中型の野鳥が一回で持ち去ってしまうので、木の実や草の実にゆるく溶かした脂をまぶして置いておく。この季節は食べ物が豊富だが、オリビアはたくさん残る脂身を無駄にしたくない。
ちょこまかと庭に入って来たのはハリネズミ。今日は一匹だけ。子ハリネズミは早々と独り立ちしたらしい。ワクワクした感情があちこちから漂ってくるので森の方を振り返る。どうやら子ハリネズミたちのようだ。親離れした子ハリネズミたちは、母ハリネズミが食事を終えるのを待つつもりらしい。
ハリネズミは子育て期間以外は単独で生きる。親離れした子供たちは親から距離を取り、縄張りを侵さない。力関係では上下ができる。母親はもう、食べ物を子ハリネズミたちに譲りはしない。自分が生き残ってまた子を産むことを優先するのだ。
「わかりやすくて潔いねえ」
独り言を言って眺めていると、重苦しい感情が近づいて来るのを感じた。(どこ?)と辺りを見渡すと、街道の向こうからアーサーが歩いて来るのが見えた。