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きっと誰にもかえれない
なまぬるい海に浮かんでいる。
それでいて、簡単に沈んだりする。浮力を無視して、ぐいぐいと水をかいて潜る。水底で波が押し引きして、いつでも、さらってゆけるからねと、低い声で唸られている心地がする。
遠浅で穏やかな地域の海だけれど、波は底の方で、強引に呼んでいるのだ。
陸の声は聞こえない。堤防に置いた荷物を、きっと猫があさっている。
喉が渇いた。
こんなにたくさん水があるのに、飲むとからくてしんどい。
諦めて足を水底に着ける。波に逆らって、足裏の砂が持っていかれるのを感じながら、陸へと引き返す。
猫は荷物の横で寝転んでいた。濡れた手で撫でようとすると、耳を震わせて逃げていく。
ボトルからあおった水分が、口の端に残った海水のせいで塩辛い。
猫が辛抱強く待っている。立ち上がると、猫は振り返りつつ歩き始めた。
お前は海が懐かしくないの? もう何の道具も手立てもなしにはかえれない、生物の故郷のこと。
猫は宿に飛び込んで餌をねだり、こちらはシャワーを借りて海を払いのけた。
#444書 「海」向けに書いたもの。




