日本のために1
『あすか』の艦内に警報ベルが鳴り響く。そのけたたましい音を背に、狭い艦内通路を海上自衛官らが駆ける。
その中、食堂では銃点検を行っている一団がいた。
「本艦に着艦を試みているSHが接近中だ。飛行目的も明らかにされていない不審機だ。本艦には承知の通り常設の臨検隊はいない。そのため前年の射撃検定で優秀だった君達五名が召集された訳だが・・・。やってくれるか?」
急ごしらえで編成された臨検隊。それを束ねることになった『あすか』副長は、自身の緊張を吹き飛ばす意味も込めて、声を張りげそう口を開いた。
射撃検定の成績が優秀だったから。
その理由だけで声を掛けられた一曹から士長の隊員五名は、副長のその言葉にすぐに返事は出来なかった。
自分達には銃を使用した近接戦闘のスキルはほぼ皆無であると認識していたからだった。
自衛官とはいえ、艦の各種業務に精通した職人の集まり。
それが一つの艦を動かすに至っている。そのため、本来の業務以外である銃を使用した訓練はほぼ行っておらず、彼らが今持たされている64式小銃を最後に持ったのは半年前という有り様だった。
そのような状況が凶と出たのが、能登半島沖不審船事件だった。当時対応にあたった護衛艦『みょうこう』には海上警備行動とそれに係る臨検命令が下された。
しかし、銃を使用した対人戦の訓練はほぼ皆無の状態で、防弾チョッキの配備もなく、その代わりに隊員個人に対策として配られた個人防護処置はコミック本を体に巻き付けるしかないという有り様だった。結果として臨検は実施されずに済んだが、この事件を機に海自は臨検に対応出来るよう部隊や装備を整備。特別警備隊を発端とし、各護衛艦に臨検出来る能力をもった班を整備出来るまでに近年成長した。
その結果は、ソマリアアデン湾における海賊対処行動任務で顕著に現れている。
しかし、試験艦である『あすか』には、臨検隊など整備されている訳は無なかった。
銃を握った緊張と、今から自身に起こるであろう異常事態。
その恐怖から海士長の階級章を付けた若手隊員は握把を握る指が小刻みに震えていた。
しかし、自分が離脱すれば他の誰かが犠牲になる。
その思いがこみ上げ、
「自分、いきます。」
の一声をあげた。一番に応えたのが一番の若手。
情けない気持にかられた海曹らは、次々に声を張り上げ、向かう決意を現した。それを聞き、副長は申し訳ない気持ちと共に安堵の表情を一瞬浮かべた。
そして、
「ありがとう。艦を守るぞ。」
短く謝意を伝え、そう統括した。
それを受け止めた五名の部下は覚悟を決めた表情で頷いて見せた。
そして、個人装備を整えるべく各自準備を始めた。
その時、
(総員!衝撃に備えっ!)
艦内スピーカーから怒声の如く大きな声が耳に響いてきた。
艦長の今まで聞いたことのないほどの大声に聞いた隊員らは一瞬硬直した。
直後、激しい横揺れが彼らを襲った。
立っていられない程の大きな揺れ。体全体を船体に打ち付け失神する隊員も見受けられた。
それから数秒、
(船体に大激動!)
音が割れるほどの大きな声がスピーカーから聞こえてきた。
敵の攻撃があたった。
それが理解出来た瞬間だった。
「副長!」
頭が真っ白になっている中、一曹の階級章を付けた隊員の声に副長ははっとした。
「艦の復旧は担当に任せ、俺達はヘリの着艦に備えるぞ。」
素早く64式小銃の安全点検を済ませ、そう命令を下す。
それを聞き、五名は勢いよく返事をした。そして、ヘリが着艦を試みると思われる艦体後部に移動を始めた。
試験艦『あすか』の艦体中部から火の手があがった。
中国戦闘機の放った対艦ミサイルが、『あすか』に接触する手前で爆発を起こしたのだ。
直撃は免れたものの、爆風と破片から艦体に穴が空いた。その影響から浸水と火災が艦内に発生した。
「『あすか』にダメージ!すぐに沈没にはならないとは思いますが、着艦が困難になりました!どうしますか?」
その光景を見、飯山達が搭乗しているSH60Kの機長は険しい表情で口を開いてきた。
飯山らはヘリの窓越しにその一部始終を見、息を呑んでいたが我に返り、
「近付くことも出来ないですか?」
すぐに沈没しないという機長の声に安堵はしたものの、急がなければいけないという焦燥感が早口の問い掛けにさせた。
「一度旋回して、再度アプローチしてみます。しかし、着艦して艦に留まる事は出来ません。降ろして一度離脱します。それでもよろしければ!」
少し考えた後、機長はそう回答した。その内容に飯山は考えてしまった。民間人である亀山教授を危険な目に遭わさざるを得ない形になるからだった。
しかし、亀山教授自身が弾頭を調べなければいけない。飯山は葛藤した。その時、
「飯山さん。私のことでしょう。危険な目に遭わす訳にはいかないって。」
亀山が葛藤する飯山を見、そう口を開いてきた。飯山は言葉に詰まる。そのため続けるようにして、
「私のことは気にしないでください。このヘリに載った時から。いいや。例の生物に携わった時から、覚悟していました。この国と人を守るためです。そのために私が動けていること。それは誇りです。飯山さん。いきましょう。今の私達の行動が、日本の未来を左右しています。それを考えれば私の命など安いものです。」
強がっているのかもしれないな。
亀山は言い終わった後にそう思った。
しかし、後には戻れない。決意を固めた表情で飯山を見た。
「その言葉を聞けて、とても嬉しいです。ですが、国のために命は安売りしちゃいけない。どんな状況であろうが、人の命は尊いものでありその尊厳は守られるべきものです。それを守るために私達は存在しています。しかし残念なことに今回のことは貴方の力を借りなければ何も守れない。生きて帰す事をお約束します。なので、一緒に飛び込んでくれますか?」
沈没するかもしれない艦に民間人を飛び込ませる。
普通ではないし、有り得ないことだ。しかし、そうせざるを得ない状況にある。
その状況にしてしまったことに飯山は心から情けない気持ちにかられた。しかし、後ろをみていても始まらない。
協力してくれるなら、命を懸けて亀山教授を生きて帰す事が最優先事項だ。国を守る前に目の前の一人の国民を守り抜く。その決意をもって、飯山はそう問い掛けた。
「もちろんです。一緒に日本を守りましょう。」
返事に困る問い掛けだったか。飯山は一瞬そう思ったが、亀山は即答した。愛国心が薄れつつある国民性の日本人であるが故に、飯山は不安な面もあった。
しかし、亀山と言う日本人の気持ちは堅い。そう感じ意思の再確認が出来た。飯山は感謝を述べ、
「機長!前部甲板VLSの前にアプローチを!」
操縦席に近付き、そう指示を出した。
そして続けるようにして、
「中村!お前はヘリで待機だ。艦に降りるな。何かあった時にはお前に全て任せる!」
そう口を開いた。
それを聞き中村は反論しようとしたが、飯山は即座に口を開くなとジェスチャーした。
中村はその仕草を見、口を噤む。
「必ず亀山教授と生きて帰る。だから、必ず二人を引きあげてくれ。そのためのお前だ。頼むぞ。」
中村の肩に手を置き、目をじっと見つめる形で飯山は言った。
「分かりました。必ず救い上げます。任せてください。」
少しの間の後、中村はそう返した。
それを聞き飯山はすぐに、
「よし。降下準備に掛かる。教授、機材の準備をお願いします。」
時間の猶予はそこまでない。限られている時間を無駄なく行動する。幹部レンジャー課程で学んだ心構えを活かす時だ。そう自身に言い聞かせ、飯山は手早く準備を始めた。




