繕う指/繕われる指
繕う指
私は針穴に糸を通す。白い糸はまばらにぼやけて、指先から逃れたがる。前からこうだろうか。いや違う。繕い物をする指先は、糸を逃すことはしない。もっと素早く傲慢に、布目を詰めて規則正しく並んでいく。この針目の隙間に、赤ん坊の泣き声や飼い犬が散歩をねだる声、鍋が煮える音、外を行く車の騒音が差し込まれる。
今や乱れに乱れた糸にため息をつく。外は静かで、針を取り落とす音さえ聞こえる。どうにか見失わず、針を拾う。同時に板目の隙間に、針以外の銀色を見つける。指輪を失くす経緯を覚えていないが、存外指にぴったりとはまる。装飾でなく、針仕事のためのもの。あの人たちの贈り物。
あの頃指はいつも傷だらけで、ささいな動きで痛むもので。初めのうちは、足の怪我を労わる様子で、やがては私が私の羽をむしって機織りまでして支える家計を、その人たちは当然のものにする。赤ん坊の親だというのに、どちらも顧みず、家政婦代わりの鶴の娘をこき使うばかり。もう、いいかしら。もうすぐ、赤ん坊が戻ってくる。ずいぶん大きな子どもが。決めるには、残り時間があまりに少ない。
繕われる指
彼女はゆるやかに針を持ち上げる。裁縫箱を覗き込むと、ずいぶんと長い時間をかけて、白い糸を選びだす。針目を作るのに難儀して、ついにはうつろにため息をつく。
炊事場の片隅は静かで、今や鍋は空っぽだが、かつてはたくさんの食べ物で満たされていた。窓辺に寝かされた赤ん坊はときおり泣き声をあげ、その度に彼女は席を立ってあやし、泣きやむとまた針仕事に戻った。鍋が賑やかに煮え、外の車は猛々しく走り去った。飼い犬は外に繋がれていたが、決まった時間に散歩をねだって大声をあげた。
彼女は、忌々しげにため息をつく。乱れる針目を疎むように、針は彼女の指先を逃れて、床に転がっていく。身を屈めた彼女が、目を細めた。針を拾い、またそれを床の間にさしこむ。針を使い、見えづらい隙間から、銀色の薄い指輪を引き出す。節くれのある指に、それをはめる。指輪というより指抜きで、それは針の背中をそっと押し、針目をさらに大きく歪める。
かつてこれほど節くれのなかった細い指は、今より若いが傷だらけだった。道端で足に怪我をし、渡り鳥として飛び立てなかった娘は、寝食をくれた人間の夫妻に恩義を感じた。次の季節までのつもりだった。けれど赤ん坊が生まれ、日常のあらゆる家事が押し付けられた。羽を抜き、機織りをしても、報われることはなかった。
彼女の目に、暗い光が灯る。
犬は老いて寝ている。赤ん坊は大きくなり、学校に通うが間もなく戻ってくる。
いつまでもここにいなくても、良いのではないかと、彼女は指輪と針を見つめて考える。
あと少し、あと少しだけ、ためらう時間はもうすぐ尽きる。
お題的な。1ページで過去と現在を2回行き来。一人の老女。一人称か三人称で過去か現在時制縛り。同じ話で人称を逆に、一方を過去か現在時制でもう一方を逆に。




