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001 出会いの夜


 山路やまじは、すっぽりと森に包まれている。


 圧迫感あっぱくかんすら感じる山肌をこするように伸び──、

 心地良ここちよいせせらぎをひびかせる谷川たにがわを越え──、

 きもを冷やす崖際がけぎわをつたい──、


 そして、はるか遠き異邦いほうへと通じている。


 しかし交易商人も、敬虔けいけんな巡礼者たちも、みな国外へ通じるこの山路やまじを避けたがる。

 いわく「難所というわけではないが、()()()なのだ」という。


 だから年間を通して、人通りは少ない。

 とくに夜間は皆無に等しい。


 しかし、今日は違った。

 今日に限っては、客人がいた。

 運命に招かれた、()()()()()客人である。


 彼らは、山路やまじかたわらに馬車を止め──、

 ひっそりと、この夜を過ごそうとしていた。




◇   ◇   ◇




旦那だんな、そろそろ寝ますよ。──って、どうかしやした? 馬車の外になにかあるので?」


 そんな問いを投げかけたのは、二人分のブランケットを手にかかえた中年男性──パーナーだった。

 しかし、投げかけた、といっても真っ直ぐとした投球ではない。

 どこか震えるような変則的な投げかけであり、彼の胸のざわめきが色濃く反映されている。


 投げかけられた先には、一人の青年──ロジャーの姿がある。


 ロジャーは座席に深くこしけ、窓の外の暗闇に視線を向けていた。

 ただ外を眺めているだけなのに、それだけで絵になりそうなほど容姿は端麗たんれいさわやかな印象をまとった好青年だが、その表情はどこか物憂ものうげで似合わない。


 かたや、そんなロジャーに問いを投げかけたパーナーは少し太り気味の中年男性。

 うっすらとした法令線ほうれいせんが見え隠れしており、高齢者と呼ばれる年齢に片足を突っ込んでいる。


 そんな二人の年齢差から、まるで親子のような関係性かと思ってしまうが──、


 この二人に血の繋がりはない。


 二人を繋ぐのは旅の相棒あいぼうといった間柄あいだがらであり、血ではない。

 もっと突っ込んだ言い方をすれば、二人はまだ出会って二年ほどの付き合いだ。


 しかし二年も一緒にいれば、相手の考えていることなど大概たいがい(わか)ってしまうというもの。

 そういう意味では、親子のような関係といってもいいのかもしれない。


 そして、そんな関係性だからこそ、パーナーはロジャーに対して胸のざわめきを覚えたともいえる。


 つまり、ロジャーが座席に深くこしけ、窓の外のどこか遠くを見つめているとき──、

 その脳内では、十中八九、よからぬ考えがめぐっているのだ。


 ゆえに、パーナーの問い掛けには一種の威嚇いかくのような意味合いも含まれていた。それは「変なことをしないでくださいよ」という、言外げんがい威嚇いかくである。


 対するロジャーは、ワンテンポ遅れて振り返る。


 振り返り、頭を止めると、パーナーの目線を真っ直ぐ捉え──そして微笑ほほえみながら言葉をつむいだ。


「あぁ、いや。別になんでもないさ。ただちょっと、心が高鳴たかなってしまってね」


 ピクリ、と。

 ロジャーの言葉を聞いたパーナーの表情かおが、ほんのわずかにこわばった。


 思わず──また始まったよ──とあきれる。


 先程さきほどまでのいやな予感がむなしくも的中してしまい、パーナーは静かに肩をすくめるほかなかった。


 そんな相棒パーナーの様子に、ロジャーは首をかしげる。


「どうしたんだい? 私の勘違かんちがいじゃなければ、なにかあきれられているような気配けはいがするんだけど」

「でしょうね。実際にあきれてんですから。まったく……旦那だんながなにかにソワソワした後は、大抵たいていロクなことが起きねえでしょうが。少しは自重じちょうしてくだせえ。あんなことがあった後なんですから」

「あはは、わかっているよ。私だって子供じゃないんだ。きっと自制出来るよ、安心したまえ。それより寝るんだよね? 私も丁度ちょうど眠たいと思っていたところなんだ」


 ロジャーは、あっけらかんとした笑みを返すと同時に、ブランケットが欲しいと言わんばかりに手を伸ばす。


 間違っても「自制する」とは言い切らないロジャーの態度に、パーナーはいつもの不信感ふしんかんつのらせた。


 だからロジャーの要求に従い、持っていたブランケットの一つを手渡しつつも──、


 いつものように念を押す。


「まったく、本当にわかってんですかい? 旦那だんなのせいで、リングの光すら届かない深い森の中を遭難そうなん中なんですぜ?」

わかってるわかってる。というか、このやり取り何回目だい? やだなぁ、パーナー君。もしかして、君が寝ている間に勝手に馬車を乗り回したこと、まだ怒っているのかい?」

「べつに怒ってはねぇですよ。たらふくまされてなかば強制的に眠りにつかされて、次に目を覚ましたら馬車ごと山の中に移動してるだとか、ふつうは怒りなんて通り越して殺意すら湧いてもおかしくねぇ出来事ですから。だから、怒ってはねぇです。怒っては」

「それならまだ怒っててくれた方が良かったかなー、なんて。でも仕方ないだろう? あんなに迫力のある競馬パリオを見てしまったら、誰だって馬に乗りたくなるってものさ」

旦那だんなの自制心は五歳児かなんかですか」

「最近の五歳児って、妙に大人びてるもんねぇ。あれ、め言葉として受け取って良いんだよね?」


 その言葉を聞き、パーナーは半目になりながら溜息ためいきく。


 しかしそれだけで、さらにとがめたりはしない。


 いくら文句を言ったところで、ロジャーという青年が態度を改めることはない──、

 そんな事実を、相棒である彼は嫌というほど知っているのだ。


「あぁ、そうですよ。褒め言葉ですとも」


 だからパーナーは、少し疲れたように言葉を投げて、この話を終える。

 五〇代もなかばに差しかるパーナーにとって、もはやロジャーの態度は気にさわることでもない。


 そんなことよりも、いまは眠気の方ががたかった。

 耐え難さは、大きな欠伸あくびとなってあらわれる。


「ふぁーあ……。もうワシは限界です。そんじゃあ、ワシはそろそろ」

「うん、おやすみ。良い夢をね、パーナー君」


 意外にも、ロジャーから素直な言葉が返ってくる。

 その言葉には、どこか子供を思わせる無邪気むじゃきさがあった。

 だからパーナーはわずかに口元をゆるませる。


 ──はぁ……まったく。

 ──こんなんで許しちまうんだなんて、馬鹿馬鹿しいとは思ってるんだがなぁ。


 困ったような表情かおになって、そんなことを思う。

 それから、少しだけ気恥ずかしくなった様子を顔の奥に閉じ込めながら、パーナーはおもむろに言葉を返した。


旦那だんなこそ、良い夢を。今度は本当に、寝てくだせぇよ」



◇  ◇  ◇



 二人の旅人が床につく頃。


 森は深い夜の静けさに包まれていた。

 本来であれば野生動物も寝静ねしずまるこの時刻。人間が森に立ち入ることはまずない。

 しかし、この日は違った。

 気の毒としか言いようのない少年が、たった一人で森のなかを彷徨さまよっていた。


 ぐぅぅぅぅぅぅ


 そんな見窄みすぼらしい音と、また壮絶そうぜつな空腹感に襲われて、思わず表情をゆがませる少年──ウィルは、おぼつかない足取りで森のなかを進む。 


 その短い黒髪は泥でカピカピ。

 幼い表情もやつれていて、ひどいクマが出来ている。

 そしてきわめつけに、着ている子供用の服は穴だらけと、みっともない恰好かっこうだ。

 その姿は、まるで家を失った戦災孤児せんさいこじのようである。


 いや、ようである、は余計だったか。


 なにせウィルには、帰るべき家も頼るべきあても、実際にないのだから。


 これは比喩ひゆではない。

 ウィルは家から追い出され、人から殺されかけ──、

 そして命からがら逃げ出した、いわば追われる身だった。


 まさに孤立無援である。

 頼れるのは自分自身だけ。

 不幸中の幸いだったのは、そのような精神的にこらえる境遇にウィル自身が慣れていたことだろうか。


 おかげで、その幼い身体には余るほどの痛ましい姿になっても歩き続けることが出来ている。


 しかし森のなかを歩き続けていれば、いずれ助かるのかといえば違う。


 なにせ、この森は広い。

 具体的な面積こそよしもないが、少なくとも子供の足で抜けられるような広さではない。


 どのみち捕まるか、もしくは力尽きて森の中で死ぬ。


 もちろんウィルだって、そんなことは解りきっている。


 自分の足では森を抜けられない。

 たとえ抜けられたとしても人里までたどり着くことは出来ない。


 そんな残酷な事実は、この山で生まれ育ったウィルが誰よりも理解している。

 しかし頭で理解していても、身体からだは決して歩むことをやめようとしなかった。


 それはなぜか。

 実のところ、ウィル本人にもわからない。

 ただ、なぜかはわからないが、逃げたいと思った。


 なぜ逃げたいと思ったのか。それは上手く言葉に出来ない。

 ただそう思ったからこそ、どれだけ辛い山道だろうと進むことができた。


 しかし──、


 延々と続く起伏の激しい山道は、少年の身には過酷すぎた。

 この夜、ウィルの心は折れかけていた。

 いや、折れるというよりかは摩耗まもうし切ろうとしていた。


 それでもウィルは歩いた。無心むしんに歩き続けた。

 年端としはもいかない少年の意地を見せた。


 その姿に、運命の女神は心を打たれたのかもしれない。

 突然、山道が平坦へいたんになった。


 ──森が、終わった……?


 散りかけた心に微かな希望がともる。

 ともる光に持ち上げられるように、垂れていた頭がおもむろに上がる。


 もちろん、そんな都合のいい奇跡が起こるはずもない。

 森は延々と先まで広がっている。


 しかし、ウィルの心に灯った微かな希望は、このとき確かなほむらとなった。

 なぜなら、前方に小さな光が見えたからだ。


 森の中で光が見えたら、真っ先に疑うのは肉食獣の眼光がんこうだが、明らかにそれとは光り方がことなる。

 獣の目から放たれる光は冷たいが、これは暖かさすら感じる光だ。


 そして、暖かい光といえばもうこれしかない。


「ラ、ラ──ランプだ……!」


 予想外の発見に、思わずひとごとがでた。


 山奥に、ランプの光がらめいている。

 それは、そこに()がいることを端的に示しているといえる。


 その()が、山住やまずみの者か。

 はたまた山賊さんぞくか。

 もしくは通りがかりの行商人ぎょうしょうにんか。


 それは分からない。

 ただとにもかくにも、そこに人がいるという事実だけは確かだった。


 そしてこのに及べば、そこにいるのが誰かなど些細ささいな問題だ。


 満身創痍まんしんそういのウィルからしてみれば、人がいるという事実だけが重要だった。

 なぜなら人がいれば、必然的に衣があり食があり住があるからだ。つまり、この耐えがたい空腹をしのすべがあるはずなのだ。


 ウィルの心臓がバクンと跳ね上がる。


 同時に、湧き上がってきたのは多少の安堵と、圧倒的な興奮だった。

 ウィルは激しく鼓動する心臓に突き動かされるように、光を目指して歩き始める。


 ぶわっ、と強めの風がウィルの顔面に当たる。

 夜の秋風は冷たいものだが、身体からだ火照ほてりが寒さを和らげてくれた。


 ──くぎゅうぅぅぅぅ


 腹の虫がまた鳴った。

 先刻よりも、ドスの利いた鳴き声だった。

 腹部を押さえつつ、今にも消えそうなか細い光だけを見つめる。


 光まで、距離にして一五〇メートル。

 近いようで遠かった。なかなか距離が縮まらない。


 枝を足でポキッと折って一〇〇メートル。

 まだ先かと、もどかしくなる。


 落ち葉で足を滑らしかけて五〇メートル。

 見て取れる具合に、光が大きくなった。


 みきに手をかけ、一息ついて一〇メートル。

 あと少し。あと少しだと自分を鼓舞こぶする。


 息も絶え絶えに光の眼前がんぜんまで来て──、

 ウィルは、思わず言葉を失った。


 光は、漏れていた。

 馬車の窓から漏れていた。

 そして、その馬車は、言葉を失うほどに大きかった。


 いや、大きいだけじゃない。

 夜闇よやみのせいで細かい造りや飾りまでは分からないものの、それでも荘厳そうごんな印象が伝わってくるほどには立派りっば代物しろものだった。

 羽振はぶりのいい行商人ぎょうしょうにんでなければ、これほどまでのものは買えないだろう。


 そこまで考えて、ウィルのなかには一つの確信が生まれてくる。


 行商人ぎょうしょうにんであれば、間違いなく十分なまでの食料しょくりょうが積んでいるはずだ、と。


 興奮が一層強まる。

 空腹はもう限界だった。


 とうとう自制心のタガが外れ、馬車の扉を手探りで探し出す。

 探し物──ドアノブ──を見つけるのに、そう時間はかからなかった。


 ウィルはおもむろに扉を開ける。

 中で寝ているであろうあるじを起こさぬよう、できるだけ慎重しんちょうに。


 扉を開けきり、なかをのぞき込むと、そこにはいびきをかきながら寝ている、二人の男の姿があった。


 一人は青年と呼ぶに相応ふさわしい、若い風貌ふうぼうの男。

 もう一人は風格のある中年ちゅうねんの男だった。

 どちらも心地良さそうな顔をして熟睡中だ。


 ウィルは二人の男が起きないよう細心の注意を払いながら馬車の中に忍び込むと、今度は物色を始める。


 まずは馬車前方。

 壁に立てかけられる形で、長方形のテーブルが置かれていた。

 置かれている横には、カーテンのようなものが垂れていて、明らかになにかが隠されている。

 なんだろうかと興味をさそわれ、カーテンを開けてみると、そこには馬を操る席──御者台ぎょしゃだいがあった。

 その他には、特になにかがあるわけでもない。


 視線を変える。


 つぎは馬車中央。

 両翼にえ付けのイスがあった。

 その上では、先刻せんこくの男たちが一人ずつ、横になって寝ている。

 随分ずいぶんとおおきな寝息を立てていて、どちらも起きる様子はない。

 滑稽こっけい寝相ねぞうを見て、少しだけ安心する。

 しかし、ここにも肝心かんじんの食べ物はなかった。


 視線を変える。


 最後に馬車後部。

 腰くらいの高さの本棚が置かれてある。

 並べられている背表紙のタイトルを見るに、どの本も難解そうだ。

 ふと本棚の奥を覗くと、怪しいバスケットがいくつか置いてあった。


 どのバスケットにも布が被せられていて中身は見えない。

 心のなかに期待が生まれる。

 本棚の上部に上半身を乗せ、そのうちの一つを手に取った。

 適度な重さ。

 今度は、期待が膨らむ。

 ウィルはバサッと布をいだ。


「……ッ!!」


 中にはパンと干し肉が入っていた。

 大当たりだった。

 ウィルは本棚にもたれたまま、パンを食べ始める。


 しかし、丸一日なにも飲んでいなかったのどに、パンは相性が悪すぎた。

 大きなかたまりをのどに詰まらせる。


「んっ! んーーっんっ!!」


 もだえながら──声を出してはいけない──という思いが頭をめぐる。

 そう考えるだけの理性は残っていた。

 しかし、理性が残っていたからといって、この状況がどうにかなるわけでもない。


 とにかく、のどに詰まった塊を流し込むための水を探す。

 恐らくバスケットのどれかに入っているはずだ。しかし、どれにあるのかはサッパリだった。

 もうなんでもいい。

 そう思って手当たり次第に布をいでいこうとする。


「水なら、左の奥のバスケットだよ」


 ふと、後ろから親切な声がした。

 聞くが早いか、その声が示すバスケットの布をひんく。

 中にはあやしく光る丸い石と、水の入ったびんがあった。


 すぐさまびんを手に取ると栓を抜き、ゴキュゴキュと水を飲み干す。

 びんから水がなくなったところで「ぷはあ」と一息吐く。


「はー……生き返ったぁ……」

「それは良かった」


 先ほどびん在処ありかを教えてくれた声が、爽やかな声色こわいろで言葉をつむぐ。

 一息ついたウィルは体勢を立て直し、それから振り返ると、声の主と目を合わせた。


「ありがとうございます。おかげで助かり、まし……た……」


 そこでウィルは、この爽やかな声の持ち主が先刻せんこくまで寝ていたはずの青年であることにようやく気づく。

新連載です!

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