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20 ミソサザイ

 豪雨の後は快晴が続き、人々は皆、それぞれの仕事に忙しい。

 農家の人々、別荘の人々、街道を行き来する商人たちが『スープの森』に来てくれて、オリビアも忙しい日々だ。


 昼の営業を終えて、(さて、私も昼ご飯を食べよう)と用意していると、ドアベルがカランと鳴った。誰かしら、と台所から顔を出すと、ドアを開けて近所の農家の奥さんが立っていた。


「あら、エラさん。どうしました?」

「ソフィーの咳が止まらなくて、少しだけ熱もあるの。薬を貰えないかしら」

「まあ。咳にもいろいろありますから、私が様子を見に行ってもいいでしょうか」

「ええ、もちろんよ。荷馬車で来てるから、一緒に来てくれる?」

「はい。では、急いで薬の準備をしますので、少々お待ちくださいね」


 オリビアは二階の自室に駆け上がり、小引き出しがたくさんある戸棚から咳と熱に効き目のある薬草を何種類も選んだ。紙袋にそれらを小分けしてから階段を下り、肩掛けカバンに紙袋を詰め込む。


「はい、準備できました。行きましょう」

「ありがとうね、オリビアさん」


 エラが荷馬車の手綱を取り、オリビアはその隣に座った。荷馬車はヤギたちの敷き藁を運んできて汚れた藁を回収してくれる荷馬車だ。


 エラの一家が住んでいる農家は、近所と言っても二キロ先。夜の灯りも見えない距離だ。だが『スープの森』からは一番近いので、近所といえば近所なのだ。

この周辺に医者はいない。領都マーローの街にはいるが、農民の収入では診てもらうにも勇気がいる。往診となればなおのこと診療代が高くなる。

 オリビアの祖母は生前、そういう人のために薬草の知識を役立てていた。そしてオリビアにもみっちり教えてくれた。


 やがてエラの家が見えてきた。

 農家の周囲は木の柵で囲まれ、柵の中には母屋、馬小屋、豚小屋、農機具を保管する納屋が並んでいる。玄関前には家族用の菜園。

 エラとオリビアは馬車を下りて早足で母屋に入った。


「こっちよ、オリビアさん」


 案内されて子供部屋に入ると、ベッドに寝ているソフィーが乾いた咳をしていた。ソフィーは十二歳の女の子。


「こんにちは、ソフィー。咳がつらそうね」

「こんにちはオリビアさん。息が苦しいの」

「うんうん、その咳じゃ苦しいわね。まずは胸を診せてね」


 オリビアはソフィーの寝間着のボタンを外して開いた。カバンから祖母が遺してくれた聴診器を取り出す。聴診器は一輪挿しのような形の細長い形で木製だ。一輪挿しの台座に当たる部分には穴が空いていて、一輪挿しの底が抜けているような構造。

 口の部分をソフィーの胸に軽く押し付け、台座の部分に耳を当てる。ゼロゼロした音は聞こえないが、呼吸が荒くて苦しそうだ。額に手を当てると、微熱程度。


「エラさん、咳はいつからですか?」

「十日ほど前かしら」

「ソフィー、咳が始まる前に、風邪を引くようなことが何かあったの?」

「ううん。お父さんと森に行って小鳥を捕まえて、帰ってきただけ。森から帰ってからは、ずっと咳が出るから家にいたよ」


 そのとき、オリビアの背後からバサバサと羽ばたく音がした。振り返ると部屋の隅にコート掛けのようなポールが置いてあり、太い針金で作られた鳥かごが吊り下げられていた。羽ばたいたのはその中にいる茶色の小鳥だ。

 オリビアはソフィーのボタンをはめずに、毛布を肩までかけた。


「咳止めの湿布をしましょうね。ソフィー、あれはミソサザイ?」

「うん。お父さんが網で捕まえてくれたの。私が飼いたいってお願いしたから」

「ミソサザイは虫を食べるけど、餌はどうしてるの?」

「お父さんがゴミ捨て場に湧く虫を捕まえてきてくれるの」

「そう」


 オリビアは、聴診器をしまい、呼吸を楽にする薬草をカバンから取り出す。心配そうな顔でそばに立っているエラに

「バケツにたっぷりのお湯を運んでもらえますか? 手をどうにか入れられるぐらいの温度でお願いします。それと、ソフィーに薬を飲ませたいのでカップに熱湯も。それとスプーンをお願いします」

 と頼む。

 すぐにエラが出て行き、オリビアはミソサザイに近寄って小声で話しかけた。


「お前は森にいたのね」

『助けて! 助けて!  怖い! 怖い!』


 ミソサザイの感情と記憶が流れ込んで来た。網に引っかかって絡まり、逃げられず、絶望しているミソサザイの記憶は、恐怖で染まっていた。


 ソフィーの父親が幼虫を細い棒で挟んで籠に刺し込んでくる。ミソサザイの目には、ソフィーの父親が恐ろしげな巨人に見えている。

 空腹と恐怖。仕方なく最低限の虫を食べているが、ミソサザイは疲れ果てていた。逃げたくて飛びたくて籠の中で暴れ、かごにぶつかるミソサザイ。


『助けて! 助けて!』


 ミソサザイの黒くて丸い目が、オリビアを真っ直ぐに見ている。オリビアは鳥かごに背を向けてソフィーに近寄った。


「ソフィー、もしかしたらだけど、あのミソサザイが咳の原因かもしれないわ。あの子が羽ばたくたびに、細かい羽のかけらや乾いたフンが飛び散るの。それを吸うと具合が悪くなる人がいるのよ」

「そうなの?」

「ええ。それにあの子は森に帰りたがってる。とても悲しいって思ってるみたい」

「オリビアさんにはわかるの?」

「なんとなくね。もうかなり弱っているから、このままかごに閉じ込めておくと、あの子はあまり長くは生きられないと思う」

「そうなの?」


 ソフィーの目に涙が盛り上がる。


「あの子を森に帰してあげられないかしら。どうしても帰したくないなら、あの子をこの部屋から出してほしいわ」

「あの子、本当にこのままだと死んじゃう?」

「そうね。そのうち虫を食べなくなって、じっと動かなくなるわ。そうなったら小鳥はあっという間なのよ」

「死んだらイヤッ」

「あの小鳥の寿命は短いの。森にいても寿命は二年か、三年。そんなものなの。短い一生を森で自由に飛んで生きたいと思っているはずよ」

「二年か三年? 私、ミソサザイがそんなに寿命が短いって、知らなかった」

「知らない人の方が多いから」

「ピピーを逃がしてやりたい」

「そうね。もしかしたら咳の原因はミソサザイじゃないかもしれないけれど、まずは疑わしいことから取り除かないと。それにお互いの幸せのために、あの子は逃したほうがいいと思う」


 エラがバケツにお湯を運んできてから一度部屋を出て、今度はカップに熱いお湯を運んで来た。オリビアは布をお湯に浸し、硬く絞ってから刻んだ薬草を布の中に広げ、布を畳んだ。それをソフィーの胸に直接当てる。


「温かいのにスーッとする。それにいい匂い」

「ゆっくり息を吸って。この匂いに咳止めの効果があるの」


 ソフィーが深呼吸を繰り返している間に、カップのお湯に刻んだ薬草を入れる。お湯が淡い緑色になるまで、スプーンで薬草を何度も圧し潰した。色と匂いを確かめて、薬草をカップから取り出す。


「胸の湿布が落ちないように押さえながら起き上がれるかしら」

「はい」


 両手で胸の湿布を押さえながら起き上がるソフィー。オリビアがその口にカップを運び、少しずつ飲ませた。苦くて青臭い薬湯を、ソフィーは文句を言わずに飲み干した。


「エラさん、この湿布、三回は使えるの。冷えてきたらすぐにお湯で温め直して、胸に当ててね。三回使ったら、新しい薬草に取り換えて。たくさん置いていきますから、たっぷり使ってください。足りなくなったらうちに取りに来てください」

「わかったわ。オリビアさん、ありがとう」

「私こそ、いつも藁をありがとうございます。それと、この咳の原因はミソサザイのような気がするの。ソフィーは逃がすことに同意してくれたわ」

「あの小鳥が原因? ソフィー、いいのかい?」

「うん。お母さん、ピピーは二年か三年しか生きられないんだって。このままかごに閉じ込めてたら、すぐに死んじゃうかもしれないんだって」

「まあ」

「ピピーを逃がしてあげたい」

「そう。じゃあ、お母さんが逃がすわ」

「ううん、私が逃がす。ピピーにお別れをしたいし、ごめんなさいって謝りたいの」


 ソフィーは湿布を始めて二十分ほどで咳をしなくなった。そうなると急に元気になり、今からピピーを逃がしたいという。エラがかごを持って、三人で外に出た。

 家の外に出ると、ミソサザイはかごから出たがって暴れた。ソフィーがしゃがんでかごの中に話しかける。


「ごめんねピピー。あなたが好きだから一緒に暮らしたかったの。ピピー、捕まえてごめんね。閉じ込めてごめんね。私を許してね」


 口をへの字にして目を潤ませながら、ソフィーは鳥かごの扉を開けた。

 ミソサザイは勢いよくかごから飛び出し、羽ばたいて空へと舞い上がる。そして森の方向へと真っ直ぐ飛び去った。

 ソフィーはミソサザイが黒い点になり、見えなくなるまで空を見つめていたが、クルリと振り返ってエラに抱きつき、泣き始めた。エラはソフィーの背中を優しく撫でて慰めている。


「では私は帰ります」

「お店まで送ります。オリビアさん、薬代を」

「私は医者じゃないから、お金を貰ったら罪人になっちゃうわ。近所の子供が苦しそうだから、お見舞いがてらに薬草で湿布をして薬湯を差し入れしただけ。お金はもらえません。エラさん、ソフィーの部屋中をよく濡れ拭きしてください。それをしても咳がぶり返すようなら、薬草を別の物に替えます。また咳が始まったら知らせてください」

「ありがとう。助かりました」


 エラは感謝と申し訳なさの混じった顔で、深々と頭を下げた。


 オリビアは荷馬車で送ってもらいながら、飛び立っていく瞬間のミソサザイを思い出している。ミソサザイの心は喜びではち切れそうだった。

『嬉しい! 嬉しい! 嬉しい!』と野の鳥は心で叫んでいた。


(よかったね。元気でね)


 オリビアはミソサザイの無事を祈った。ソフィーの咳はおさまるだろう。

(おばあちゃん、教えてくれたことがまた役に立ったよ)

 オリビアは祖母の顔を思い浮かべて微笑んだ。



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書籍『スープの森1・2巻』
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