Prologue②
「ああ……綺麗だな」
俺は、ぼんやりとその星を眺める。
こんな風になるなんて、思ってもなかった。
あの時、ああしてたら……なんてね。
後悔は、してないよ。
______あの頃から、運命は変わっていった。
【1年前・ロサンゼルス】
「いやー凄いステージだったね!……まだドキドキしてるよ」
俺達は、ライヴの出演が終わって控え室に戻った。
その白い部屋は殺風景だ。テーブル、椅子、ゴミ箱、シャンデリアに至るまで白に統一されたインテリア達……壁一面に貼られた鏡が、その白をさらに反射して映し出す。鏡の中の白い世界には、2人の男の姿だけ浮かんでいる。冷房の音だけが、静寂の中でボゥーと響く。
ほんの少し前まで強烈なライトで照らされ、体全体を包み込む程の観客達の大声援を受けていた。この白一色の、静けさに包まれた空間に戻ると、喧噪と閑静のコントラストが際立って、感覚が追いつかない。体の芯にあの歓声がこびりついたまま、消えないでいる。まだ耳の周りで木霊している感覚だ。
俺は背凭れの長い椅子に深く座り、体重を背中に預けた。プラスチック製の背凭れが冷たい。濡れたシャツ越しに伝わる冷感が、自分が放つ熱の高さを教えてくれる。
汗をかいた瓶に入ったビールを、喉に思い切り流し込む。この一口が、最高だ。1万人を超えるキャパシティの会場で演奏した後の高揚感が、喉を通る炭酸の刺激と共に胃に流されていく。
「ふぅ~初めて飲んだけど、ミケロブも悪くないよね」
「あぁ、まったり飲むときはいいよな」
癖毛の金髪の男が、額に垂れた髪をうっとおしそうにかき上げながら、俺の方に顔を向けた。そして彼は俺の持つ瓶を指差して、同意するように首を縦に振って頷いた。
先月から、サポートでドラムを叩いてもらっているトーリスだ。彼は達成感に満ち溢れた表情をしている。今日のライヴの出来が最高だったのは、いちいち言葉で表現しなくても顔を見合わせれば分かる。
「いやー体に染み込むなぁ。アメリカ産のビールの良さが、最近分かってきたよ!」
俺はミケロブの瓶を傾けて、二口目を飲み込む。食道から胃に流れていく冷感が、この火照った体を冷ますには丁度いい。俺もさっきから、話し声が上ずってしまっている。腹に残る興奮の残渣が抑えきれていない。
これまでに体験した事のない規模のステージに立ったばかりだ。無理もない。
「だろ? アメリカ産が世界一だってずっと言ってたろ。やっと分かってくれたか! お前、日本では何飲んでたんだ?」
「んー? アサヒのスーパードライってやつかな。それをキンキンに冷やして飲むのがいいね」
「ああ! 前一度、日本料理屋に行った時飲んだヤツだろ? 結構軽くて飲みやすかった記憶があるぜ」
トーリスにも、アサヒビールを日本料理の店で一度勧めたことがあった。流石にアメリカじゃ、あの凍ったジョッキでは出てこなかったけど、彼も気に入ってくれた。
俺は……とある有名アーティストのライヴツアーに、前座として招待された。渡米してからもう2ヶ月が経った。最初の2週間はアメリカに馴染めず、流されるままだった。
ツアーに備えて、渡米後すぐに現地のサポートミュージシャンの候補達と、ライヴ用に楽曲のアレンジを始めた。だけど、違和感があっても具体的に理解してもらえなくて苦しんだ。
英語を喋るのは、小さい頃から英会話スクールに通わされていたから、そこまで苦労はしなかった。でも、アメリカ人は体も大きいし、主張もしっかりしてくる。自分の意思をしっかり相手に伝えないと、意図と違う形で話が進んでしまう。
日本にいる時は、音楽は独りで気儘にやってきた。ただでさえ、バンドメンバーと呼吸を合わせるのも不慣れなのに、文化や考え方も違う場所ときている。俺は1人で苦しんでいた。
「よう! 最近、お前ここによく出入りしてるよな。さっきからお前、溜息ばっかりついてるぞ。暗い顔してても、良い音は鳴らないだろ?」
渡米して3週目に入った頃だ。セッションが上手くいかなくて、落ち込んでいた俺を見兼ねてか、中肉中背の男が話しかけてきた。
金髪の癖毛を掻きむしりながら、愛嬌のある笑顔を向けてきた男……それがトーリスだった。当時、彼は別のバンドのサポートドラマーとして、同じスタジオに出入りしていた。互いに顔は見知った程度の仲だった。
「ああ、確かドラ厶やってる人だよね? 楽曲のアレンジのイメージが上手く纏まらなくてさ。ライヴまで時間が迫ってるし、弱ってるとこだよ」
「ふーん、そうなのか?……………お前のサウンド先週から聞いてたけど、良いじゃねぇか。才能を感じるよ。な、俺と演ってみないか? まずは、楽しんでプレイしてみろ。リズムは俺に任せとけよ。お前に合わせてやるからさ」
「楽しむか……。それもそうだよね。じゃあ、お願いしようかな?」
その後、トーリスに促されるまま……スタジオでセッションを楽しんだ。“この人となら、良い音楽を鳴らせる”って、最初音を合わせた瞬間分かった。
彼は1歳年上の23歳。子供の頃からスタジオで遊びがてら、色んなミュージシャンと演奏してきたらしい。俺と同年代なのに、豊かな経験を持っていて音楽的な感覚が鋭い。俺が何か違和感を感じてるのを、すぐ感じ取ってくれる。
トーリスと一緒に演奏するようになってから、明確に自分のイメージも固まってきた。ツアーに間に合わせるために、互いにアレンジのアイディアを出し合いながら、毎日セッションを繰り返した。そして、2人で練り上げた楽曲は最高の出来になった。
ライヴ初日を乗り越えた今、彼は言わば戦友だ。
「色々ありがと。今日無事迎えられたの、トーリスのおかげだよ」
「ん? 何だよ、急に。俺も今日は最高の気分さ。……とりあえず、ツアー初日お疲れさん」
眼の前でソファーに横になって寛ぐトーリスに声を掛けると、彼は上体を起こした。彼は照れくさそうに愛嬌のある笑顔を俺に向けると、飲み干したグラスに琥珀色の酒を注いだ。
______俺はシンガーソングライターのコウ。22歳。
子供の頃から音楽が大好きだった。父さんが洋楽が好きで、よくイギリスの音楽を聴いていた。その影響で、小学生の頃から家にあったギターをかき鳴らして遊ぶようになった。
いつからか……誰かを愛しいと思うときや、何かに感動したとき、頭の中でメロディが浮かぶようになった。そしてメロディに合うコードを探して鳴らしてみる。そうやって遊んでいる内に、自然とオリジナルの楽曲を制作するようになった。
その中の一つ、"Hold you"という楽曲が自分の運命を大きく変えた。
最初は、動画共有サイトに楽曲をアップしてみたのがきっかけだった。
驚くことに、"Hold you" は2か月後に1万回を超えて再生されていた。そして半年後には再生回数が1000万回を超える事態となった。アメリカの有名なシンガー・エヴァンが、たまたま俺の曲を聴いて気に入ったらしく、彼のSNSで紹介された事で、一気にアメリカで火がついた。
すぐに数社のレコード会社から問い合わせがきた。俺は、歴史的なミュージシャンを排出してきた大手のレコード会社、REVレコードと契約することにした。エヴァンも同じレコード会社と契約している。彼が、俺の事を会社にプッシュしてくれてたみたいだ。
デビュー決定後は、レコード会社のプロモーションの一貫で、アメリカ人向けに英語で情報発信を始めた。すると次第に、全米で認知が広まっていった。
デビュー曲 "Hold You" はじわじわ順位を上げていき、なんと米ビルボードシングルチャートを数ヶ月かけて3位まで登り詰めた。
ブレイクのきっかけを作ってくれたエヴァンからも声が掛かり、彼のライヴツアーのサポートアクトに抜擢された。スーパースターであるエヴァンのライヴの前座だ。全てのステージが1万人以上入る規模のビッグなライヴが続く。
そして今、西海岸から始まるアメリカツアーの初日を迎え、前座のステージを終えたところだ。人で埋め尽くされたステージの余韻のせいで、まだ胸が高鳴っている。
「なんか、初日だけど出し尽くした感じがするよ。こんな規模のステージに立ったなんて、まだ現実じゃないみたいだ」
「あぁ、俺もここまででかいステージは初めてで興奮したよ。ま、俺もコウに会えてラッキーだったぜ。お前を初めて見掛けた時は、大人しいアジア人だなとしか思ってなかった。それが……まさか、エヴァンお気に入りのアーティストだったとはな」
「あはは。……エヴァンと知り合いなの、トーリス最初冗談だと思ってたでしょ? エヴァンを紹介した時、凄いビビってたよね。こんな感じでさ」
「このやろ。そりゃあ、そうだろ。エヴァンはスーパースターだぞ。普通はお知り合いになれる人間じゃないんだからな」
俺はからかうように、エヴァンを目の前にして固まったトーリスの真似をした。あの時ドアノブを持ったまま、口をあんぐり開けていた彼の姿が可笑しかった。俺が思い出し笑いすると、トーリスもつられ笑いしながら、俺の肩に軽くパンチした。
その時、観客席の方から「わぁぁぁぁ!」という大歓声が聞こえてきた。足元から痺れるような振動を感じる。
「おぉ! ……すごい歓声だね」
俺は驚いて、声援の方を振り返った。その音は建物に反響しながら、俺達のいる部屋まで伝わってくる。体全体を響かせるその観客達の大声援は、彼らの前のステージに立つ主役の姿を想像させた。
「スーパースター・エヴァンの登場だな」
「こりゃ凄いね。前座の俺達の時も観客のエネルギー凄く感じたけど、やっぱ主役がステージに立つと全然違うね」
「まぁ、エヴァンは別格さ。俺もドラマーとして、色んなアーティストと組んできたけど、彼がスイッチ入ったときのオーラは凄い。流石超一流だよ」
「そうそう。初めて目の前でエヴァンの生歌を聞いたときは、俺も体が痺れたよ」
俺達は、その圧倒的な歓声を味わいながら興奮気味に言葉を交わす。
「な! それより、早くステージの袖に行こうぜ。本物を体感しないとな!」
「だよね!」
トーリスは飲み掛けのグラスを置いて立ち上がると、急かすように俺を手招きした。俺も立ち上がると、顔の汗を拭ったタオルを椅子の背凭れに投げた。そして、期待に胸を膨らませながら、エヴァンが立つステージへと足早に向かった。
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