ほんのひとさじ
#ヘキライ
第51回お題→スプーン一杯の狂気
ほんのひとさじ
「口、開けて」
弟から言われてため息をつく。
「やだ」
「やだじゃないでしょ」
「だって、苦いじゃん」
熱が下がらず、無理やり休日診療の病院に連れていかれたのは午前のこと。点滴もなく、出されたのは苦い粉薬だけ。
「飲みなよ」
「やだったら!」
上掛けを頭から被ってしまう。甘えられるのは、それが同い年のきょうだいだからだ。わがままは上の兄には通用しない。
自分に似た弟が、自分にそっくりなため息をつく。
「ねえ。飲んでよ。しんどそうな顔される身にもなってよ」
「何。しんどそうな顔される身って」
返事がない。
「どうしたの……」
聞きかけたとたん、重たく鈍い打撃音がした。
「どうしたの!」
転んだみたいだ。飛び起きて床に降りると、お盆を床に落とした弟が、ひんやりした目でこちらを見ている。
「えっ何?」
思わず声を裏返した。
「びっくりさせないでほしいんだけど!」
「ほら分かる? 心配なの。こっちも」
さっきまでお盆にあった薬と、ガラスコップを手に、弟がにじり寄ってくる。
「やだ」
「やだじゃないでしょ」
根負けして薬を飲む。弟は部屋を出たが、飲み終えたところで戻ってきた。
「はい、口開けて」
「んんー?」
座り込んだまま生返事すると、斜め上からスプーンが口に突っ込まれる。甘い。はちみつだ。
「ちょっとこれ多くない?」
スプーンからあふれるくらいの量だったのだろう。廊下にも点々とはちみつが散らばっている。
「ご褒美」
弟はふいに笑って、こちらの顎を伝うはちみつを手のひらで拭った。
ときおり垣間見えるのは、優しさと、ほんのわずかな暗い色。
「汚れちゃったね?」
「舐めとけば問題ないし」
「床も?」
これには答えず、弟は部屋を出て、後ろ手にドアを閉める。
おやすみなさい、また後で。
#ヘキライ
第51回お題→スプーン一杯の狂気




