新月の晩に
闇夜にはわずかに星がきらめき、それも雲に飲まれてゆく。
女は鉄扉で守られた宝石店の前で、かつりと踵を鳴らした。
「こんばんは、いい新月ですね怪盗さん」
「君達の目には、あれが見えるかね」
闇に紛れていた男が、取り乱さずに応答する。女は上着のポケットのマークを指さした。アンドロイド綜合警備保障。暗闇でもマザーに接続できれば、何でも見える。マザーの知りうる限り。人間の目には見えずとも、機器は、地球の影に隠れた月を観測している。
「こんな古びた手を使うなんて、怪盗さんにはがっかりです」
「年寄りにできるのは、闇に乗じるくらいが関の山でな」
「電力の遮断、警報の他回路との接続による誤観測データ送信、そこまでの技があるのに、なぜ力技で押し入るんです? 買収するなり、何なりできたのでは? 冷静さを欠いていますね。そこに、奥様がいるからですか?」
男が低い声でうめいた。
「……機械に何が分かる」
「分かりません。私達はにこやかに笑うように、あるいは脅しのため怒鳴りつけるように、そのように作られました。学習するように作られて、すべての個体差をマザーに集められています。私達は個にして全。感情は、ありません」
「お喋りだな。とても群体とは思えんよ。窓口サービスに出向した方がいいんじゃないか?」
「お褒めにあずかり光栄です。私達は個体差もあるので、人間のように適性もあるのかもしれませんね」
「時間稼ぎのつもりか?」
「奥様は、アメジストになられた。人の形をした、とても美しい、透明度の高い石。それほど希少な石ではありませんが、大きくて美しく、またほぼ完全な人の形をしており、今後も高く、闇取引される」
怪盗さん。うちで働きませんか。
と、女は言った。
「もう何年も活動されていない貴方に、お願いするのも酷な話ですが、実はマザーの鍵が盗まれてしまって」
「……は?」
「ほんにんが言うには、すきなひとと指輪を交換するみたいにした、とのことなんです。愛や恋を理解しないはずの私達が、なぜそんなことをしたのか、そしてどうやって取り返したらいいのか、全く分からなくって」
「与太話なら他を当たってくれ」
「奥様、ちょろまかして差し上げますよ。私達の本社で、警備するためにお預かりすることにいたしましょう。怪盗さんは、厳重な私達の本社で、ゆっくり奥様と語らってください」
男が何度目かのうめき声を出した。
「俺は妻を、眺めたくて取り戻しに来たんじゃない。埋葬してやるためだ」
「そう、そういう機微が分からないから、マザーの言動が、私達は分からなくなってしまったんです」
男は、押し入った店内にもはや妻がいないことを悟った。
闇の中、朗々と語る女は、すでに石を手に入れているのだ。
「俺の何を気に入ったのか知らないが、目的が達成されなくても、年限を決めて妻と俺を解放しろ」
「よろしいですよ」
「契約書を作れ。内容は俺が添削する。問題なければ受ける」
「話の早い方で、助かりました」
よろしくお願いしますね、ジョンソンさん、と女は言った。
何年も隠遁し、大昔に地方で活躍していた義賊的な怪盗は、意味の分からないことは世の中にはたくさんあることは知っていたが、種類が豊富なことを思い知った。
それは、新月の、とても美しい夜だった。
ツイッターで、新月がきれい的なことが取り沙汰されていたのを見て、新月が観測できるモノなら問題ないのではと思ったら書いていました。
 




