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桃の節句にもらいにくるね

「桃の節句にもらいにくるね」

 と、その人は言った。

 私は座敷の奥で、七五三か何かみたいな着物を着せられ、ひとりで雛人形を見つめていた。知らない人だったけれど、怖くなかった。白い手が、雛人形のひとつを縊り殺しそうに見えたくらいで、そのほかには害はなかった。


 私は毎年のように、祖父母の家の雛人形を見に来る。もう嫁入り前の娘はひとりとてなく、雛人形は、ただ可愛いからと、飾られている。他のところでは、魔除け厄除け、身代わりのかたしろで、昔は紙の雛人形を川へ流していたとも聞いたけれども、ここでは可愛さが消費される。

 私は十六になり、あの人が誰なのかあまり考えなくなっていた。

 多分親戚の誰かだろう。誰にも似ていなかったけれど。

 その年も、雛人形を見に行った。祖父母は出かけるというので、私が留守番する。宿題を漫然と広げながら、雛人形を見やる。

 どうして、毎年見に来てしまうのだろう。

 長年の出し入れでほつれつつある女雛の後れ毛。金糸銀糸の刺繍。

「どこかへ行ってしまいたい」

 それは一過性のもので、多分私もどこへも行けないのだと、諦念で足をくくり直したときだった。

「迎えに来たよ」

 するりと、雛壇の裏からあの人が出てくる。

 奇しくも今日は桃の節句。

 あのときと変わらぬ若さで、相手はゆったりと手を伸ばしてくる。

「さあ行こう。私は待った。果実がじゅうぶん実るまで」

 意味が分からない、逃げたい、けれど体がうまくいうことを聞かない。

「どうして、何で。あなた誰」

「遊びにゆきたいと幼子は言った。連れてゆこうか聞いたなら、まだ約束があるという。なればもう一度、ここを去りたくなったとき、桃の節句にもらいにくると、私は言ったよ」

 自分が何をどうして切り抜けたのか、その部分は覚えていない。

 相手のしろい額に、突起がいくつか、薄く浮かぶ。

 がたん、と雛人形が一段落ちる。

 災厄を払うまじないの、人形。

 侍従が身を投げ出し、相手の足にしがみつく。

 無表情な雛人形は、ひとつずつ丁寧に縊られていった。

 代わりの花嫁とでも言うように、女雛も飛び出す。庇うような男雛もろとも、首をもがれた。

「やめて、私はどこへも行かない。私は人間で、だからついてなんかいかない」

 足元まで転がってきた男雛の刀は、小さくて今にも折れそうだ。

 けれど私はそれを取る。

 引き抜けば、小さな刃が、心強く輝いた。

「あきれたものだ。行きたいと言ったのはお前なのに」

 相手は呟いてから、まぁいいかと、雛人形から手を離した。

「桃の節句にもらいにくるね。まだまだ時間はあるのだから」

 そうして、来たときと同じように、雛壇の後ろに回って帰っていった。


 雛人形は、突然落ちたと偽って、祖父母と共に修理した。自分たちでは直せないものは、人形の修理を請け負うところに依頼して、できるだけ元に戻してもらった。

 祖母は決して私を責めなかった。

「可愛らしいけれど、やっぱり、身代わりのためのものだから。あなたが無事で良かったと思うよ」

 その言葉からは、多分祖母も、あの人のことを知っているように思える。

 ふと異界に踏み込まないように、私も祖母も、慎重に言葉を飲み込んだ。


#ヘキライ

第64回お題「節」

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