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袴をはいた魔女とビードロを吹く青年

作者: はーこ

 ぱらん、ぱらん。

 真っ赤な和傘に、水のつぶがぶつかって、はじけます。

 

「さわるなよッ!!」


 雨のふりしきる、ある夜のことです。

 ひとけのない路地裏で、魔女は、男の子をひろいました。


「ぼくはどこにもいかない! だれも、しんじたりなんか……っ!」


 男の子はがむしゃらになって叫び、あばれています。

 からだがぬれてご機嫌ななめな、子猫のようです。


 ざぁざぁと泣きやまない、真っ黒な空のもと。

 魔女は()()()()()わらいます。


「さぁて。この子、どうしてやろうかしら」


 くるりと和傘がまわって、蛇の目がうずを巻きます。

 極悪非道なおこないが、幕をあげようとしていました。



 ……なんて魔女が余裕でいられたのも、はじめの数日だけ。


「おはよう、魔女さん。ごはんできてるよ」

「今日はどこへ行くんだっけ? 僕もついてっていいでしょ?」

「魔女さんってば、きいてる? ねぇ」

「ねぇねぇ、ねーえ」


 ──しくじったわ。


 人間がこんなにはやく成長するだなんて。すっかりサッパリわすれていました。

 青年となった男の子が、猫のようにしなやかなからだを近づけてきます。


「だめだよ、魔女さん」

「僕をひろったのは、あなたなんだから」

「最後までちゃんとお世話して……ね?」


 頬ずりをするさまは、甘える黒猫のよう。


 ──しくじった……やらかしたわ。


 もう何度目かもわからないため息をついて、魔女は頭をかかえます。


 彼女が、ひとつだけ失敗をしたとするなら。 

 それは、この日本国へやってきたことでしょう。



  *  *  *



 コツコツと、ブーツの足音にあわせて、手毬の袴がひらめきます。

 そんな、燃えるような夕暮れのことでした。


 ポッ、ペン。ポッ、ペン。


 魔女がやってきたのは、『官立東京高等男学校』です。

 多くの学生が行き交うなか、正門にもたれ、奇怪な音をひびかせる男子学生に目をひかれます。

 詰め襟のシャツに袴、学帽をかぶった繊細な顔だち。

 その手には、ちいさなフラスコのような薄い青色の硝子細工がにぎられています。ビードロという舶来はくらいの民芸品です。


 ポッ、ペン。ポッ、ペン。


 ビードロに息を吹き込み、ヘンテコな音を真顔で鳴らし続ける男子学生の様子は、異様なものでした。もはや呪いのたぐいです。

 これは、彼が不機嫌なときに決まってする行動です。


 魔女はため息をついて、コツリとブーツの底を打ち鳴らしました。


「……魔女さん!」


 地面だか虚空だかを見つめていた男子学生は、一変。

 視界にうつり込んだ手毬袴すがたの女性を、たちまちに世界の中心にして、風のように駆けてくるのでした。

 ()()()のおむかえは、毎日ひと苦労です。



 魔女が住んでいるのは、東京府、浅草。

 同居人である黒髪に黒い瞳の彼は、名前をいちといいます。

「魔女さんのいちばんでいたいから」という、本人の希望によるものです。

 彼はほんとうの名前を、あの雨の夜においてきてしまいました。


「かつて異国では、『魔女狩り』という、おそろしい運動がありました」

「命からがら逃げてきた魔女たちは、海をこえ、遠い島国へやってきます。当時のもとは、江戸幕府のおさめる時代でした」

「そのとき、男ばかりが死んでしまう謎のはやり病に、民草は苦しめられていました」

「ですが、そんな彼らに魔女たちは手をさしのべ、苦しむひとびとを救います」

「そしてわが国は、黒髪に蒼い瞳をもつ彼女らをあがめ、男子社会から女子社会へと変わっていったのです──そうでしょ?」


 おとぎ話でもきかせるように語っていた壱が、最後にいたずらっぽい笑みを浮かべます。


「魔女さんをいちばん理解してるのは、僕だからね」


 壱は胸をはります。

 だけれども、魔女が壱の名前を呼ぶことはありません。

 魔女は、言葉をしゃべることができないからです。

 言葉が通じないのではなく、そもそも、声を出せないのです。

 正しくは、出せなくなりました。


 そのことを、壱は知りません。

 魔女が口をきいてくれないのは、意地をはっているからだと思いこんでいます。

 だから魔女に名前を呼んでもらうため、ふり向いてもらうために、きょうもはりきっているのです。


「夕ごはんはなんにしようか」

「魔女さんの好きなライスカレーにする?」


 出会いから十年。壱は、賢くて器用な十八歳の美青年へと成長したのでした。

 ふたり影を並べて帰る夕暮れは、いつも壱の声だけがひびいています。



  *  *  *



 三百年も生きていると、さすがに疲れてしまいます。

 あー、しんどいなぁとぼんやり思っていた雨の日、壱と出会いました。


 ──しめた、と魔女はほくそ笑みました。


 いたいけなこどもを無理やり誘拐したなら、警官が家に押しかけてきて、逮捕してくれるにちがいないからです。

 もしかしたら、死刑になるかもしれない!


 そう考えた魔女は、路地裏にいたうす汚い男の子を、無理やり連れて帰りました。

 ただ、全身に痣をつくって、おなかもひどく空かせていたようなので、その夜だけは特別に、風呂に入れてやって、傷の手当をして、おかゆを食べさせて、寝台ベッドに寝かしつけてやりました。


 結論からいいますと、翌日も、その翌日も、警官がたずねてくることはありませんでした。

 どうやら男の子は孤児で、夜間営業のお茶屋さんに売られていたようです。そこから、逃げ出してきたのだとか。

 もし戻れば、口にするのもはばかられる『あんなことやこんなこと』を、強要されることになります。


「いやだよ! ぼく、かえりたくない!」


 なので、男の子は断固として魔女にしがみつき、はなれようとしませんでした。


「あなたがひろったんですから、あなたが世話をなさい」


 とほうに暮れて日本魔女協会に駆け込みましたが、そのひと言でバッサリ切られてしまいました。正論です。

 というわけで、悪事をもくろんだ魔女と少年、壱の奇妙な生活は、はじまりました。


 ──ていうか、いつの間になついたのよ!


 壱が子猫のごとく甘えてくるわけを、魔女は激しく理解できません。

 頭はよかったのですが、肝心なところで抜けている、ぽんこつなのでした。


「どうせならいっそ、ほんとうに黒猫になる魔法をかけてよ」

「そうしたら、あなたのそばにずっといて、はなれないのに」


 壱も壱でした。

 彼は学校の成績でもいちばんを取るほど頭がよかったのですが、魔女のことになると、とたんにまわりが見えなくなってしまうのです。

 夜毎寝床に壱が忍び込んでも、魔女は軽くなだめるだけで、すぐに寝てしまいます。

 何百年も生きる魔女にとって、壱は赤ん坊のような存在なのでした。


「ねぇ、魔女さん」

「いつになったら、僕のこと見てくれるの?」

「あなたは名前を教えてくれないし、呼んでもくれない」

「それなのに、どうして僕を助けてくれたの?」

「愛情を注ぐだけ注いで、受け取ってはくれないの?」

「……ひどいよ」

「僕ばっかり、こんな気持ちで……ずるいよ」


 夜に消え入る壱のこころを、魔女は知りません。

 そして壱も、魔女のこころがわかりませんでした。



  *  *  *



 この世界で魔女と呼ばれる女性たちには、共通点があります。


 黒髪に蒼い瞳をもち、美しいこと。

 何百年もの年月を生き、決して病にかからないこと。

 そして──じぶんでは、いのちを絶つことがかなわないこと。


 いつからか、魔女はしにたいと思うようになりました。

 おなじようなことをくり返すだけの日々を、苦痛に感じるようになったのです。

 そんなある日のこと。


「けほっ、けほっ……ごめん、魔女さん。風邪を引いたみたい」

「そんなにつらくはないから、朝食、作るね……けほっ」


 起き出してきた壱が、咳き込んでいます。

 えがおをつくろっていますが、こうした咳が、もう二週間も続いているのです。魔女も不審に思います。

 よくよく観察をして、壱を悩ませる咳の正体に気づいた魔女は、飛び上がりました。


「え、どうしたの、魔女さ──うわぁっ!?」


 台所へ向かう壱の腕をつかんで、部屋まで引きずり、寝台ベッドへほうり投げます。


「寝てろって? 朝食は? 学校は?」


 この期におよんで、まだそんなことを言うので、魔女は目を三角につり上げてにらみつけました。


「ごめんなさい……怒らないで」

「いいこにするから、嫌わないで……おねがい」


 壱の黒い瞳は潤んでいて、魔女の袖を引くさまは、おさないこどものようです。

 体調をくずして、精神的にも弱っているのです。


 魔女はひとつ息をついて、うなだれた壱の頭をそっとなでました。


「……え、魔女さん」


 おどろいた壱が顔をあげるより先に、寝台へ横になります。

 じぶんがここにいれば、壱も眠ると思ったからです。


「魔女さん……魔女さん」

「いっしょに寝てくれるの?」

「うれしい、うれしいな」

「ありがとう……魔女さん」


 壱は涙ぐんで、抱きついてきます。

 魔女は赤ん坊をあやすように、とんとん、と背中をたたいてやります。

 弱っているのだから、特別です。


「ねぇ、魔女さん、あなたは僕にとって、特別なひとだよ」


 魔女のこころを読んだわけではないでしょうけれど、そんな仕返しをした壱は、華奢な腕のなかで、しあわせそうにまぶたをおろします。

 壱が寝入ったのを見届けて、魔女はしずかに、寝台を抜け出したのでした。



  *  *  *



 魔女は医者として、生計をたてていました。

 ですから、壱をむしばむ病が結核であることを、すぐに見抜きました。

 そうなれば、じっとしているわけにはいきません。

 魔女協会へ連絡を入れたあと、鞄を引っさげて、『官立東京高等男学校』へと急ぎました。



 発症者がだれなのかを調べる時間は、ありません。

 とにかく治療が必要な男子学生を、片っ端から『治して』いきました。

 学生だけでなく教員にもおこなわれた診察が終わるころには、すっかり日が落ちていました。


「……ねぇ、魔女さん」


 ぐったりと疲労をかかえ、魔女が帰途についたときのことです。浅草の街で、見てはいけないすがたを見てしまいました。

 壱が、そこにいたのです。


「僕にはおとなしくしてろって怒ったくせに、こんなところでなにしてるの?」


 往来の人ごみを縫って、大股でやってきた壱。

 その表情も、声も、魔女も見たことがないほど冷たいものでした。


「目が覚めて、独りぼっちだった僕の気持ちがわかる?」

「あなたはいつもそうだよね。やさしくしてくれたと思ったら、僕を突きはなす」

「僕が嫌いならそう言ってよ。悪いところがあるなら、なおすから」

「ねぇ、なんでだまってるの」

「教えてよ、ねぇ……!」


 力任せに手首をつかまれて、視界がまわります。

 ぐるぐると、脳がゆさぶられるようです。


 あぁ……やっとだわ、と魔女は思いました。

 ようやく、ついに。


「──壱」


 紅を塗らなくても真っ赤な唇が、言葉をつむぎます。

 ふいに呼ばれた壱は、衝撃でかたまってしまいました。


「これで、解放される」


 熱に浮かされたように、魔女は続けます。


「わたしは、死にたかったの」


 それは、ビードロを鳴らすよりもきれいな声で。

 笑みを浮かべた魔女のからだは、糸が切れた人形のようにくずれ落ちました。


「魔女さん……? なんでっ、魔女さん、魔女さんッ!!」



  *  *  *



 魔女だというだけで、火あぶりにされそうになった恐怖は、何百年たってもおぼえています。


 ──わたしは、生きてはいけない存在なのだろうか。


 生きる意味も見いだせないまま、日本へ逃れてきた魔女は、長崎の出島に引きこもりました。

 そこなら、魔女も安心できたからです。

 男性ばかりが死にいたるはやり病を『治す』代わりに、魔女たちは保護されました。

 鎖国は、そんな彼女たちを異国から守るための政策だったともいわれています。


 時代はながれ、時は大正。

 文明開化によって様がわりする街並みのなか、蒼い瞳をした魔女が出歩いても、そう不思議がられることはなくなりました。

 けれど魔女は、母国にもどりたいとは思いませんでした。


 病を治して感謝されても、どうしたってじぶんは魔女なのです。人には、なれないのです。

 孤独な日々に、とうとう疲れ果ててしまいました。


『生きること』と『ただ息をすること』は、まったくの別物なのです。



「……ばかだよね」


 だれかの声が、くぐもってきこえます。

 ここは地獄でしょうか。

 業火にかれる寸前だというなら、どうしてこんなに、『あたたかい』のでしょうか。


「……魔女さんの、ばか」


 声がきこえます。

 聞きおぼえのあるこれは、閻魔様なんかではありません。


「僕を置いて死のうとするなんて、ほんっとうにばか!」


 壱のものです。

 黒い瞳からぽろぽろと涙をながす、青年のものです。


 ぼんやりと視界に、見慣れた自宅の景色が映り込みました。

 そこでようやく、魔女は覚醒するのです。


「起きちゃだめ、じっとしてて!」


 飛び起きたそばから、寝台へ押し倒されます。


 いったい、なにが起きているの。

 わたし、どうして。


 混乱する魔女を目にして、涙をながす壱が、口をひらきます。


「魔女さんが僕を『治した』んだよね」

「そうやって怪我や病気を『吸い取る』のが、魔女の魔法だから」

「でも、『限界』をこえたら、死んでしまう」

「魔女協会の会長さんから、きいたよ」


 壱はすべてを知ったようでした。

 あの雨の日、お茶屋を逃げ出す際に女将から受けた折檻せっかんの傷が深刻で、死にそうになっていたこと。

 その傷を『吸い取った』反動で、魔女は声が出なくなってしまったこと。

 それでも、魔女が死にきれずにいたこと。

 魔女が、死にたがっていたことを。


「魔女は、じぶんでは死ねないんだよね?」

「でも、他人に心臓を刺されたら死ねるってきいた」

「僕に、殺させようとは思わなかったの?」


 それはいけません。

 そんなことをしたら、壱が傷ついてしまいますから。


「そうだよね。魔女さんは、そういうひとなんだよ」


 どういう、ひとなのでしょうか。


「ねぇおぼえてる? 僕がここにきたばかりのこと。魔女さんに反抗ばっかりしてた」

「そうしたら、ビードロをくれたよね。ヘンテコな音で、おかしくなっちゃって」

「いつの間にか、ほっとしちゃってた」

「そうやってさ、宝物みたいにたいせつにしてたものをくれたの」

「そういう、やさしすぎるくらいやさしいあなたを、好きにならないわけがない」


 そういえば、壱は言っていました。


 ──あなたは僕にとって、特別なひとだよ、と。


「なんにも知らなくて、ごめんね」

「つらい思いをしてたのに、気づいてあげられなくて、ごめんね」

「でも、もっとごめん。僕は魔女さんを、死なせてあげられない」

「ごめんね、恨んでいいよ。それでも僕は、魔女さんが好き、大好き」

「僕を育ててくれて、いっぱい愛情をくれて、ありがとう」


 ……嗚呼。

 雨に濡れて、おびえていた子猫のような少年は、いつの間に、こんなに大きくなったのでしょう。

 立派に成長してゆくすがたを毎日見守っていたはずなのに、いまさらになって思い知るなんて。


「おねがい、魔女さん。いっしょに生きてよ。おじいちゃんになっても、そばにいたいよ」


『あなたが必要だ』と、壱は言うのです。

 それは、何百年と生きてきた魔女が、欲してやまない言葉でした。


 魔女だから。

 親に捨てられたから。


 不幸に生まれたから、不幸なんでしょうか?

 いいえ。


「これからふたりで、幸せをつくっていこうよ」


 未来は、つむいでゆけるのです。

 ほかのだれでもない、じぶんたちの手で。


 それに気づいてしまったから、ほら。

 死にたいなんて、言えなくなってしまったではないですか。


「魔女さん、大好き」


 まばゆいえがおで、とどめのひと言でした。



  *  *  *



 桜の季節になりました。

 学校の卒業祝いに、この日は浅草のミルクホールにやってきていました。

 この店の看板メニュー、珈琲風味のカステラに羊羹とクリームをはさんだシベリアは、壱の大好物です。


「なんで魔女さんが死ななかったかって?」

「さぁ、僕にもわからないなぁ」


 三角形のスイーツを口に運びながら、壱は首をかしげ、それからにっこり。


「愛の力ってやつかもね」


 珈琲を飲む手を止めて、それはなに? と魔女は訊き返します。


「魔女さんにも、わからないことがあるんだね」


 壱は知っているというのでしょうか。

 心外です、この子よりもずっと長生きなのに。

 むっと尖らせた唇を、魔女がひらいたときでした。

 珈琲味のスポンジが、口のなかに押し込まれます。


 びっくりしつつも、おとなしくシベリアを食べる魔女を、壱は頬杖をついて見つめながら、


「それはね、クリームよりも甘いものだよ」


 と、蕩けるようにわらったのでした。

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