気配
抗議の叫びが、岡本の眠りを妨げる。午前3時をまわる総理執務室のソファで電気を消し、仮眠をとっていたが、安眠出来る状況ではなかった。中露に要請を出すと決めてから一週間が経ち、役所的な仕事も片付いてきていた。
また核物質を載せて飛ばす航空機も、協議の結果、ロシア空軍のAn124と呼ばれる輸送機に決定。そして、その輸送部隊を置く候補地として百里と松島が選定され、防衛省とロシア空軍が最終調整に入っていた。
しかしその動きを感じ取った一人の新聞記者により、その1部の情報が世間に暴露され、今官邸の外にはデモ隊が抗議活動をしていた。売国奴の総理は辞職して腹を切れ。そのようなプラカードを持ち、ハンドマイクに怒鳴る若者らの姿に岡山は胃を痛めていた。マスコミ対策として、ロシア空軍と航空自衛隊が共同演習を検討している。という情報を流すよう指示を出していたが、気付けばこの有様で、岡山は重い体をソファから起こし胃薬を流し込んだ。
「総理。」
直後、ドアをノックする音と共に杉田官房長官の声が聞こえ、岡山は入室を促した。杉田が入ると同時に彼は執務室の電気を灯す。
「どうしたんだ。こんな遅くに。」
岡山が今まで寝ていたソファ。その向かい側にある椅子に座るよう杉田に手で促す。杉田はそれを見、一礼して腰を降ろした。そして、
「はい。ロシア国防省と調整が終わりまして、輸送部隊の待機基地を百里にすることとなりました。その先発隊、整備や警備の要員等含めて20名程が3日後、百里に来るということです。」
右手に持っていた書類を岡山に手渡しつつそう口を開いた。岡山は眠い目を擦りながら書面に目を通す。
「分かった。そうなると百里周辺の警備を強化しないといけないな。」
官邸の外で騒いでいる連中がいたことも重なり、岡山は険しい表情で返した。
「はい。既に警視庁及び茨城県警には話を通してあります。公安委員長にも話し、先程SATの出動を了承して頂きました。基地外の脅威についてはこれで充分かと思います。」
杉田は淡々と説明する。
「後は基地内か。」
「えぇ、外は勿論ですが、問題は中と考えても過言ではないでしょう。」
岡山の溜息混じりの発言に杉田は間髪入れずにそう言ってきた。岡山は眉を顰め、続きを話すよう促した。
「はい。整備及び警備の要員と言いましたが、CIAの情報によると整備警備関係なく、全員がスペツナズの可能性が高いかもしれないということで、駐米大使より連絡が来ました。」
スペツナズ。ロシア軍の特殊部隊を指す単語に岡山は息を呑んだ。
「ふざけるな。何しにくるんだ。日本に。」
思わずそう叱咤する。
「目的は分かりません。しかし今のアジア情勢を見た時、何も思われませんか。生物の攻撃によって第七艦隊は壊滅。残存艦艇はグアムまで引き上げました。そして嘉手納の戦力を残し、在日米軍自体も今はグアムにいます。キャンプ座間や横田も司令部機能は残してはいますが、防衛省の話によるともぬけの殻だと。こんなガタガタの状態を見て、中露がじっとしている訳がないじゃないですか。」
分かってはいたが避けていた話。岡山は返答に詰まった。というより言葉が出てこなかったのだ。戦後から70年近く。アメリカの核の傘で守られてきた今までとは違い、今の現状で傘が行き届いているのは沖縄とグアム。本土は入っていなかった。岡山は頭を押さえ、唸る。
「日米安保を適用し、ハワイにいる米第三艦隊を呼ぶ事を考えました。しかし今のアメリカの国内情勢は酷いもんです。議会からは弾劾裁判の声が出始めています。それでも尚、各州では州兵が出動する規模で抗議運動が起きています。アメリカは、頼れません。」
杉田は断言した。確かに今のアメリカの状況を見た時、とても海外に派兵出来るほどの余裕は彼国にはなかった。
議会の承認を得ずに第七艦隊を独断で動かした大統領は、連日非難の雨を浴びていた。議会の中では、犠牲を無駄にしないために、更なる派兵を訴える議員もいたが、それを口にした者はその後、市民らに襲われる事件が多発した。
それからというもの派兵を叫ぶ議員は誰一人として消え、今はただ、大統領に有罪が下される。それを待つのみという状態になっていた。
「アメリカを頼るなど言ってはいない。大体、勝手に核兵器を我が国に持ち込んで、それが原因で生物が襲ってきた。あれから私は信用もしていないさ。」
遠くを見つめるような表情で、岡山は静かにそう口を開く。
「では、」
「あぁ、特戦群を百里に送れ。何が起きても対応出来るようにしろ。」
頼れるのはもはや彼らだけだ。そう決意し、岡山は指示を出した。
「分かりました。至急大山と、防衛省に調整を掛けます。」
杉田は短く返し、一礼。その後足早に執務室を後にした。彼の背中を見、岡山は上手くいくよう念じるように軽く目を閉じた。




