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スープの森〜動物と会話するオリビアと元傭兵アーサーの物語〜 【書籍発売中・コミカライズ】  作者: 守雨
第一章 

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14/102

14 氷室と冷たいお菓子

 昼の客が全員帰り、オリビアとアーサー、ロブが森の中を歩いている。

「オリビアさん、氷室は? お店の地下室じゃないんですか?」

「うちには地下室はないですよ。氷室は森の中にあるんです」


 にこやかに語るオリビアを見て、アーサーは(やっぱり今までと少しだけ違う)と思う。ほんの少しだけ元気過ぎる気がするのだ。


(人間は、本心を悟られまいとするときに過剰に逆の演技をしがちだ)


 アーサーはこの直感のおかげで何度も難を逃れてきた。

 以前、たまたま一緒に旅をしていた男たちが、それまで一緒に旅をしていた時よりも、アーサーに対して親切で陽気に振る舞っていたのを感じ取って怪しんだ。


 寝たふりをした結果、男たちは寝ているアーサーに六人がかりで襲い掛かってきた。すぐさま反撃し、相手が起き上がれなくなるまでぶちのめした。

 彼らはアーサーの荷物をこっそり漁り、リュックに金貨が数枚入っているのを知って、「その金貨を取り上げよう」ということになったらしい。


 そんなアーサーの勘が(今日のオリビアは少し変だ)と訴える。

(なんだろう。彼女は何を隠そうとしてるんだろう)


「ここです。私の後について来てくださいね。滑るから足元に気をつけて」


 そこは木が茂る斜面。

 黒いゴツゴツした岩が積み重なっていた。オリビアは人の頭ほどの大きさの岩を次々に動かす。そこに穴ができる。どうにか人が入れるくらいの穴になると、するりとその中に入り込んだ。ロブとアーサーも続いて入り込む。


 穴の中でアーサーの身体が湿気と冷気に包まれる。洞窟の高さは高い場所でもアーサーの頭がぶつかる。低い場所はアーサーの胸くらいか。


「ここが氷室?」

「はい。涼しいでしょう?」

「よくこんな場所を見つけたね」

「教えてもらったんです」

「おじいさんに?」

「いえ」


 オリビアはそれ以上は言わなかった。

 奥に進むと空間があり、その更に奥は狭くて人間は進めそうにない。洞窟の床に木箱が並べてあり、そこに四角く切り取った氷がたくさん積んである。


「この氷は、川が凍った時にノコギリで切り出すんです。ソリに積んで雪の上を運びました」

「君が? ひとりで?」

「ええ。私ひとりで」

「そんな時期に川に落ちたら危ないよ?」

「そう? どうってことないわ。慣れているもの」


(あ、まただ。口調が妙に元気だ)


「アーサーさん寒いでしょう? もう出ましょうか」

「そうだね」


 オリビアの手には大人の頭くらいの氷が二つ抱えられていて、氷は布で何重にも包まれている。アーサーが手早く石を積み直した。


「氷、俺が持ちますよ」

「ありがとうございます。ではお願いします」


 言おうか言うまいか迷ったが、アーサーは言うことにした。


「オリビアさん、もしかしたらだけど、何か悲しいことでもありましたか?」

「んんん? どうしてです?」

「オリビアさん、今日は少し無理してませんか? 何かつらいことがあったのなら、人に話すだけでも少しは……あっ」


 オリビアは転んだ直後の子供みたいな顔をしていた。視線を下に向けて口をへの字にし、目を潤ませている。


「ごめん。俺、無神経なこと言ったね」

「ううん、違うんです。実はね、洞窟を教えてくれた大好きな友人が遠くに行ってしまったの。多分もう戻って来ない」

「友人、ですか」

「ええ。一緒に水浴びして、一緒にお花や月を眺めて、たくさんおしゃべりした友人なんです。大好きで大切な友人だったの。お別れして見送ったときはわりと諦めがついたつもりだったのに、だんだん寂しくなってしまって。みっともないですね、いい年してこんな」


 途中から涙をこらえることは諦めたらしく、オリビアは前を向いて歩きながら大粒の涙を流している。

 その横顔を眺めながらアーサーは(その人って恋人なんだろうなあ)と思う。


 二人で水浴びをし、二人で花を眺め、月を眺め、おしゃべりをする。アーサーは恋人を持ったことがないが、それはどう考えても恋人の話だ。


(最近別れたということか)


「あの洞窟もその人に教えてもらったんですか?」

「その人? あぁ、ええ、そうですね」


 聞き返された口調にアーサーはまた違和感を感じたが、手の甲で涙を拭き拭き歩いているオリビアにそれ以上は何も言えず、開きかけた口を閉じた。


 アーサーの理性は(今はこれ以上踏み込むな)と言う。だから黙って店まで歩いた。フレディの「家族に縁の薄い子ってのは、どこまで行っても縁が薄いままなんだな」という言葉が耳に甦り、胸が痛む。

『スープの森』に着いたところでオリビアが振り返った。


「アーサーさん、甘いものは好きですか」

「はい」

「じゃあ、座って待っていてください。甘くて冷たくて美味しいものを作りますから」


 にっこり笑うオリビアは目も目の周りも赤くて、いつもより子供っぽく見える。

 アーサーは(余計なことを言わなければよかった)と後悔し、気の利いた慰めを言えない自分がもどかしい。

(こんなときに優しく慰めるには何を言えばいいんだろう)

 戦場で生き抜く手段はたくさん知っているのに、傷心のオリビアを慰める言葉はひとつも思いつかない。


「さくらんぼのお茶もだけど、俺は知らないことが多すぎる」


 思わず独り言を言うと、オリビアが台所から声を大きくして聞き返してきた。

「えっ? ごめんなさい、聞こえませんでした。なんでしょう?」

「独り言です!」


 そして口の中で「気が利かない男の独り言です」とつぶやく。しばらくしてオリビアが缶に入った何かを運んで来た。


「さ、どうぞ召し上がれ。祖父が冬によく作ってくれたものです」


 茶葉をしまっておくような蓋付きの缶は冷たく、その蓋を開けると、中にはまた小さな缶が入っていた。中の缶の周囲には、水滴が凍って張り付いている。

 指先に力を入れて中の缶の蓋を開けると、中には白いクリームのようなもの。オリビアはそれを小皿に盛り付けてくれた。

 添えられていたスプーンですくって口に入れる。爽やかな甘さと濃厚なミルクの味。


「美味しい!」

「でしょう? 私、大好きなんです」

「これ、ミルク?」

「クリームです。ミルクを配達されてしばらく置いておくと、瓶の上のほうにクリームが集まるでしょう? それだけを取り分けて、砂糖を入れて、こうして冷やしながら振ると出来上がり」

「本当に旨いなあ」

「これは祖父に教わりました」


 普段は甘い物はあまり食べないアーサーも、立て続けにスプーンで口に運ぶ。

 やがてオリビアが夕食の準備に入る時間になった。

 

「じゃあ、俺はそろそろ帰ります」

「あっ。アーサーさん、今日は私、少し変だったかもしれませんけど、よかったらまた来てください」


 オリビアが伏し目がちに話しかけてきた。アーサーは「ええ、ぜひ」とだけ答えて店を出たが、回れ右をしてすぐに店へと戻った。

 オリビアが驚いた顔で出てきた。アーサーは理性よりも自分の勘と感情に従うことにした。


「花や月を眺めたくて、でもひとりじゃ寂しいと思うことがあったら、お別れした人の代わりに俺に声をかけてくれませんか。寂しくなくても声をかけてもらえたらもっと嬉しいですが」


 オリビアは何度か目をパチパチしたが、何も言わない。

(やっぱり突然すぎたか)と反省し、アーサーは「考えてみてください」とだけ言って返事を待たずに背を向けた。十キロの帰り道、何度か(早まったか? 恋人と別れた直後に無神経だった?)と思ったが、クヨクヨするのは性に合わない。


「言葉に出してしまったんだ。今更だ」


 なんとなくそのまま自分の部屋に戻る気になれず、そのまま街をぶらつく。酒場に入り、安くて強い庶民の酒を飲んでいると、話しかけてきた若い男がいた。


「あれ? お兄さん、串焼きのお客さんですよね?」

「ああ、君は串焼き屋の」

「はい。週に四回も串焼きを買ってくれるお得意様だから覚えています」

「俺、週に四回も串焼きを食ってたか」

「はい。あれ?覚えてないんですか」

「全く覚えていなかった。そりゃちょっと考え直さないとだなあ」

「そんな。毎日でも串焼きを買ってくださいよ」


 そこで女性の声が割って入った。


「ちょっといいかしら? ひとりで寂しく飲んでる私もおしゃべりの仲間に入れてくれない?」


 会話に割り込んで来た女性はウィリアムの妹カレンだ。アーサーは台所から見ていたから顔を知っているが、カレンのほうはアーサーを知らない。アーサーを妖艶な眼差しで見つめながら話しかけてくる。


「こんな田舎にもあなたみたいに素敵な男性がいるのね。ご馳走するわ。何でも好きなものを飲んで」


 おごりと聞いて串焼き店の若者が嬉しそうな顔になった。


「お嬢さん、僕もいいですか?」

「ええ、いいわよ。私はカレン」

「僕はロイです」

「……」

「あなたは? 名前も教えてくれないの?」

「次に会った時にでも。俺はもう帰るんで」


 アーサーは口を尖らせて見送るカレンの視線に背を向けた。

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書籍『スープの森1・2巻』
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