12 マスと野菜のチャウダー
アーサーはフレディ薬草店で重宝されていた。
今日は客がいないときに古くてガタつくテーブルの脚を微調整し、高い場所のホコリを全て払い、古いドアのキーキー音を消すべく蝶番に油をさした。
「アーサー、君は実に有能な店員だねぇ」
「ありがとうございます。身体を動かすことが好きなんで」
「よく気がつく。傭兵さんというのは、もっとこう、大雑把というか細かいことは気にしない人たちなのかと思っていたよ」
「人によりますね」
「それはそうか。おっと、昼飯時をすっかり過ぎてしまった。食べに行っておいで。私はお弁当だ」
「はい、では行ってきます」
「ゆっくりしていいからね」
「ありがとうございます」
アーサーは薬草店を出て、繁華街へと向かう。
「何にするかな」
傭兵時代は食べる物がなくなれば、それこそ蛇もカエルも昆虫も、何でも食べた。好き嫌いを言っているようでは戦闘で敵を倒す前に自分が弱る。
「お兄さん、串焼きいかがっすか。柔らかい豚の串焼きですよ。一本大銅貨二枚っすよ!」
「ああ、二本貰おうか」
「まいどありっ!」
脂がジュウジュウ音を立てている串焼きを渡された。脂身が多い豚の角切り肉が串に四切れ刺してある。歩きながら口に入れると、労働者向けらしく塩がきつい。
「これは喉が渇くな」
周囲を見回して果実水の屋台に近寄ると、売り場の女の子が「いらっしゃいませ!」と笑顔を向けてきた。
「果実水を一杯」
「はい! 大銅貨一枚と小銅貨五枚です!」
代金を支払い、あちこちに置いてあるベンチに座る。昼食時を過ぎているからか、ベンチは空いていた。串焼きにかぶりつき、果実水を飲む。丁寧に噛んで食べると豚肉の旨味が口の中に広がる。
(豚ほほ肉の辛いスープ、旨かったな)
スープを思い出すのと同時にオリビアの顔が浮かぶ。不用心で、動物と会話できてお人よしのオリビア。そんなアーサーの前を横切って、母娘連れが隣のベンチに座った。手には果実水。見るからに裕福そうで(別荘の人か?)と思いながら串焼きの肉を噛む。
「お母様、あのお店にまた行きたいわ」
「さっき行ったのに。もう?」
「あんなに美味しいマスのチャウダー、初めて食べたんだもの。魚臭さが全然なくて、マスが美味しかった。日替わりなら、明日はまた違うスープなんでしょう?」
「そうね。エレンが魚をあんなに美味しそうに食べるのは珍しいと思って見ていたわ」
「あのお店に通って、スープをメモしておきたいわ。結婚した時に役に立ちそうじゃない?」
「まだ恋人もいないのに?」
「もう、お母様ったら。いつかよ。いつか。私、毎日でも通いたいわ、スープの森」
(やっぱりあの店の話か。マスのチャウダー? あー、すごく旨そうだな。マスをどう使ってるのかな。チャウダーってことはミルクを使うんだろうか)
アーサーは無性に『スープの森』に行きたくなった。塩辛く脂っこい豚肉の串焼きを食べながらオリビアのスープを思い出す。
(あの店はいつが定休日なんだろう。あそこまで歩いて行って休みだったら悲しすぎる。今度聞いてみよう。いや、フレディさんなら知ってるか)
残っている肉を一気に口に入れて果実水で飲み込み、アーサーは店に戻った。
「なんだ、もう帰って来たのかい? もっとゆっくりしてきてもよかったのに」
「フレディさん、スープの森って店、ご存じですか」
「ああ、オリビアの店だろう? 美味しいよね」
「定休日ってあるんですか?」
「確か、休息日が定休日だよ。アーサーはあの店を知っているのかい?」
「はい。この前ウィリアムさんを助けた時、その店に運び込んだんです」
「へえ、そうだったのか。あの子はあまり人と関わりたがらないけど、真面目でいい子だよ。何より料理が上手だ。それとね、薬草に詳しい。うちにも買いに来るし、たまに薬草を納めてくれるんだ」
「そういえばそんなことを言ってました。この辺にない薬草を買いに行くって」
フレディは意外に思った。
(オリビアは愛想は悪くないが、最低限のことしか喋らない。あの子がそんな世間話をしたのか)
「あの子はね、ちょっとわけありなんだ。五歳のときに生家から逃げてきたらしい」
「逃げた、ですか? それも五歳で?」
「うん。ジェンキンズがあの子を森で保護したとき、泣きながら『家に帰りたくない、この家に置いてくれ』って、それだけをひたすら繰り返していたそうだよ。上等なドレスを着て、全身傷だらけで山の中を逃げてきたらしい。一人で森の夜を過ごしたらしいよ。よほどのことがあったんだろうって、ジェンキンズが涙ながらに語ってた。あ、ジェンキンズってのはオリビアを保護して育てた前のオーナーだよ」
どう見ても大切に育てられた感じのオリビアの過去に、アーサーは心底驚いた。
五歳の子供が森で一晩過ごすことがどれだけ異常なことか、アーサーにはわかる。真っ暗で何も見えない森はいろんな動物の声が聞こえて、大人でも恐ろしい場所だ。
街育ちの新人の傭兵なら、パキッと小枝が折れる音が聞こえただけで怯える。熊が出るか狼が出るかわかったものではないからだ。周囲に屈強な傭兵仲間がいても恐ろしく思うのが普通だ。
「たった一人で、しかも五歳って」
「ジェンキンズ夫妻は大切にあの子を育てたけどね。数年前に夫婦そろって神の庭に行ってしまった。オリビアはまた一人になったんだ。家族に縁が薄い子ってのは、どこまで行っても縁が薄いままなのかね」
「それで一人暮らしなんですね」
「うちは週の中日が休みだ。気が向いたら行ってやっておくれ」
「はい」
(そうだな。休みの日はあの店に行こう。いや、休みの前の日の夜も行ってもいいか。いや、そんなに通ったら気持ち悪がられるのか?)
薬草店の仕事を終え、身体をさっぱりと拭き清めた夜。ベッドに仰向けに横たわってアーサーは考え込んでいた。
店主のフレディはオリビアと動物の話をしなかった。もし、彼女が動物と会話できることを知っていたら、保護された時の話や料理の話をする前に、一番にその話題を出しただろう。
「つまり、あの不思議な能力のことは知られていないのか。なら、オリビアはなぜ俺の前で蛇に話しかけたりしたんだ?」
狼の子供のときは自分がこっそり追跡したから別にしても、蛇のときはどうにでもできたはずだ。会話ができないふりもできただろうし、自分を小屋から追い出してから蛇と話をすることもできたはず。
「オリビアに信用されてる、のか? いや、いやいや、それは自分に都合良く考えすぎだ」
ウィリアムを迎えに行ったときに、心に突然オリビアの声が聞こえたような気がしたことを思い出した。そんなわけはないのに、彼女が自分を見て「戻ってきてくれて助かったわ」と言ったような錯覚を覚えた。
アーサーはガバリとベッドの上に起き上がった。
「いくら戦場から遠ざかったとはいえ、浮かれてるんじゃないのか俺。あの店にこの先も通いたかったら、彼女に嫌がられるような態度は取るべきじゃない」
※・・・※・・・※
アーサーが自分を戒めている頃、別荘地のヒューズ家ではウィリアムと父親がオリビアとアーサーに渡すお礼のことを話し合っていた。
「父さん、あの店の人と連絡してくれた男性に、お礼をしようと思うんだけど」
「うん? 大銀貨を何枚か渡せばいいんじゃないか?」
「それなら僕が持って行きますよ。杖をついて馬車を使えばいいんだし」
「お前が行くかい? ではちょうどいい、カレンを連れて行きなさい。すっかり別荘暮らしに退屈しているようだ」
「はぁ。カレンをですか」
「そう嫌そうな顔をするな。カレンは離婚したばかりで可哀想なんだから」
「可哀想ですかねぇ。そうは思えないけど、わかりました。じゃ、カレンも誘って行ってみます」