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虜囚

#ヘキライ

第11回参加作品。お題は折られた白旗。

逃げだしたいのに、逃げられない。

虜囚


 真白い部屋で、澄んだ声音が短く乞うた。

「ごめん、なさい」

 こどもは、首筋をさらしてうつむいている。その、まだ柔い頰の輪郭を見下ろして、私は素早くまばたきをした。そうすることで、小さな埃のような、何かの気配を追い払う。

「分かっていると思うけれど。危ないから、外へ出てはだめ」

「はい」

 年端もいかないこどもは、舌足らずに、けれど丁寧に受け答えする。そのように、ここではしつけられている。口ごたえは甘やかに封じられて、いとけない顔つきのまま、ゆっくりと、人の意に沿うようになる。

 こどもの切り揃えられた髪は、光を集めている。つやつやとしたラインが浮かび上がって、なだらかな天の川に似て見えた。

 私は、戸棚からキャラメルを取り出す。できるだけ威厳を保って。

「次は、約束を守れますか?」

「はい。……あの、うまくできないかもしれないけれど、努力、します」

 こどもは手をもじもじと絡ませる。その細い指先は、さっきまで弾いていたピアノのために、爪を短く切られている。

「分かりました。では、これを」

 私は、こどものてのひらに、そっとキャラメルを落とす。

 こどもは息を飲んで、上目でこちらを見やった。

「いいんですか?」

「いいよ」

「ありがとう、ございます」

 素早く包装を解き、こどもはしばらく、キャラメルを見下ろしていた。だが意を決して、キャラメルを口に含む。こどもの頰が、ほころんでいく。

 決められた食事、決められた運動、決められた楽曲。それらを規則正しくこなすこどもは、たまにこうして甘やかされる。

 じわじわと。


 こどもたちの出演する、夜ふけの舞台は、サーカスを見るようなおとなばかりがやって来る。

 故郷ではがさついた手で、鉛を垂れ流す機械の残土をあさって暮らしていたこどもは、少しずつ、食べ物に混ぜられたやさしさをもって飼いならされる。

 歌のじょうずなむすめは、先日あたらしい家族にもらわれて行った。

 私には、幸せが何かは分からない。けれども、売れる芸を仕込むことで、かれらに、生きるすべを与える。


 私もまた、ここで育った。

 元いた、荒れた土地に、何度も戻ろうとして、柵を越えた。

 ここから逃げ出しても、逃げ出しても、足は草原をさまよった。どこへ行けばいいのか、分からなかった。自分が来たのは、いったいどの方角だったのだろうか。生まれそだったのは、どんな名前の場所なのか。知らなかった。知らないままに連れてこられた。

 どうしたら楽になれるのか、分からなくて、靄の中で泣いていた。

 あんなに、抜け出したかった元のくるしい生活が、優しく真綿でくるんで息をうばうようなこの生活に、いったい、どこが、まさっていたというのだろう。


 今、目の前にいるこどもは、ここに来てそれほど経たない。体の傷は癒えても、心は、飢えてさまよい、私の若いころのように、ここを抜け出して逃げてしまう。

 私はそのたびに、自分に与えられた甘味を、こどもに分け与える。

 それは逃げ出せない世界の中で、ほんの少しだけ、私がこどもに与えることのできる、何かだ。


 ほかの誰かに買われても、私の意思と選択だけは、私のもので、あって、ほしい。

 きみも同じ。

 たとえすべてが折られても、手離さないで。

 うまく、生きて。

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