13 兄妹の来店とアスパラガスの冷たいスープ
朝の九時にロブが吠えた。外を見ると、アーサーが下処理済みの丸鶏を二羽ぶら下げて外で立っている。
「アーサーさん、おはようございます! 早くにどうしました? その鶏は?」
「あー、えーと、俺、薬草採取で世話になったのにお礼をしてなかったから。せめてこのくらいはと思って。俺、今日は休みなんです」
「薬草のことなら気にしなくていいのに。でも鶏肉は嬉しいです」
そのまま台所に招き入れて二人で鶏をさばいた。部位ごとに切り分けた後、アーサーは台所の隅でオリビアの調理を眺める。
十時になった頃、馬車が店の前に訪れた。開店前にその日一番の客としてやって来たのはウィリアム兄妹だ。
アーサーはなんとなく顔を出しそびれ、そのまま台所に引っ込んでいることにした。
「いらっしゃいませウィリアム様。お加減はいかがですか」
「杖を使えば動けるよ。どうやら筋を少し切ったようだが、医者が言うには時間が過ぎるのを待つしかないらしい」
「お大事になさってくださいね」
「ありがとう。今日は妹を連れてきたんだ」
そう言ってウィリアムは隣の席に座っている妹を紹介した。
「妹のカレンだ。最近離婚したばっかりでね。ここのスープを飲めば元気になるぞと言って連れて来たんだよ」
「兄さん、初めましての人にいちいち私の離婚まで紹介しなくてもいいわよ。ごめんなさいね。兄ってこういう無神経な人なの。だからいつまでたっても結婚できないのよ」
オリビアは困り顔で笑った。
ウィリアムも相当開けっ広げな心の持ち主だが、カレンも相当に心を開いている人だ。見るからに大金持ちの女性だが、心の中と言葉が全く同じでオリビアは安心できた。
「今日はアスパラガスの冷たいスープとローストポーク、薄切りパンです。パンは何枚になさいますか」
「僕は三枚で」
「私は一枚にしてくれる?」
「かしこまりました」
春も終わりかけ、アスパラガスが旬だ。味もいいし安いのでたくさん買い込んである。オリビアは茹でて裏ごししたアスパラガスを鳥の出汁とミルクで伸ばした冷たいスープを皿にたっぷりと注いだ。そして揚げた刻みパンを最後に散らした。
スープも皿も鍋も氷で冷やしてある。氷は秘密の場所から夜明け前に運んで来た。この季節にキリッと冷やしたスープはご馳走だ。
「お待たせしました」
「ありがとう、って! どうしてこんなに皿もスープも冷たいんだい?」
「兄さん、いちいちうるさいわよ。あっ! 本当ね。なんでこんなに冷たいの?」
「地下に氷室があるんです」
「へえ! すごいわね。王都のレストランだって氷室があるお店なんて聞いたことがないわ」
春から夏に切り替わる時期は、身体が温度の変化に追いつかずに食欲が落ちやすい。
そんな日を選んでオリビアは氷で冷やしたスープを出す。それを知っている常連さんたちは、毎年冷たいスープの日を心待ちにしてくれている。
ウィリアムとカレンの兄妹は、二人で四人分くらい賑やかだ。妹が一緒だからか、ウィリアムはオリビアの身体をチラチラ見ることもなく行儀よく過ごしている。
「いやあ、こんな田舎でこれほど洗練されたスープが飲めるとは思わなかったよ。ご馳走様、また来るよ。それで、これは食事の代金とこの前のお礼だ。お金が一番かさばらなくて便利かと思ってね。それとこれはあの男性の分。君から渡してほしい」
「えっ。いえ、私もあの人もそんなつもりではありませんので、お金は結構です。こうしてわざわざ来てくださっただけでもう十分ですから」
オリビアの手に渡されたのは二人分の大銀貨十枚。大銀貨一枚はお出かけ用のワンピースが一着買える金額だ。一枚ならともかく十枚という数に驚いて固まる。
「あら、いいいのよオリビアさん。気にしないで受け取って。そうしないともっとうるさい父がやって来て、もっとたくさんのお金を押し付けようとするわよ? うち、成金だから。なんでもお金で片付けようとするの。下品でしょう? ふふふ。兄と父の心の平穏のために、受け取ってもらえると助かるわ」
「はぁ。ではありがたくいただきます」
「ありがとう。これで私も気軽にここに来られるわ。あなたのスープ、とても気に入ったの」
「ありがとうございます。またどうぞ」
ドアベルの音をカランカランと鳴らして兄妹は去って行った。
「ふぅぅ」
「オリビアさんお疲れ様。なんだかすごかったね」
アーサーが台所から苦笑しながら出てきた。
「二人ともよく似てたなぁ」
「ウィリアムさんと妹さん?」
「うん。二人とも押しが強かった」
「まあそうですけど。でも、妹さんはさっぱりしていていい方みたいですよ。また来てくれたら嬉しいかも」
「そうか。君がそう思うならよかった」
「そうだ! 鶏の胸肉だけは干し肉にしようと思うの。アーサーさんも手伝ってくれますか? あっ、はい、これ、お金。大銀貨」
「思わぬ収入だな。ありがたく受け取るよ。で、干し肉、ぜひ作り方を知りたいんだけど」
「簡単ですから。見ていてください」
オリビアはそぎ切りした胸肉に強めに塩を振り、庭のローズマリーとタイムを細かく刻んだものをたっぷりまぶした。
「ローズマリーとタイムか。わりとどこにでも生えてる香草だね。これで干すの?」
「いいえ。このまま味が染み込むまでひと晩置くんです。それから低温で焼いてから干すの」
「干し肉って結構手間がかかるんだね」
「手間はかかるけどやることは簡単で美味しいですよ。お客さんに美味しいって喜ばれるのも嬉しいし」
オリビアはこんなに近くに人がいてもくつろいでいられる自分に驚いていた。
(なんでアーサーさんだと緊張しないんだろう)と不思議に思う。
「あの、立ち入ったことを聞くようだけど、この店に氷室があるの?」
振り返ったオリビアの顔がいたずら小僧みたいだった。
手早くざるに味付けをした胸肉のそぎ切りを並べ、その上から同じサイズのざるをかぶせた。ざるは全部で四組。アーサーの質問への答えはない。
「アーサーさん、これを二階に干すの、手伝ってもらえますか」
「ああ、もちろん」
オリビアは二階の廊下の窓を全部開け放ち、天井に打ち込んである四つのフックに手早く紐を引っ掛けた。その紐に木の枝をそれぞれ通す。
「二本の棒の上にザルを載せてくれますか」
「こう? ザルは落ちない?」
「よほど強い風が吹かない限り落ちません。お昼のお客さんが途切れたら、我が家の氷室にご案内しますわ」
わざと気取った言い方をするオリビアを、アーサーは笑いを堪えて眺める。そして(あれ? 少し元気過ぎないか?)と思う。
過去三回会った時のオリビアは、もっと落ち着いた雰囲気だった。今日の彼女は妙にはしゃいでいて、少し無理をしているような気がした。
「スープの森の氷室、見せてもらえるんだね。楽しみに待つよ」
「じゃあ、本でも読んで待っていてくださいな。きっと驚きます」





