調査
「分からんなぁ・・・」
プレハブ小屋の中で森山という男は渋い表情を見せた。飯山と中村はその返答に溜息をつく。
彼らは今、練馬駐屯地で森山という大学教授と採取物について議論していた。当初は武山駐屯地に調査本部が置かれる予定だったが、災害派遣の司令部として機能していたため難しかった。そのため後方地域となる練馬に調査本部が置かれたのだった。
しかし練馬駐屯地としても調査本部の設置にいい顔はしてくれなかった。何故ならば武山が災害派遣の司令部なら、練馬は戦闘部隊の司令部として動いていたからだ。それを象徴するかのように、グラウンドには二個戦闘団規模の戦力が待機している。そのような緊迫した雰囲気の中、調査を目的として居座るのは飯山らにとっても心苦しかった。とはいえ、採取物やデータを守れるだけの戦力がある場でなければならないという統幕の意向でここに指定された。駐屯地司令は上からの命令ということもあり、設置を快諾。しかし業務隊は違った。ただでさえ忙しく、また宿泊する隊員の多さに、部屋数が足りておらず、総出で付近の自衛隊施設や民間の宿泊施設に調整を掛けていた。
その中で何十人も泊まれるであろうプレハブを渡さないといけない事に、不満を募らせていた。そのため二人は早く調査を終わらせられるよう動き回った。武山から採取物を持ち、技術研究所に運び込んだ後、データ化して東京海洋大学に勤務する森山を迎えに行き現在の段階に至っている。そしてプレハブに着き五時間が過ぎようとしている中、森山が口にした言葉は二人のメンタルを一気に削った。
「やはり、生物の皮膚細胞がなければ分かりませんか?」
森山が採取物とデータを交互に観ている中、中村が耐え兼ね、一時の沈黙を破った。
「いや、微量ながら細胞の類は確認出来た。つまり調査すれば弱点が見つかる可能性があるってことだ。」
少しの間を置き、森山はデータの数値を睨みつけながら返答した。彼は海洋生物に関する世界的な権威で、政府から声が掛かり今ここに呼ばれていた。しかし今回調査しなければならないのは絵に書いたような怪獣で、普通の海洋生物と呼べるのか、そして自分の専門範囲内なのか戸惑っていた。
そして現実に調査を進める度、その戸惑いの気持ちは深くなっている。皮膚組織の細胞には、確かに地球上の生物である証が幾つか見受けられた。しかし今まで目にしたことがない。恐らく世界中の学者に聞いても知らないと答えるであろう細胞も現に存在していた。自分だけでは無理がある。森山は心の中で断言付けた。そして、
「飯山さん。私は政府から新種の海洋生物を調査してほしいと依頼を受けて、被災地に行き、生物の映像を見て、細胞にも目を通しました。ですが、此奴は海洋生物なんかじゃない。つまりは私の専門を超えています。」
そう口を開き、データの用紙を握り力をこめる。
「依頼を降りられると?」
唐突な内容に飯山は驚きつつも、冷静に問い質す。中村も作業の手を止め森山を見る。
「降りはしません。あの被災地を見た時、役に立ちたいと思いました。今もその思いは変わりません。」
「じゃあ・・・!」
森山の言葉に中村が口を挟む。しかし飯山はそれを制し聞き入った。
「私が指名する人物を呼んでください。これはチームでなければ無理があります。」
飯山の目をじっと見つめ続けた。その眼には力があり、飯山は視線をそらさず頷く。中村はそれを見、瞬時にメモ帳とボールペンを手にした。横目で確認した森山は大学名と教授のフルネームを淡々と話し始めた。メモ帳に書き殴る音が辺りに響く。飯山は二人のやり取りを見つつ今後の動きを統幕に報告するため、自身の携帯を開いた。直後、
「飯山三佐」
プレハブ小屋の扉越しに新制服を着た二佐の姿があり、自分を呼んでいた。携帯をポケットにしまい二佐の元へ向かう。
「どうしました?」
扉を開け、問い掛ける。五十代前半の、叩き上げで上がってきたであろう二佐は付いてくるよう促してきた。と、いうのもプレハブ小屋の周囲には武器整備を行う陸士らがおり、飯山はすぐに察した。扉を閉め佐官の後へ続く。
「統幕の市原だ。緊急且つ内密な案件で直接伝えに来た。」
連隊本部の隊舎、その一室に通され、市原と名乗った男性がそう口を開いてきた。
「恐縮です。」
部屋には机とソファが置かれ、来客用の造りになっていた。飯山が短く返すと市原は腰を降ろすよう言ってきた。無言で従いソファに座る。
「第七艦隊が生物の捕獲作戦を我が国のEEZ内で行った。結果は、ロナルド・レーガンの轟沈を始めとして相当な被害が出てる。官邸も市ヶ谷もてんやわんや状態になってる。」
市原は立ったまま切り出してきた。
「第七艦隊が!」
飯山は思わず立ち上がり、大声をあげてしまった。
「あぁ、生物から間接的な攻撃があったらしい。今は生物の姿は消え、海自と空自が米軍の救助にあたっている。」
市原は静かにするよう仕草で注意しつつ、そう続けた。飯山は空いた口が塞がらなかった。自分達が警察の鑑識のようなチマチマした作業をしている中で、これだけ大きな出来事が起きていたことに驚きを隠せていなかった。今後の米軍の動向を探れということか。様々な推測が脳裏を走る。
「そこでだ。今回米軍があの生物に攻撃した戦果。そこに問題があったからここに来ている。」
飯山は眉を顰める。すると市原はポケットから小さく折り畳まれた用紙を渡してきた。飯山は開き、通読する。
「トマホーク75発、ハープーン47発・・・これは・・・!」
「米軍が生物に命中させた数だ。しかしこれだけ食らっても奴には効果がなかった。物理的攻撃は歯が立たない事を第七艦隊が身を持って教えてくれた。そこで統幕、いや、政府が君達の生物調査に掛ける期待は膨らんでいる。」
飯山は息を呑む。しかし市原は構うことなく、
「そこで、君と中村一尉。両名を正式に生物調査室執行官に任命する。今まで辞令もなしにあやふやな所ではあったが、今、確定した。よって、米軍調査の任を解き、生物調査の責任者として従事して貰いたい。」
その重みのある言葉に飯山は声が出なかった。頭の理解が追いついていなかったのだ。力なくソファに座り込む。意気込みはあった。しかし事が大きすぎる。普通であれば一佐級の階級者が付く筈だ。自分のような者が大任を背負っていいのか。錯綜する中、市原は二枚の辞令書を渡してきた。
「一応、役所仕事だからな。中村の分も渡しといてくれ。期待してるぞ。」
それだけ言い残し、市原は退室していった。飯山はそれを無言で見送った。
(速報です。政府関係筋の情報によりますと、昨日午後、父島沖を航行していた第七艦隊が巨大生物に襲われたという旨を明らかにしました。詳細については分かっておりませんが、襲撃したのは、先週神奈川県に上陸した生物と同種の可能性が高いことがNNRの関係筋から分かりました。この事態を受け、自衛隊や海上保安庁は救助部隊を派遣。対応にあたっているとのことです。)
(PNRのアメリカ支局と中継が繋がりました!香山さん!・・・・はい!私は今、ワシントンDCのホワイトハウス前にいます!こちらの時刻は朝の8時を回り通勤者の姿が大半を占めるようになりました!しかし、第七艦隊が被害を受けたという情報を受け、一部の地域では情報開示を政府に求めてデモが始まっている模様です!この動きを受けてのハワード政権のアクション!これに注目が集まっていますが、未だ何の動きもありません!)
(今日のピックアップです。北京で中露首脳会談が開催されました。中国の李主席とロシアのイワン大統領は四時間に渡る会談の末、貿易問題や領土問題について大方合意したとのことです。また、神奈川県に甚大な被害を与えた巨大生物の問題にも触れ、中露合わせてアジアの安定を守るべく、日本への支援を惜しまない意向を報道陣に明かしました。)
そこで女性アナウンサーの声が途絶えた。
「政府関係筋とか、誰なんだか。」
岡山はテレビのスイッチを切り、そう愚痴を零す。傍にいた本山外務大臣と、大山防衛大臣はそれを聞きフォローした。三人は今、総理執務室で夕食をとっていたのだった。冷めきった幕の内弁当を口に入れながら、今後について議論をしていた。
「アメリカはもう軍は出せんでしょうな。大統領が出したくても国民が許さないでしょう。先程大使館より、国内の情勢からその可能性が高いと連絡が来ました。」
本山が口を開く。
「キャンプ座間も今は負傷兵の後送に躍起になっています。気になるのは中露の動きですが。」
大山は片手で報告書を見つめながら井上の後に続いた。岡山は外交も勿論重要視していたが、一番気にしていたのは生物への対抗策だった。
「自衛隊の戦力で、あの生物に対抗出来るのかね?第七艦隊を蹴散らした奴だぞ。次、東京に上陸されたら、日本は終わるぞ。」
総理大臣として発してはいけない一言なのは重々承知で言い放った。しかし事態は既にその領域に達していた。本山や大山はその言葉に驚いた表情はみせたが、
「現在朝霞で模索しています。また東京上陸という最悪の事態を想定し、既に部隊を首都圏に移動させています。そして何より、生物調査室を練馬に設け、物理的ではなく内部からどうにか出来ないか調べさせています。調査の責任者を岡山さんの甥っ子にさせているので期待しててください。」
抜け目のない奴だな。岡山は大山の含みのある言い方にそう感じた。わざわざ重役を私の甥にさせる所に苛立ちを覚えた。次の総裁選の後押しをして欲しいという下心が見え見えだった。しかし
、そもそも次の総裁選が果たして出来るのだろうか。今からこの国が向かう未来を想像し軽い溜息をつく。
「飯山にか。あいつなら、大丈夫だろうな。」
作り笑いでそう返し、岡山は残るおかずを口に駆け込んだ。
数人の大学教授らが、ホワイトボードに計算式や細胞組織の図を書き殴る。その光景に飯山と中村は唖然としていた。数時間前、森山教授に頼まれた中村は各学会に所属する世界的な権威を呼び集めていた。日本のために何かしたい。依頼を受けた教授らはその思いから、このプレハブに作られた調査室に足を運んでいた。彼らは着くやいなや、挨拶もなしにデータが記されたパソコンに向かい、自らが持ってきた資料と見比べていた。
「カドミウムは有効策だと考えますが。」
各人が話もせず、パソコンや紙と向き合っている中、理化学研究所に所属する浅野教授が唐突に口を開いた。数人が顔をあげる。
「そうですね。確かにカドミウムを使用した攻撃は有効策であると、米軍からもきています。皆様にお配りした資料にも載っていますが、実際に米空軍がカドミウム弾を生物に命中させました。効果としては動きが鈍くなったとの報告を防衛省は受けています。」
実際に効果のあった方法を取った方が固い。その考えから浅野は発言していた。中村がその意見に対し資料を通読しながら返す。
「では・・・」
「しかし、カドミウム弾による攻撃を受けた後、生物は何かしらの間接的な反撃をしてきました。もしこれがカドミウムに対する拒否反応として出ているのであれば、甚大な被害は避けられません。最終手段として上に進言はしますが、それ以外の方法を見つけて欲しいんです。」
浅野が口を開いたが、中村は構うことなく被せ、続けた。その言葉に周囲は静まり返った。
中村の熱意。同じ轍を踏みたくないという気持ちが表情に現れていた。
「まず、あの生物が何物なのか。そこなんですよね。」
一瞬の沈黙を破り、芹沢が口を開いた。彼は国立科学博物館に務める古生物学者で、生物の形状が恐竜にも似ていることから声を掛けられていた。
「直立二足歩行で、海中も遊泳出来る。エラ呼吸の類は観測出来ていない事から、蛙のような両生類であると推測します。そして背中の背びれ。ステゴサウルスを連想させる形ですが、核弾頭を持っている際、発光しています。つまりは放射能、エネルギーを背びれから吸収していると考えます。なので段階的にあの生物を処分するなら、エネルギー摂取器官である背びれを攻撃する事が第一だと思います。」
芹沢は資料を見つつそう続けた。周りはその説明と推測に聞き入る。飯山はその内容に何度も頷いていた。中村はすかさずメモを取る。いきなり始まった講義のような場。教授や博士という生き物の理解に追いつく暇もなく、芹沢の推測から熱い議論が始まった。
「しかし、トマホークミサイルの攻撃すら耐える表皮硬度だ。背びれを破壊するなど、核でも使わんと無理ではないのか?」
「それにアメーバのような自己再生機能を持っていたらどうする?核で破壊出来たとしても、奴に餌を与えるだけの結果になるかもしれん。」
「そうだ。実際に奴の皮膚細胞からは未知のものが幾つか検出されてる。研究所に運び詳しい分析を掛けているが、背びれを撃つという考えは危険すぎる。」
芹沢の一言から始まった議論だったが、その言葉を最後に平行線となり、再びプレハブ内は沈黙に包まれた。




