出会い
「お願いしまーす」
「世界の恵まれない子供達のために、」
「募金にご協力下さい」
道ばたで、高校生達による募金活動が行われている。
一〇メートルは離れたところから私は視線を逸らし何かに気をとられた風を装って足を速める。
私はこういったものが、心底苦手だった。それはもう、遠くから見かけるだけで鼓動は速まり、通り道で行われていれば思わずきびすを返して立ち去ろうとしてしまうほどに。
(心がけは立派だと思うが、それを押しつけないで欲しい)
と、ひそかに思っていたりする。
根っからの小心者なので、該当のビラ配りに対してでさえ、
(いらない、いらないけどでも受け取らないと悪いかな?)
などと考えてびくついてしまうというのに、この募金活動というものにはもれなく
『お願いします』
と
『ありがとうございます』
がついてくるのだ。
『お願いします』を無視して通り過ぎると、おまえは非人道的な奴だとばかりにこの『お願いします』が追いすがってくる気がするし、もし『お願いします』をかいくぐっていくらかいれようものなら『ありがとうございます』が襲ってくる。
ほんのわずかな金額でお礼を言われている自分が、ものすごい偽善者のような気がして恥ずかしくてたまらなくなる。もっと出せるだろうと暗に言われている気がするときさえある。それでも有り金全部差し出してしまえない自分が情けなく、おかしな勘ぐりをすることが恥ずかしくてどんどん気が滅入ってくる。
結局、募金しようがしまいが私は罪悪感にさいなまれ、日に何度も思い返してはさらに落ち込み、回復するのに何日もかかってしまうのだ。
たちが悪いことに、募金活動というものは色々な名目であちこちで行われているために、しょっちゅう出くわすことになる。
「おぅおぅ、さぞ楽しいこったろうな。弱者の味方気取って善人面すんのはよ」
背後から威圧的な声が聞こえた。
振り返ると、男が一人募金箱を持った少女達に絡んでいる。どうやら、考え事をしているうちに無事に通り過ぎていたらしい。
(あぁ、かわいそうに)
言いがかりをつけてくる人間はどこにでもいる。少しでも諍いを避けようとするならば、決して目立ってはいけないのだ。
絡まれた少女達の反応は様々だった。
目をそらしうつむく者。
まったく態度を変えず呼びかけを続ける者。
気丈にもにらみつける者もいたが、誰一人として男に言葉を返しはしなかった。
「おい、無視かよ。人の善意を訴える人間がそんなことでいいのか?」
「なんなんですか」
先ほど男をにらみつけた少女が答えた。
「おまえらさぁ、そんなに子供が救いたきゃ、死にゃあいいだろ。今すぐにさ」
「なっ!?」
(うわぁ、なんという暴言)
私はなんとなく立ち去ることができず、立ち止まったままそのやりとりを見ていた。
「だってそうだろ? おまえら育てて学校行かせて一人前にすんのにどんだけかかると思ってんだ。おまえ一人が自分にかかるはずだった分全部寄付してくれって言って死んじまったほうが、こんな事やってるよりよっぽどたくさんの子供が救えるだろうよ」
「極論過ぎます。そんなこと出来るわけが、」
「はっ!」
少女の返答を鼻で笑ってぶった切り、男は続ける。
「それが出来ないってんなら、もうそんな偉そうな顔はしないこったな。自分の命捨てるほどの覚悟はねぇからどうか協力してくださいって自分の至らなさを恥じながらやれよ」
そう言いながら男はタバコを取り出した。ライターを取り出すついでのように財布も取り出し、それを見てにやりと笑う。
「オレはさ、」
小銭入れから全ての小銭を取り出す。
「重てぇ財布は持たねえ主義なんだ」
小銭は少女が持つ募金箱の中へ。
「そんで」
さらに札入れから数枚の紙幣を抜き出し、
「これは、あんたの命へのカンパってとこだ」
それも折り畳んで箱の中へ押し込んだ。
(すごい……めちゃくちゃにらまれてるよ)
あれだけの金額を募金しているにもかかわらず、ちっとも感謝されていない。いや、むしろ恨まれているんじゃないだろうか。
そんなことを思いながらぼーっと眺めていると、タバコをくわえながら歩き出した男と目があってしまった。表情を険しくして大股でずんずんと近づいてくる。
(やばい、逃げなきゃ)
そう思ったときにはもう目の前にいた。
「あんたさぁ、」
上から見下ろされる。
「金持ってる?」
恐怖で固まっていたので、とっさに声が出ない。
「なぁ、持ってんの? 持ってねえの?」
長いぼさぼさの前髪の下で、目だけが光っているように見える。とても怖い。
(えっ? でも今、この人お金持ってなかった?)
「聞いてる?」
「ぁ、えとあの、せ、千円くらいなら」
「貸して」
「その、でも、さ、さっき」
目線で言いたいことがわかったのか、男は鼻の頭にシワの寄る独特の笑い方をして言った。
「あれで持ってた金全部だったんだよ。もう一円だって残っちゃいねぇ」
(……剛胆、いや、考えなし?)
「あ、おまえ今オレのこと馬鹿にしたろう」
「え!? いや、そんな」
「だってさ、腹たたねぇか? あんな、いかにもいいことしてるんですぅ、って面して立たれたらさ」
「はぁ」
(でも、実際いいことしてるわけだし)
そう思ったけど、反論が怖いから黙っていた。口で誰かに勝つなんて私には無理だ。なにせ、会話に頭が追いつかないのだからどうしようもない。後でゆっくり考えれば反論のひとつも思い浮かぶけど、そのときにはもう相手はそんな話のことはとっくに忘れている。これではまともな話し合いは望めない。小学生でももう少しましな討論が出来るだろう。
「だからさぁ、頼むよ。ガキが腹すかして待ってんだ。今日こそはなんか持って帰ってやらねぇと」
なにがだからなのかさっぱりわからないが、子供がお腹をすかしているのはかわいそうだ。
見れば、着古したシャツにズボン、痩せた身体に破れかけの靴と、お金に不自由しない身分とは到底思えない格好をしている。はたしてちゃんとした家があるのかすら疑わしい。
「千円で足りるんですか?」
「あぁ、そんだけあれば今日の分は何とかなる。帰ればもういくらかはあるしな」
言いながら男がタバコに火をつける。流れてきた煙が鼻先をかすめて、反射的に顔をしかめた。
(あれ?)
私が嫌いな、あの吐きそうになるにおいではなかった。たき火のようなにおいに少し甘い香りが混じる。
嗅ぎ慣れない、でもどこか懐かしいにおいに首をかしげていると、ぎろりと睨まれた。
「何、あんたもタバコは体に悪いとか言うクチ?」
(なんでこの人こんなに攻撃的なんだろう?)
「や、あの、それ、普通のタバコじゃないですよね?」
「わかんのか!?」
(鼻が詰まってでもない限り、誰でもわかると思うんだけど)
微妙な顔をしている私に気づかないのか、無視しているのか、男は嬉しそうに説明を始める。
「これさぁ、俺の手作り。ホントは、煙草の葉なんて一っ片も入ってねぇの。街に来るとさぁ、山のにおいが全然しねぇし変なにおいは溢れてるしでたまんねぇからこれで何とかしのいでるわけ。なのに最近、どこもかしこも禁煙禁煙ってうるせぇのなんの」
「山、ですか?」
「そう、山。あれだよ、俺が住んでんの」
しめされたのは、歩いて一時間ぐらいの所にある大きな山だった。自然が色濃く残り、ブナなどの天然の広葉樹林が茂っていて視界が悪く、熊がでるとの噂もあって誰も入ろうとしない山だ。
「……あそこに住んでいるんですか?」
「あぁ。もうかれこれ………何年?」
「え!? いや、私に聞かれても……」
「ん~、まあ、十年以上なんは確かだ」
うんうん、と男は一人で納得して頷いている。
「あの、もう行かないと………。これ、どうぞ」
「ありがとよ。そうだな、俺も早いとこ買うもん買って帰らねぇと」
男は、私が差し出した千円札を受け取り、かわりに葉巻を箱から一本取り出して握らせた。
「秋になったら金が入るから、そしたら必ず返す。山に来てこれに火ぃつけて“吾郎”って呼んでくれ。じゃあな」
有無を言わせぬ口調で言い切ると、男は早足で去っていった。
その後ろ姿が完全に視界から消えてから私もゆっくりと歩き始める。本当はもう家に帰るだけだったので、急ぐ必要は全くなかった。




