第1部 第4話
「もったいない」
「・・・」
「新幹線代がもったいない」
実家の近くの病院へ駆けつけた時の母さんの第一声。
大学も部活もバイトもキャンセルして飛んできたのにこれかよ。
サナの母親の山尾佳奈から「蓮のお母さんが倒れた!」と電話があった時は
正直青くなった。
が。
駆けつけてみるとなんてことは無い。
いつも通り元気そうにニコニコした母さんがいた。
ただし、実家の中ではなく病院のベッドの上に。
元気そうでも病院のベッドの上だと、たださえでも小さな母さんは益々小さく見えた。
「食あたりですね」
昔からよく知っている医者の本田先生の言葉にも怒りすら覚える・・・。
でも、医者のクセにメタボって言葉を知らないのかとも思えるその体格と、
人のよさそうな笑顔を見ていると思わず肩から力が抜ける。
「冗談じゃないぜ、全く」
ぶつくさ言いながら、本田先生に促されて向かいの診察室へ入る。
「癌ですね」
ガーン。
思わず数十年前のくだらないギャグが頭を駆け巡ったことを許して欲しい。
それくらい、俺の同様は半端じゃなかった。
「ガン!?」
さっき「食あたりですね」と言った時と同じくらい軽い調子で「癌ですね」と言う
本田先生に食って掛かる。
「そうです。癌です」
「・・・」
「いや、今回倒れられたのは、本当にただの食あたりです。ただ、胃の検査をしたら小さな癌が見つかったんですよ」
小さな癌・・・それって・・・
「胃癌であることに間違いはないですが、かなり初期ですからね。大丈夫、治りますよ」
ケン○ッキーのあのおじいさんを彷彿とさせる口ひげを触りながら本田先生が相変わらずの笑顔で説明する。
なんだ、治るんだ。
「・・・手術をすれば」
「手術?」
そこで初めて本田先生が言いよどんだ。
本田先生は俺が小さいころからこの病院に勤めていて、うちの経済状況もよく知っている。
だから金がかかるであろう「手術」のことは言いにくいのだ。
帰りの新幹線の中、俺は一人本田先生言葉を思い出す。
本田先生は素人の俺に丁寧に、
手術内容・手術費用・入院準備・入院期間などを説明してくれた。
でもその全てがあまりにも遠い世界のことのようで頭で理解できても、
具体的に自分が何をすればいいのか全く分からなかった。
「ま、日本人だったら癌くらいかかるわ。大丈夫だから」
と笑顔でいう母さんを残し、俺は東京へ戻った。
一体全体、何がどう大丈夫なんだ。
今は初期だけど、放っておいたら進行して死ぬんだぞ。
わかってんのか。
昔から母さんにはどうにも抜けているところがある。
天然ボケと言ってしまえばそれまでだが、
なんというか、天然ボケと言うよりは、恐ろしく度胸が据わっているというか・・・
いくらなんでも母さんだって「癌」がどいう病気か知っているだろう。
そして、その手術代が今の俺達にはとても払えない事だって分かっているはず。
それなのに、なんであんなに落ち着いていられるんだ。
俺と一緒であまりにも現実味が無さ過ぎて、ヘラヘラしてられるだけなのか。
東京駅の改札を出たところで、心配そうに駆け寄ってきたサナを見た時、
俺も思わず、
「大丈夫、大丈夫。ただの癌だった」
と笑顔で応えたのだった。