002 戦端(Ⅰ)
ウィルは言葉を失いながら、目の前に立つ青年を見上げる。
一八〇センチ以上はありそうな長身。
その身長差はおよそ三〇センチほどで、ウィルは見上げる首が少しだけ痛く感じた。
痛く感じたが、首を下げようとは思わなかった。
いや、下げられなかった。
そのくらい──同性のウィルが思わず見とれてしまうくらい──青年は、端正な顔立ちをしていた。
若々しく、眉目秀麗でいて、どこか色っぽさを兼ね備える顔。短すぎず長すぎないブロンドヘアが、彩りすら与えている。
そんな青年の顔を見つめ続けること二、三秒──、
ようやくウィルは、我に返る。
思わず気まずくなって、視線を下げた。
すると、次に目に入ってきたのは贅沢そうなコートだった。その高級感を青年の気品として感じ取ったウィルは、思わず眩しさを感じた。
太陽の光から目を逸らすようにグングン視界を下げていくと、今度は青年の腰へと行き着く。
そこには、先刻まで床の上にあった筈の剣が携えられていた。
顔が良く、気品があり、剣を携える──、
そんな青年の姿は、まるで騎士のように映った。
もちろんこれはウィルの感想で、実際に青年が騎士かどうかは解らない。
解らないが、その第一印象は、ウィルの動揺を誘うのに十分過ぎた。
ウィルの鼓動が、みるみるうちに早まっていく。
──まずい。
──斬られる。
──どうしよう。
──逃げる?
──無理だ。
──いや、そうだ。
──なにか言い訳しないと。
焦る思考に急かされて、思わず口が先走る。
「えっと、あの、怪しいものじゃありません!」
「……ふっ、あっははは。その言い分はちょっと苦しいんじゃないかな」
焦り速まる心音に紛れて、青年の笑い声だけが聞こえてくる。
ウィルは一瞬、なんで笑われているのか分からなかった。
しかし刹那して、ようやく思考が口に追いついたとき──、
──あっ、あぁ……。
──あああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!
──も、もっとマシな言い訳あっただろーー!!!
ウィルは酷い恥ずかしさを覚えた。
頬がほのかに紅く染まる。
「いや、あの……確かに土足で上がり込んで食べ物に手を着けたのは確かというか、そこは言い訳のしようもないというか、怪しいと思われるのも仕方ないですし実際に怪しいんですけど、あの、危害を加える意思はありません、本当です!」
そして、居たたまれなさから発言の意図を説明しようと早口になる。
すると青年はまた愉快そうに笑い出す。
「あぁ、そうだろうね。もし君に危害を加える意思があったなら、私は夢の中から覚めることなく死んでいただろうし、少なくともこの状況で『怪しいものじゃありません!』なんて無理のある言い訳を言われることもなかっただろうね」
「いやそれは……!」
桃色だった頬が、今度は真っ赤になる。
自分でも「無い」と解っている言い訳を復唱されるだなんて、羞恥も良いところだった。
まさに傷口に塩を塗られる思いで、ウィルは思わず黙り込む。
会話が止まり、暫しの沈黙が訪れた。
その静寂で、青年はようやく落ち着きを取り戻したらしい。
呼吸を整えるがごとく、ふぅ、と一息吐く。
──マズい。
そんな青年の姿を見て、ウィルは再び動揺した。
今までは自分の馬鹿さ加減で笑っていた青年だが、ここで正気に戻られたら今度こそ追い出されるか……最悪は斬られるかもしれない。
改めて全身に緊張が走る。
青年が油断している隙に逃げれば良かった。
そんなことを考えるが既に後の祭りだ。
もはや目を閉じて身構えることしかウィルには出来ない。
しかし──、
目を閉じて数秒、未だになにかをされる気配はない。
ウィルは勇気を出して、恐る恐る目を開けてみる。
眼前にいる筈の青年は──、
なぜか馬車前方へと移動していた。
そして、立てかれられてあった机を軽々と持ち上げていた。
──……??
ウィルが手に汗を握るなか、青年は机を手に持ったまま振り返る。
そして、なにやら鼻唄を歌いながらこちらに歩いてきた。
青年の真意は全く解らなかったが、その光景に恐怖を感じることだけは確かだった。
窮地に立たされたウィルは──あの机で僕のことを殴るつもりなんだ、あの鼻唄は僕を油断させるための罠なんだ──と、半ば混乱しながら直感する。
今度こそマズいと思い、目をつむって身構える。
しかし──、
なにかをされる気配は、やはりない。
ふたたび、恐る恐る目を開けてみる。
そこには机を床に置くロジャーの姿があった。
一連の動作を終えたロジャーは、好青年というに相応しい爽やかな笑顔をウィルに向ける。
「腹が減っているんだろ? 豪華なものはないけどさ……まぁ、とりあえず座りなよ」
てっきり追い出されるか斬られるか──なんにせよ冷淡にあしらわれる──とばかり思っていたウィルは、予想だにしない青年の応接に思わず硬直する。
「……? 遠慮してないで、ほら。それともパンと干し肉は嫌いかい?」
ウィルがそうしていると、青年は戸惑った感じを含ませながら、いくつか言葉を編んだ。そこに敵意のようなものは感じられない。むしろ善意のような感情すら覗いている。
しかし、だからといって──お言葉に甘えていただきます、など言えるわけもない。
ウィルは困惑しながら、まるで先刻まで無断で馬車に侵入していた人間とは思えぬ疑問を口にする。
「良いんですか……?」
「……? なんの話だい?」
「いや、あの、もらっても良いんですか?」
「なにを今さらなことを」
呆れながら微笑む青年を前にして、ウィルは言葉に詰まる。
確かに今さら遠慮をするのも変な話ではある。
なにせ、すでにパンを一つ平らげている後なのだから。
しかしそれでも腑に落ちない。
「だって僕、盗みに入ったんですよ? なんで、そんな僕にご飯なんか……」
「なんでって。うーん、そんな難しく考えられてもねぇ。私は単に、つまらないことをしたくないだけだし」
「つまらないこと……?」
「あー、えっと、要するに。お腹を空かせたボロボロの子を、ただ追い出すなんて真似はしたくないってことさ。だからほら」
青年は、先刻までウィルが手にしていたバスケットを掴むと、それを机の上に置いた。
──この行動にはなにかしら裏がある。
ウィルはそう訝しんだが、馬車から出るには青年を押し倒さなければならない。
三〇センチ以上も身長差のある男性を押し倒すなど、まず不可能な話だろう。
それに──、
──あぁ、このモヤは……。
──たぶん強いんだろうな、この人。
思考を巡らすウィルの瞳には、あるものが映し出されていた。それは常人には見えない霧のようなナニカ。しかし霧と違って、多種多様な色に変化するモノ。ウィルはこれをモヤと呼ぶ。
このモヤは、その人の感情に応じて色を変える。つまりモヤの色を見れば、その人の感情が解る。もちろん、目の前の青年だって例外ではない。
では、青年のモヤは何色だったのか。その色は青だった。個人差はあるものの、基本的には余裕や冷静さを表す色である。この異常事態を前に心から冷静でいられるなど、間違いなくタダ者ではない。
そのうえ青年のオーラは、今まで見たことがないほど大きかった。
通常、モヤは身体の輪郭から少しはみ出る程度にしか見えないものなのだが……。
青年のそれは、まるで湯気のように周囲を揺らめいていた。モヤの大きさは精神の成熟度に等しく、これもまたタダ者ではない。
だからウィルは、青年に従うことにした。
あらゆる面で青年に敵わないというのはもちろんだが──、
それ以上に、これほどまで大きなモヤが恐ろしい色に変わるのを見たくなかった。
気まずそうに青年から視線を逸らし、おどおどと机の前に座る。
それを見て、青年が微笑んだ。
微笑んだまま青年も座ると、バスケットからパンを取り出し、ウィルに手渡す。
「おっと失敬。名乗りを忘れていたね。私の名前はロジャー・シャンドル。しがない旅人……あーいや、世間でいうところの流浪人というやつさ。いろんな街を回っては、食べ物とか酒とか風俗とかを嗜んでる。君は?」
──胡散臭い人。
パンを受け取りながら、失礼にもウィルはそう思った。
旅人、という言うならまだ解らなくもない。
巡礼の旅をしている者が、この山を通りがかることは稀にだがあることだ。
しかしロジャーと名乗るこの青年は、わざわざ流浪人と言い換えた。
自分は特になんの目的もなく流浪する人間だと、そう自称したのだ。
それはあまりに怪しい。
冗談にしても不自然すぎる。
こんな素性の分からぬ人間に名乗る道理はない。
ウィルは、ロジャーの言葉を無視してパンを食べようとしたが──、
「……僕はウィリアム。ウィリアム・アスラーといいます」
パンを口にする直前で魔が差した。
もちろんウィルには名前を答えないという選択肢もあったが、パンを貰っているという立場が負い目となって、自ずと名乗ってしまった。
ウィルの名前を聞いて、ロジャーはニヤリと笑う。
「ウィリアム君か。ふむふむ、いい名前だね」
「ウィルで良いです、その方が呼ばれ慣れているので」
「友達にかな?」
「まあ……そんなところです」
ウィルは言い終えるとパンをかじり、水を飲む。
久しぶりの、ゆったりとした食事に思わず泣きそうになったが、その涙も水で流し込んだ。
「なるほど。ところでウィル君。君は迷子ってわけではなさそうだ。なんでこんな夜中に、それも一人で森のなかにいるのかな?」
「それは……あっ!」
パンを一欠片に千切って、口に放り込んだところで思わず声を上げた。
窓の外にある光景を見てしまったのだ。
それは無数の火明かりが連なって動いている異様な光景。
自分を付け狙う者たちが持つ松明の光。
それらが捜索対象を照らさんと、一心不乱に蠢いていた。
思わずウィルは、見つかりたくない一心で身体を縮めると、机の下に身を隠す。
「……? 突然伏せてどうしたんだい? あっ! 解った。ずばり、隠れん坊だね。私も君くらいの頃はよくしたものだよ。でも、さすがにそれはバレバレ過ぎないかい? というか、ここは平等に鬼決めジャンケンから……」
「い──いや、そうじゃなくて。あの……外に人が」
「外?」
ロジャーが窓の外に目を向ける。
数秒間見つめ続けて──ウィルの方に視線を向け直した。
「ほう、あの人たちと隠れん坊を? これはまた随分と本格的な……」
「いや、隠れん坊じゃなくて──」
「あっ。解った、そういうことね。鬼ごっこか。任せてくれ、私はどっちでもいけるよ」
「どんだけ遊びたいんですか!? いや違くて、そうじゃなくて……」
「なんだい? 随分と様子がおかしいけど」
「……実は僕、追われてて」
「追われてる? 君、見た目によらずなにかやったのかい?」
「なにもやってない!」
思わず大きな声が出た。
ハッ、とウィルは我に返る。
「いや、すみません……。なにもやってません、本当です。ただ……殺されそうになってるだけで」
「殺されそう? 待ちたまえ、それは一体どういう──」
──コンコン
ロジャーがそこまで尋ねたところで、馬車の扉からノック音がした。
ウィルの身体が震え、机がガタッと音を立てる。
その姿を横目にして、ロジャーはなにかを察したらしい。
扉を見据えたまま──、
「あぁ、大丈夫だよ。君はそこでジッとしてなさい」
そんな言葉を投げかける。
その声音は父親のような優しさと、頼もしさを兼ね備えていた。
強張る身体に、気休め程度の安堵が混入する。
ロジャーは平然とした調子で扉に近づいていく。
それからドアノブに触れるとピタリ、と動きを止めた。
一瞬の間を置いたロジャーは、それからおもむろにドアノブを回すと──音が立たないくらいゆっくりな動作で扉を開ける。
開かれた先には、男が一人、佇んでいた。
二メートルはあろう、大男だった。
真っ黒な外套を身に纏い、首には紫色のマフラーを巻いている。
布にくるんだ長剣が広い肩越しに窺えて、その雰囲気といったら、死神のごとき仰々しさだ。
「夜分遅くに失礼する。その方……行商人かな? なに、少しばかりの協力を願いたい」
ふいに、大男の低い声が馬車内に響く。
それは予想通り、ウィルにとって聞き覚えのある声だった。
ウィルの身体がガタガタと震える。
対して、大男と実際に相対しているロジャーは、おもむろに馬車から降りると、ゆとりある声色で言葉を返した。
「協力? はぁ、君さ……いま何時だと思ってるんだい? さすがに礼儀というものがなっていないと思うよ。良くない、実に良くないね」
「申し訳ないが、こちらも急を要しているんだ。なに、時間を取らせるつもりはない。そこに少年が一人いるはずだ。その身柄をこちらに引き渡してもらいたい」
「少年? あぁ、彼なら寝ているよ。かなり疲れている様子だし、今はゆっくり寝かしてあげたい。明朝以降にしてもらえるかな?」
「いいや、それは出来ない」
大男の声が一段と低く、そして重圧を含むものになる。
「悪いことは言わない。我々に従え。こちらとしても手荒な真似はしたくない」
「殺気を垂れ流しといて、面白いことを言うじゃないか。君たち、どのみち私を殺すつもりだろう? 聖職者ともあろう者が、嘘はいけないよ」
ロジャーは大男の奥の方にそびえる木々に目をやりながら、そんなことを言った。
その声色は飄々としたものだったが、どこかヒンヤリとする冷たい温度も含まれていた。
しかし大男は動じない。
むしろ、その声に少しだけ苛立ったようだ。
語気が少々荒くなる。
「これが最後だ。我々に協力しろ。さもなくば、命はない」
「いや、嘘はいけないって言ったけどさ。だからといって脅すのはもっとダメでしょ、聖職者的に」
「……貴様、巫山戯るのも大概にしろよ」
「いやいや、君たちの方がよっぽどだと思うよ。こんな夜中にいきなり押しかけて、かと思えば上から目線で……いったい何様だい? さっきも言った筈けど、君たちを相手にするのは明朝以降だ。解ったらさっさと──」
「あぁ、我々も言った筈だ。これが最後だ、とな」
大男は目を見開き、背中の長剣を抜く。
それが襲撃の合図らしい。
奥の木々から、何人かの黒服が踊り出る。
そんな黒服たちを先導するかのように、布から剥かれた長剣は天を仰ぐと──、
ロジャーを叩き潰そうと、重々しく降りかかった。
この間、一秒たらず。
にもかかわらず──、
長剣はロジャーを潰せなかった。
それどころか甲高い金属音とともに、再度天を仰いでしまっていた。
巨大な長剣は弾かれたのである。
大男の振り下ろしをはるかに追い越す、目にも留まらぬロジャーの抜刀によって。
大男はギョッとする。
体重を乗せたはずの長剣が軽々と弾き上げられるなど、よもや考えもしていなかったのだろう。
対してロジャーは、流れるように次の動作に移っていた。
ガラ空きになった大男の胴体に、蹴りをねじ込む。
「ぐあっ……!」
大男は、まるでタンポポの綿のように吹き飛ぶと、地面を転がった。
木々から飛び出してきた者たちが、それを見て思わず怯む。
その怯えにより生じた僅かな動きの鈍りを、ロジャーは見逃さない。
そうして、大胆な反撃が始まる。剣を逆に握り替えながら、黒服との距離を一瞬にして詰める。
黒服たちは迫り来るロジャーを見て、思わず守りの体勢を取った。
しかし──、
「ギャッ……!」「ガッ……!?」
ロジャーの剣は並大抵の防御などものともしなかった。まさに、豪剣だった。
体を守ろうとする剣を強引に弾き飛ばす。ガラ空きになった胴体や首、脛を容赦なく叩いていく。
その一撃一撃は、決して人を斬り殺したりはしない。
むしろ剣の腹や背を使った殴打といった方が的確だ。
しかし、鉄の塊で殴られたことに変わりなく、黒服たちは悶絶のなか伏していく。
そうして、ようやく大男が立ち上がる頃には、手下と思しき黒服は幾人も伸されていた。
しかし一方で、一〇人、二〇人と総数そのものも増えており、未だに黒服たちは数における優勢を保っている。
どうやら、敵の殆どは森林の影に隠れて様子を窺っていたらしい。
大男は温存していた兵士たちを背に、長剣を構え直す。
しかし直後、ロジャーから剣先を向けられ、分かりやすく牽制を喰らうと、その動きをピタリと止めた。
「君たち、その服……さてはミクイス教徒だね?」
問いかけるロジャーの目には、鋭い光が宿っていた。
先刻までの好青年の印象は欠片もない。
その変貌ぶりに、大男も些か戸惑いの表情を見せた。
しかしすぐに冷静を取り戻すと──もしくは取り繕うと──、今度は堂々と聞き返してみせる。
「だったら、なんだという?」
「あぁ、やっぱり。いや、別に大した話ではないんだ。いわゆる『お気持ちの問題』ってやつでね。好き嫌いの問題といってもいい。率直に言うと、私は神とやらを信じて疑わない恥知らずどもが大っ嫌いでね──」
そうロジャーが言葉を紡いでいる最中、横の木陰から一つの影が飛び出た。
黒服が正攻法を捨て、奇襲をかけたのだ。
足音は聞こえない。
理屈は解らないが、独特な足運びによって音を消している。
加えて、スプリンターのような瞬発力さえ両立している。
そうして、ロジャーとの距離をぐんぐん詰めていく。
とうとう短剣が振るわれ、頸動脈を引き裂く直前まできたところで──、
ロジャーは一瞥もくれずに紙一重でそれを躱した。
「──っ!!!??」
完全に隙を突けたと確信していたのか、黒服は声にもならない驚きを息として漏らす。
そして、この息漏れを合図に攻守が入れ替わった。
ロジャーは一瞬の隙すら与えずに、黒服の腹部に峰を叩き込む。
強烈な一撃をマトモに食らった黒服は、短い絶叫を発しながら地面に伏し、それからピクリとも動かなくなると、完全に沈黙する。
それを尻目に確認すると、ロジャーは何事もなかったかのように、また大男に剣先を向けて──そして静かに語りかける。
「えーっと、どこまで言ったかな。あっ、そうだそうだ。その黒い外套がね、視界に入ると不愉快なんだよ。みなまで言わせないと分からないのかい?」
大男の額に汗が滲む。
声に孕まれる重みが先刻までとは桁違いだった。
軽い調子、それでいて押し潰されそうなほど重たい湿度を含んだ声で、ロジャーはなおも語りかけを続ける。
「おっと、勘違いはしないでくれたまえよ。君たちに私怨なんかない。怒りもない。初対面だからね、当然さ。ただ大っ嫌いなものはどうしようもない。見えないようにするしかないんだよ。解るだろ? なに、難しいことは言わない。私からの要求はただ一つさ。私たちの野営地から今すぐ出ていってくれないか。それとも、私にそこまでさせる気なのかい?」
放たれる言葉には微塵の焦りもない。
ただ、そこにはドッシリとした重みがあるだけだった。
だからこそ、黒服たちの顔は一様に恐怖や動揺といった色に染め上げられていく。
それは仕方のないことだった。
なにせ、人数だけをみれば黒服たちの方が圧倒的に優勢なのだ。
にもかかわらず、ロジャーという男は表情一つ崩さず、あたかも当然といわんばかりに、そこに立っている。
その佇まいからは余裕すら感じられる。
そして実際、圧倒されている。
黒服たちにとって、ロジャーはあまりに不気味なのだろう。
ゆえに手も足も出せずに、ただ目線で味方を牽制し合う。
もちろんこの人数差だ、数の利を活かせば勝機は十分にある。
しかし最初の一人は間違いなく犠牲になる。
先刻、横の木陰から飛び出した仲間の末路が、その悲観的な予測を裏付けている。
ゆえに、生まれたのは膠着という状況だった。
──誰でもいい、玉砕覚悟の突撃を仕掛けろ。
そう言わんばかりの視線が、この場のあらゆるところで飛び交う。
そんな睨み合いが続くなか、ロジャーの表情が僅かに歪んだ。
どうやらこの状況はロジャーにとって好ましいものではなかったらしい。大きな溜息を吐く。
刹那して、眼光の鋭さが数段増した。
「神を信じる人間というものは、どいつもこいつも聞き分けが悪いね。まあ、それなら仕方がない。私が寝かしつけてあげるとしよう。夢見の方は──そうだね、君たちの大好きな神様にでも祈れば良いさ」
言い終えるが早いか、その剣先がゆらりと動いた。
その瞬間、見て取れる具合に大男の顔から血の気が引いていく。
そして、なにを感じ取ったのか。
「──チッ……退け、退け!」
三〇人はいよう黒服を引き連れて、大男は森の中へと消えていった。