紅葉と楓
家に近づくにつれ、ひとけも無くなっていく。
黄昏時の橙色の中を歩いていると、ふと騙されたのかもしれないという思いがわいてきた。
よくよく思い返してみれば、男は子供がいるようには見えなかった気がする。というより、家庭を持っているようには見えなかったと言うべきか。本気で帰る家とかなさそう。偏見かもしれないけど。
それに、あの山に住んでいるというのもおかしな話だ。人の入らない山で、ガスも電気もなしでどうやって暮らしているというのか。
(でも、やっぱり本当かも…)
お金が欲しかったなら、嘘をつくにしても、もっとましなものがあるだろうし、そもそもそれだと、あの募金箱に入れた金額の方がよっぽど多いのであの人は結局損したことになる。募金集団とグルだったのかとちらっと考えてみたが、あのやりとりはどう考えても本物だった。
よくわからない変な人に会った。
それが唯一はっきりしていることだった。世の中にけんかを売って歩いているような態度の、山のにおいが好きな人。
思い出して、握りしめたままだった手を開く。その中の、葉巻を見つめる。
そっと、鼻に近づけてみる。
森の中にいるような気持ちがした。みんなが森林浴に行くような明るい森じゃなくて、たとえるなら富士の樹海のような、陰樹の生い茂ったうっそりとした森。
その中で一人佇む心地に、私は思わず震えた。それは、とても………。
玄関のドアを開けた途端、ふわふわとした気分は霧散した。
「楽しそうだね、お姉ちゃん。何かいいことあった?」
私と全く同じ作りの顔が、私には到底まねできない表情を浮かべている。
軽く細められた瞳と緩くつり上がった口角は、小悪魔のようだと評される。その顔で見つめられると、ついつい言うことを聞いてしまうそうだ。
「………何でもないよ」
「う・そ」
そういって笑う姿はこの上なく楽しそうでかわいらしい。
「ほんとだよ。ただちょっと変な人を見かけて、それで……」
「ふぅん?」
妹は私にとってはもっとも身近な脅威だ。彼女が本気を出せば、私の居場所などいとも簡単に奪い去ることができるだろう。
私たちは双子で、なんの因果か私の方が姉となっただけで、でもなにもかも妹の方が勝っている。勉強も運動もわずかだが私が彼女にいつも負けているし、性格についても、私は暗く人見知りで妹は明るく社交的だ。
妹はそれが気にくわないらしく、でも妹である特権をフルに活用しながら私を責めることを趣味として嗜んでいる。
彼女の存在は私を不安にさせる。
私は不必要なのではないか? たとえば、全く同じ見た目で機能も同じ機械が二つあれば、もう一方は予備のような意味しかないのでは? そして、片方が少しでも優れているのならもう片方の存在意義は限りなくゼロに近いのでは?
そんな考えが常につきまとい、自分が劣っていることを突きつけられるたびに大きくなっていった。
それでも彼女が私を徹底的に排除しようとしないのは姉妹としてのせめてもの温情だと思う、いや、思っていた。
「お姉ちゃんはいらない子だって」
「…っ?」
「お母さん達言ってたよ? 双子なのに、どうして紅葉はああなんだろうって。楓みたいにかわいげがあればまだしも、陰気で、消極的で、どうしようもないって」
「う、うそ、お母さんは、そんなこと言わな」
「お母さん、優しいからね。でも、本人に言わないだけで陰では」
「やめてっ!」
「お姉ちゃんは否定できないよ。そうするだけの努力をしたことがないんだから」
(いやだいやだいやだ)
私を傷つける言葉を紡ぎ続けるくちびるは、喜びを隠しもせず見せつけてくる。
「お母さん達には、お姉ちゃんなんかいらないよね。だってわたしがいるもん」
(聞きたくないっ!)
思っていたことでも自分以外の人間に言われることは、予想外にこたえる。
耳を押さえて蹲るしかない私を楓は容赦なく責め立てる。
「それに、お姉ちゃんのまねくらいわたしにもできるし」
「へ?」
楓の表情が変わる。下がり気味の眉、うつむいた顔におどおどとした上目遣い。私そっくりの、でも私でないものがそこにいた。
「自分より劣っているものをまねるのは、難しくないよ」
一瞬目の前が真っ白になった。
それが私でないことは、私にはわかる。私はここにいるのだから。でも、他の人から見れば? 父や、母や、その他の人間からすれば、そこにいるのは私そのものだろう。
「お姉ちゃんがいなくなれば、完璧だよ」
元の明るい顔にもどって、楓が言う。
「楓~、紅葉も、帰ってきてるなら手伝って」
「は~い」
楓は呼び声にこたえて走っていった。私は、私は………玄関を飛び出し、走り出した。




