夏休み
彼女は割れた花瓶を見下ろした。外出から戻ってきて、まず初めに玄関先に犬が上目遣いで座っていた時点で、嫌な予感がしていた。
ざわつく胸をなだめて室内に踏み込み、びしょ濡れの猫と、割れた花瓶を見つけたわけだ。いまいましいことに。猫はそっぽを向いている。仲の良い犬猫だが、追いかけっこのやりすぎはよくあることだ。
もう一人、参加者がいる。
震えながらそっぽを向く者。止めようとしたか、あるいは参加した者だ。猫とともに花瓶の水を浴びたのかと思っていたが、水鉄砲を手にしているから、その水だろう。
その者──子どもは俯いている。
彼女は怒声の内容を、まずは吟味することにした。
※
玄関が開くと、ジョージは全力で媚を売りに行った。尻尾を振り回して。陽気に。
いまいましい、と黒猫のステファンはそっぽを向く。はしゃぎ回ったのは自分もだけれど、初めは被害者だったのだ。ステファンは寝ていたところを、騒がしいジョージに飛びつかれ、喧嘩になった。そこに昼寝から覚めた子どもが突入してきたのだ。あいつさえ大人しくしていれば、こんなことには。
母親が部屋に入ってくる。わなわなと小刻みに震える体。ステファンは、思わず見てしまってから、すぐにそっぽを向き直した。猫は知らない。何にも知らない。悪くない。
叱ろうとする母親の思考がもう聞こえるような気がして、耳を伏せた。
※
玄関の扉が大きく震えた。賑やかな女の声がする。その少し前に駆けていった犬が、やや甲高い声で出迎えた。
女の声が暗くなる。乱れがちな足音が、室内に入るや、ぴたりととまった。
室内に転がる花瓶は、あちこちが大きな欠片となって床に広がっている。
床もソファーも、ずぶ濡れだ。黒猫も、近くに並んでいる人間の子どもも。
濡れそぼった子どもが、水鉄砲を掴んだまま、女に向かって口を開きかける。が、何も言わなかった。
子どもに向き合った女は、血走った目で、荒い息を吐いていた。
※
隣の花瓶が落ちた時、彼女は思わず目をつぶった。衝撃が来たのだ。次はお前だと言うように。
しかしそうはならなかった。
彼女は再び泳ぎ始める。水槽の向こうでは、子どもが叫ぶのをやめ、犬が立ち尽くし、猫が尾を下げるところだった。
ほどなくして玄関が開く。
犬が気を取り戻して駆けて行き、戻ってこなかった。
彼女は、もっとよく見ようとして水槽のふちに顔を押し当てる。
水槽の水換えの上手なあの人が、凄まじい顔つきで部屋に入ってきた。
それを見ると胸がざわついて、彼女は水槽の反対側に行った。
しかし、水槽の隣の花瓶が落ちたのだから、逃げても無駄。あの人の虚無の眼差しが、水槽と、水槽の中の彼女と、その隣の、今や空っぽとなったコーナーを見つめる。
それでも惨状から目を背け、水槽の水草の影で気を休めた。
※
けたたましい音を立てて花瓶が落ちた。さっきまで元気に駆け回っていた犬も、猫も、子どもも、その場で呆然と突っ立っている。
水槽の中の金魚が、落ち着きなく右往左往していた。
最初に硬直がとけたのは黒猫だ。伸びをして、ゆっくりとお気に入りの定位置に向かう。ずぶ濡れのまま。関係ないですよと言いたげだが、全く落ち着いておらず、何度も足を滑らせた。
犬はしょんぼりしていたが、物音に気づいて、慌てて玄関先へ向かった。この惨状を覚えているくせ、それでも飼い主を迎えに行ってしまうのはなぜか。それで許されるとでも思っているのだろうか。
子どもは、花瓶を隠そうとした。しかし、手には水鉄砲を持ったままだったし、以前素手で割れたガラスコップを触った時に指を切り、大変怒られた記憶が新しかったため──それはつい最近のことだった──どうしていいか分からなかった。
玄関から、母親の声がする。犬を見て、早くも異変に気づいたようだ。
ざわざわと地を這う声が、近づいてくる。
金魚が、物見遊山か、水槽の中をぐるぐると回り続けている。そして母親と目が合ったのか、そのまま泳ぎやめて慣性の法則のままに水草の中に入って、出てこない。
母親の、血走った目。ここ数日、夏休みで家にいる子どもの世話に疲れ果てたその顔。やっと留守番をできるような年齢になったのに、まだ、こんな騒ぎを起こす子どもに、どうしたらいいか分からない、という凄まじい顔つき。
子どもが謝ろうとしたが、今何を告げても逆撫でするであろうことに気づいて、口をつぐんだ。
400〜700文字、四人以上、会話文なし。
三人称限定視点。
別の人物の三人称限定視点。
壁にとまったハエ視点。
傍観者視点。
潜入型。
400字より少ないのもあるけどとりあえず。




