16 アーサーは群れの仲間
「お待たせしました。アーサーさん、もしかして薬草の採取ですか?」
「ええ、そうです」
「だったら早めに帰った方がいいですよ。今日は雨が降りますから。降るまではまだ時間があると思うけど」
「そうですか。風の感じからもしかしたら、とは思っていたけど、それなら急がなくては」
「ええ、そうしてください。気をつけて」
席から離れようとしたオリビアをアーサーが声を低めて呼び止める。
「オリビアさん」
「はい?」
「この前は申し訳なかった」
「そのことでしたら」
ドアベルが立て続けに鳴り、常連客が続々と店に入って来た。オリビアは「いらっしゃいませ」と声をかけ、アーサーに会釈をして新たな客の方へと立ち去った。
アーサーは(とりあえず嫌われてはいないようだ)と判断してスープを飲む。青えんどう豆の香りがする濃厚なスープが口からゆっくりと胃に落ちていく。豊かな味と香りに思わずうっとりとしてしまう。
「少しいいかしら」
食事を終えたカレンがお茶のカップを手にアーサーの席に移動してきた。(いいも何も、もう席を移動してるじゃないか)と、アーサーは無表情にスープを飲み、マスのバター焼きを口に入れる。
「そんなに嫌そうな顔しないでよ。これからどうするの?」
「これから森に入ります。仕事です」
「仕事って?」
食べ進めていたアーサーがカレンの目を正面から見た。
「俺に何か用事でしょうか」
「ずいぶんね。用がないと話もできないの? 帰りに私の馬車に乗って帰らない? 私が森に一緒に行ってもいいし、それがだめなら待ってるけど」
「お断りします。森には仕事に行くのだし、待たれるのは苦手です」
「ふうん。あなた、オリビアとは笑顔でしゃべるのね? なに? 彼女を好きなの?」
「……いい加減にしろよ」
今までとは全く違う口調と声にカレンは驚く。穏やかに見えていたアーサーの雰囲気が一変していた。目が静かに冷たく怒っていて、カレンは声が出せなくなった。
せっかくの美味しい料理だったが、アーサーはバクバクと味わうことなく食べ、席を立った。
「また来ます」と台所に向かって声をかけ、テーブルに硬貨を置いて席を立つ。驚いて固まっているカレンには目を向けず、ドアを開けて外に出た。風が強く吹いている。
「急ぐか」
アーサーは大股で森へと入って行った。
その頃、カレンはやっと驚きから立ち直っていた。
「なによ。見てなさい、私に夢中にさせてやるから」
離れたテーブルの常連客に料理を運んでいたオリビアは、彼が一瞬だけ怖い目になったのを見てしまった。
アーサーの強い感情が流れ込んで来たから反射的にそちらに顔を向けたのだが、アーサーは口には出さずに『オリビアに手を出すな』『何かしたら許さない』と怒っていた。彼の心が強い怒りの色に染まっていた。
驚きと緊張で心臓が速く動いたが、素知らぬ顔をした。
やがてカレンも常連客たちも全員が帰り、オリビアはヤギを草地に放して二匹を眺めた。ヤギたちはいつものごとく『草 うまっ!』『この草 うまっ!』を繰り返している。
人間に対しては頑なに一線を引いて生きてきたのに、たった四回しか会っていないアーサーにはなぜか心を開きたくなる。
それが正しい選択か間違いなのか、判断がつかずに迷う。
(アーサーさんなら私の能力を詳しく知っても嫌わないかも)とは思うものの、信じて打ち明けて失敗に終わったらどれだけ悲しい思いをすることか、と思う。
「困ったわね、ピート。人間はやっぱり群れていたい動物なのかしらね」
「メッ!」
「メエッ!」
動物たちは皆、複雑な話になると聞き流してしまう。ピートとペペも、一応聞いてくれてはいるが、途中から聞き流しているのがわかる。込み入った話をしても最後まで聞いてくれて返事をしてくれた動物は、あの金色の鹿とロブだけだ。
だがロブは何を話しかけても全面的にオリビアの意見に賛成するのがわかっているから相談にならない。
その時、外から切羽詰まった感情が伝わってきた。焦ってるような慌てているような感情はおそらく小さな動物だ。たらふく食べたであろうヤギを小屋に収め、前庭に回った。野鳥の餌台にスズメが六羽。せわしなく麦とパンくずを食べていた。
『大変 大変』『早く』『もっと食べる』『雨!』『雨 来る!』
どうやら雨はオリビアが思っていたよりも早めに降るらしい。スズメたちは雨が降り続く前に食べておこうということらしかった。
「どうしよう。アーサーさん、どこまで行ったのかしら」
あの屈強そうな身体だから雨に降られたところで死んだりしないのはわかっている。だが、雨が強く降っている時の森は、案外危険なのだ。足元がぬかるむし葉に当たる雨の音で他の音が聞こえにくくなる。森の獣たちは豪雨の中に出てくることはまずないけれど、何があるかわからないのがあの世界だ。
「元傭兵だもの、私が心配しなくても大丈夫よね。むしろ私が行ったら足手まといになる」
店のテーブルをゴシゴシと濡れ拭きしながらも心の半分は『大雨になる前に呼び戻したほうがいいんじゃないか』と騒いでいてうるさい。
森の王者と言える狼夫婦はオリビアなら襲わない。だが、アーサーがうっかりあの巣穴の近くに行ってしまったらどうだろうか。
アーサーのことをオリビアとセットで覚えていてくれたらいいが、子育て中で攻撃的になっている彼らは、オリビアがいなくてもアーサーを大目にみてくれるだろうか。
「狼だけじゃないし」
春から夏に切り替わる今は多くの動物が子育てをしている。あの森には熊もいる。狼と熊はまず戦わない。無駄に命を削るようなことはしないのが野に生きる獣たちの知恵だ。だが人間に対しては?
「あの熊たちに、運悪く出会ったりしないわよね?」
何でも悪く考えたらきりがないと思いながら、ついに我慢できなくなってオリビアはテーブル拭きを諦めた。薬が入っている肩掛けカバンに飴玉と水筒を入れ、店のドアに鍵をかけて森に向かって歩き出した。ロブは当然のようについて来る。
『あの人は私の群れの仲間よ』と狼に説明した自分の言葉を思い出す。
狼は仲間を見捨てない。何かあればリーダーの下で統率の取れた動きを取りながら、仲間同士助け合う。
「そうね。アーサーさんは群れの仲間だものね」
アーサーは『オリビアに手を出すな』と怒っていた。彼は自分をそう思ってくれているのだ。花や月を見るときに声をかけてくれと言ってくれた。いなくなった鹿のことを人間と勘違いしていたようだが。
「行かなきゃ」
行ったほうがいいという思いは今や「行かなければ」という思いに変わって、足を急がせる。
風が強くなってきた。冷たく湿った風。もうきっと遠くで雨は降りだしている。
オリビアは早足で森の中を進んだ。いつもは使わないようにしている能力を全て開放し、できるだけ遠くの心の声までを拾うようにしながらアーサーの居場所を探りながら歩いた。





