17 追い払う
オリビアが能力を全開にして歩き続けていると、多くの動物の感情が流れ込んでくる。
『雨 降る』『腹 減った』『うまー』『行く? 行かない?』『雨 来る?』『ウマー』
空腹でイライラしているのは、おそらく大型の肉食獣。雨が来るのを承知で出かけるかやめるか迷っているのも、大型の動物だ。アーサーの思考は感じ取れない。
オリビアはもう小走りだ。(早く見つけなきゃ。獣より先にアーサーさんを見つけ出さなきゃ)
ある地点まで来たら、突然興奮した感情が流れ込んで来た。
『人間のニオイ』『人間』『人間だ』
少なくとも三匹の獣がアーサーの匂いを嗅ぎ当てたらしい。それも肉食獣。複数で動いているなら、おそらく狼。
「ロブ、アーサーさんの匂い、わかる?」
ロブはさっきから一生懸命匂いを嗅いでいるが、アーサーはあちこちをグルグル動き回ったらしく、ロブも同じ場所をグルグル回って探している。このペースでは間に合わない。オリビアは鳥たちに呼びかけた。
「人間を見かけなかった? 探しているの! お願い、教えて!」
枝の陰でオリビアとロブの様子を見ていたらしい森の鳥たちが、口々に教えてくれる。
『人間』『あっち』『大きい人間』『こっち』
一羽のコマドリが枝から枝へと飛び移る。
「ありがとう! 必ずお礼を持って来る」
鳥たちはお礼を当てにしている、というわけではない。オリビアが思い浮かべるパンくずや脂身のかけらなどのイメージに反応している。
『こっち こっち』
「ありがとう!」
獣より先にアーサーを見つけなければ。アーサーは強いだろうが、三匹の獣がもしオリビアの知らない狼なら危ない。縄張りを持たずに移動している狼は、たいてい空腹だ。
(あの狼の夫婦じゃないわ。知らない群れ)
早く。一分でも早く獣より先に見つけたい。
「アーサーさーん! いますかー! アーサーさーん! 返事をしてー!」
「おー」
「いたっ! どこっ! 声を出してっ!」
「こっちだ! どうした?」
ザッザッザッと走る音がして、森の奥からアーサーが走って来た。
「オリビアさん! どうしたんですか」
「早く戻りましょう。雨が降る」
「そんなことでここまで?」
「それだけじゃないの。危ないの。何かが来てる!」
そこまで言って口を閉じた。
『人間』『人間、キタ』『腹 へった』
三匹は喜んでいる。オリビアが自ら近づいてきたことを喜んでいた。
「おそらく狼が来ているの。三匹はいるわ」
アーサーが腰の大型ナイフを取り出した。辺りを素早く見回して、狼を見つけたらしい。
「三匹か。厄介だな。オリビアさん、木に登れる?」
「登れるけど、その前になんとかしてみるわ」
「なんとかって」
オリビアは声に出して、狼たちに『猟犬と猟師のイメージ』を送ることにした。
「私やこの人を食べたら、たくさんの犬が来るわよ。犬たちはみんな興奮して、吠えながらあなたたちを追い詰める。猟師を連れて来る。あの大きな音を立てる猟銃で、みんなを殺しに来るわよ」
一匹の狼の尻尾がスルスルと下がり、股の間に入る。もう一匹は迷っていて、リーダー狼の顔色をうかがっている。リーダーの狼は冷静だ。オリビアが送りつけるイメージに怯えなかった。
『人間 人間』
ロブはまだ吠えない。今は低く唸りながらオリビアを守るためにピタリと脇に張り付いている。
「犬たちがたくさん押し寄せるわ。追いかけられて、銃で撃たれるわよ」
強く、強く、全力でイメージを放つ。銃を持った猟師たちを思い浮かべ、興奮して吠え続ける犬たちを思う。実際には犬たちは狼にとびかかることはないが、犬が狼に飛び掛かるイメージを思い浮かべる。
リーダーの狼が少し怯む。アーサーはナイフを構えてオリビアと背中合わせに立ち、オリビアが背後から飛びかかられないようにして狼を見ている。
「帰りなさい。私たちを食べれば撃たれて死ぬわ。お行き。さあ、行くの」
少しずつ少しずつ狼は距離を取り、ある程度の距離まで離れてからスッと姿を消した。それから気づいた。オリビアとアーサーから少し離れた場所に、あの狼の夫婦が来ていた。
「来てくれたの? ありがとう」
『俺たちの群れ』
狼夫婦はオリビアを群れの仲間とみなして助けに来てくれたらしい。
「ありがとう。ありがとう。赤ちゃんだけにしていたら危ないわ。もう大丈夫。あなたたちも巣穴に帰って。ありがとう。本当にありがとう」
「俺たちを助けに来てくれたのか!」
狼の夫婦はもういない。
「オリビアさん、さっきのあれは何? 俺の頭の中に犬や猟師がいきなり浮かんだんだけど。あれ、オリビアさんが何かしたんだよね?」
「歩きながら説明します。行きましょう? 雨が来るわ」
二人で早足で歩きながらオリビアが話を始めた。
「私ね、動物の感情がわかるの。アーサーさん、見ましたよね? 私が狼の子供を助けてるところ」
「ああ、うん。でも、あのときは事情がよくわからなかった」
「それと、人間も動物だから。無防備なときは聞こえるの」
「聞こえるって……え。もしかして俺の心もわかるの?」
「無防備なときは。人間の感情はなるべく聞かないようにしてるけど。……気持ち悪いですよね」
「気持ち悪くはないけど、俺、何を考えてたか心配になった」
一瞬、森が白く明るくなり、だいぶ遅れて雷が鳴った。
「人間は心をいろんなもので覆っているから動物みたいにはわからないし、私も知りたくないから聞かないようにしてるの」
「それ、俺にしゃべって大丈夫なの? 今まで隠してたんでしょう? 少なくとも薬草店のフレディさんはそのことを知らなかった」
「隠してるわ。みんな気持ち悪いと思うだろうし、知られていいことなんか、ないもの」
また空が白く光り、今度はさっきより短い時間で雷鳴が後に続く。
「さあ、急ぎましょう」
「ああ」
しばらく無言で歩き続け、遠くに森の切れ目が見えてきた。明るい景色を目指して歩く。パラ、パラ、と葉に当たる雨の音。
二人はスープの森を目指して同時に走り出した。





